02.名画のような美しさ
――痛みは感じなかったというか。本当に、一瞬だったな。
死んだはずの自分は、何故か今意識を取り戻して、目を覚まし、雲ひとつ無い青空を見上げている。
――ここは死後の世界なのだろうか?いや、それにしては随分と現実みがあるが……。
仰向けになった状態のまま、首だけ動かして辺りを見回す。
――森だな。
先を見ても真っ暗。恐らく森のど真ん中なのだろう。
それ以外、表現のしようがない。
誰に表現するかといわれれば、自分にとしか言えないが。とりあえず、森であることに間違いはない。そう自分に言い聞かせた。
ただ、鳥のさえずりとか、小動物が走るような音などは一切聞こえない。
心地の良い春のような暖かな風が時折吹いて、木々が揺れる音が聞こえる程度だ。
「いたた」と、自分の年齢にそぐわない声を発しながら、寝ていた身体をゆっくりと起こす。
――さて。
「ここは、一体どこの森なんだ……?」
******
かさかさと、落ちた葉を踏みながら、獣道を進んでいく。
体感では10分程度歩いていて、やっぱり疑問に思うのは、動物の気配が一切しないことだ。
獣道が出来ているから、動物自体はいると思うが、もしかしたら人間が歩いて出来た道かもしれないから、なんとも言えない。
制服、ローファーで知らない森を進むのは流石に身体が持たないのか、何処かで休憩を取りたいと思い始めてきた頃だった。
カサカサッ……と、初めて自分以外の生物が鳴らしたであろう音が聞こえる。
「お?」と思い、音のした方向に振り向く。
――狼……なのか?
少し離れた先で、こちらを見つめる一匹の狼がいた。
見た目は狼なのだが、こう、狼にしては随分と大きい上に、なんというか。
「現実離れした見た目……だよなあ」
真っ黒な毛並みに、真っ赤な瞳。そういうのが好きな俺にとって、この色合いはとても胸に来るものがある。
――いや、ていうか。
「やばくね……!?」
まじまじと見てしまったが、狼と出くわすのはさすがにまずい。
命の危険を感じているのか、握り締めた手に汗が滲んで、鼓動が速くなるのを感じる。
――逃げたら追いかけられる?絶対速度で勝てるわけない。熊と同じ対処法してるけど絶対違うし!!!
狼と見合っている状態だが、いつ向こうが食いに来てもおかしくない。
そう思った矢先、向こうが一歩一歩こちらへ踏み寄ってくる。
「っは、待ってくれ。話し合おう。話せば分かる。落ち着け」
話が通用するわけも無いのに、「どうどう」と宥めるような言葉をかける。
勿論効果は無く、向こうはじわじわと近付いてくる。
「おいおいおい、こちとら訳も分からずここにいるんだ。頼むせめて一言説明を――っ!!」
狼が牙をむき出して、本格的に襲いかかろうとしてきた。
――結局死ぬのか?俺
今度こそ本当の死を覚悟したそのときだった。
『なっさけないなぁ。君を選んで良かったのか、少し疑問に思ってしまったじゃないか』
飛び掛ってきた狼の動きが、スローモーションのように遅くなる。
風は無く、音も無く、襲い掛かる狼は鈍くなっていた。
さっきも見た景色。ああ、死ぬんだと思った。
死ぬという恐怖で腰が抜けたのか、その場に俺は倒れこんでしまった。
――普通に、動けてる?
『本来僕はこの世界に直接干渉すべきじゃないんだ。もうこんな油断はするんじゃないぞ』
男とも女とも言えない、中性的な声と一緒に、倒れこんだ俺の後ろから声の主が現れる。
真っ白で、袖口がひらひらとしたシンプルなワンピース。
細くしなやかな手と腕、長いワンピースからチラチラと見える素足は、日の目を知らない白さだった。
ふわっとした、肩にかかるくらいの長さがある髪は、生糸のように艶やかで、サラサラとした白髪だ。
海のように綺麗で大きな青の瞳が、静かにこちらを見つめていた。
まるで、どこかの名画にいる女神のようだった。
『まじまじと見ているな。まあ理由は分かるぞ。僕のこの美貌に惚れ惚れしているんだろう?』
歌のような、心地の良い中性的な声、名画のような美しさ。
「……」
こんな綺麗な人は知り合いにはいない。というか、現実世界にこんな美人存在するのだろうか。
全体的に白すぎる上にそんな美貌を持っているものだから、目が少し痛い。眩しい。
『君……たしか楓奏だっけ?なにか言ったらどうなのさ。ほら、僕を褒める言葉の一つや二つ、簡単に思いつくだろう?』
「……いや、すみません。知り合いに貴方みたいな人いなくて……どこかでお会いしましたか?」
『ん?いや、会ってないけど。僕と君は初対面さ』
――なんなんだ?
じゃあ何故俺のことを知ってるんだと、思わず頭の中で突っ込んでしまった。
色々脳の処理が追いつかない現状、また新たな謎が追加されてしまってもう訳が分からない。
『なんでもいいからさ。さっさと立ってよ。"あれ"に手こずるとかありえないから」
「あれ……って」
もしかして目の前の狼のことなのか?いやそれしかないよな。
『おや?僕ってば、なんも渡してないじゃん。じゃあいいや。この剣持って』
そういって彼女は、どこにもなかったはずの剣をこちらに差し出してくる。
一体どこにそんなものがあったのだろう。というか剣?
「銃刀法違反だ……」
『それ向こうの世界の話だろ?ここにそんな決まりはないから安心して』
「はあ……?」
これ以上なにか言うと余計頭が混乱すると思い、なにも納得できないが一先ず状況を飲み込む。
手渡された剣は、まあ中世の時代にあるような剣だ。
柄や柄頭、鍔は黄金色に光る金属。鍔の真ん中に、赤く光る宝石がはめ込まれている。
剣身はいたってシンプルな作りだが、少し黒っぽい色をしていた。
片手で持つには少し重たい。
『さて、じゃあそれを思い切り相手に向かって振りかざそうか!』
「許可のない狩猟は……」
『そんな決まりないってば。いいから早くして!』
早くしてと言われても、生憎剣の扱い方は学校で教わらないし、習っていたわけでもないので分からない。
相手の動きはこれでもかと言うほど遅いし、当たらないことはないだろうが……。
「ああもう!訳が分からん!!」
考えることをやめて、宙に浮いたままの狼に大きく振りかぶる。
当たると確信したら、なんだか怖くなって目をつむった。
肉の切れる感覚だけが手にあった。
それ以外は分からない。
ゆっくりと目を開けると、先ほど襲ってきたはずの狼が消えていた。
「……あれ、狼どこ行った……?」
剣に血は付いていないし、地面にもない。
死体一つすらない。肉を切る感覚だけはあったのに。
『ヘタレめ。目を閉じるな』
名画の彼女は、腕を組んで偉そうに言う。
「いや無理。というか狼はどこに」
『阿呆が。とっくに消えてるよ。君が目を閉じてる間に、アイツの元に帰ってった』
――消える?帰る?どういうことだ?
『とりあえず着いて来て。街まで案内してあげる』
そう言って、彼女は手招きをして歩き出す。
――素足で森の中を歩くとか、すごいなあ。
と思ったが、よく見ると、彼女の足は地面に付いていなかった。