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短編集

夢見るペンギン

作者: 遠出八千代




 地元の動物園からペンギンが一羽脱走したというニュースを見たのは、数日まえのことだった。


 朝にやっていたニュース番組で、可愛いニュースキャスターのお姉さんが淡々と話していた。ワイプ画面に映された動物園の職員にインタビューしている画像を交えながら、「大変ですよね」とか「どこに行ったのでしょうかね」とか当たりさわりのないコメントをしていた。


 それは30秒くらい報道されてすぐに時事ネタの話に移った。

 わたしはぼんやり見ていたテレビを消して、歯を磨いて、髪型を整えてから自転車で高校に向かった。


 それから数日後の夜のことだ。


 わたしはニュースでみたペンギンに出くわすことになった。

 放課後に毎日しているコンビニのバイトを終えた帰路の途中での出来事だった。


 バイト先からわたしの住んでいるアパートまではものの数分の距離にある。一人ぐらしだから家賃も安いところをえらんだ。木造のぼろいアパートで、洗濯機が共用で、築50年。最近橙色に塗装しなおした橋のすぐそばだ。


 下流の川沿いにあるせいか、たまに雨で川が氾濫すると茶色くにごりドブ川のようになる。というかドブ川だった。


 その日の前日も雨が降っていて、案の定川は茶色く変色していた。


 わたしは川を横目に、鼻をつまみながらコンクリート舗装された歩道を歩いていた。

 そして、前方で実をならせたイヌムギがかさかさ揺れたと思ったら、イヌムギをかきわけて、ペンギンがあらわれた。


「ペンギンが歩いてる……」


 最初は白と黒のトーンの犬とかネコかと思った。普通、夜道でペンギンと出くわすなんて予想できる人間なんていやしない。だが、それはやはりペンギンだったのだ。


 夜の暗さに溶ける黒い翼とくちばしと眼差し。そこに白いお腹をぽっこり前に出して、テクテクと右足と左足を交互に動かしてわたしの目の前を通り過ぎようとした。

 その途中でこちらの声に気付いたのか、体の方向を90度反転させた。


「そこの君、すまないが道を尋ねたいのだが」とペンギンは言葉を発した。

 わたしは鼻をつまんでいない反対の手に持っていたレバニラ弁当の入ったビニール袋を地面に落とした。


「僕は道を聞いているだけなのだがね、その大仰な反応はなんなのだ」


 わたしは「み、道ですか?」と聞き返した。

 ペンギンはあからさまに不満そうにしていた。どうやら最近のペンギンはしゃべるやつもいるらしい、とわたしは自分を納得させた。


「ああ、紙下動物園というところまで行きたいのだが」


 動物園?今、ペンギンは動物園と言ったのだろうか。


「それならこの河川敷から川沿いに上っていって、10キロほど歩いたところにあるみたいだけど」


 わたしはすぐに携帯で紙下動物園の場所を検索した。

 わたしは今までこの動物園のことを一切知らなかったが、今わたし達がいるところからそこそこの距離にあるようだった。

 ついでにホームページも見てみたが、紙下動物園はどこにでもある普通の動物園だった。ホームページも飼育している動物の写真とプロフィールが何点か載ってるだけで、フラッシュ画面も使われていない簡素なものだ。少なくとも人の言葉を話すペンギンが向かう思わせぶりな場所には見えない。


「ありがとう、恩に着るよ」とペンギンは握手を求めてきた。


 わたしは身を屈めた。

 ペンギンの背丈よりもだいぶ差がついているせいか、彼は両足を浮かせながら右手を指し伸ばしてきた。わたしも左手を突き出して握手する。ペンギンの右手は、可愛らしい見た目に反して硬くて、なんだかゴムパッキンみたいな感触だった。


「それじゃあ、僕は行くことにするよ」 


 ペンギンはすぐに振り向いて、薄明かりの外灯の方に歩いていった。


「あの、どうしてまた動物園に行くか聞いてもいいかな?せっかく動物園から抜け出したばかりなのに」


 わたしの問いに、ペンギンは足を止めた。こちらをみて、怪訝そうな表情をする。いや、ほんとうのところペンギンの表情なんてわかるわけがないけど。


「なんだ僕が動物園を抜け出したことを知っていたのか」


「数日前テレビでやっていたから」


「ペンギンが動物園から抜け出しただけでニュースになるのか。人間の世界はおよそ平和なもんだな」


 ペンギンは嫌味たらしくそういうので、「確かに、違いないけどね」とわたしは地面に落としたレバニラ弁当を拾いながら答えた。 


「僕には子どもがいるんだ。年は今は二才くらいかな」


「子ども?」


「ああ、目に入れても痛くない可愛い子さ。僕の知っているその子は毛はまだ生えたばかりで、灰色の産毛がふわふわしていた」

 

 それからペンギンは間を置いて、

「ある日その子と引き離されてしまったんだ。どうやら職員達の手によって別の動物園に移動させられてしまっていたのだ。それが紙下動物園だった。僕はそのことをつい最近知り、いてもたってもいられず脱走してきたってわけだよ」


「会いに行く?これから?」


「そういうことになるな」とペンギンは頷いた。


「その小さい足で?何キロも先の場所まで?」


 人間からすれば10キロという距離は近いとも遠いともいえる距離だ。

 歩けば数時間、でも車を使えば15分くらい。


 だが、彼は話せるとはいえ60センチくらいの普通のペンギンだった。


 ただのペンギンにとって10キロの距離を移動するのにどれだけの時間がかかるのだろうか?1日くらい歩き続けるのだろうか。それとも泳いでいくのだろうか。この何が生息しているかも分からない汚い川を。


 それに川沿いにあるとはいえ、紙下動物園に行くには川沿いを抜けたら街中に出なくてはならなかった。


「距離は関係ないんだ。もしも南極にいたとしても僕は迷わず会いに行っただろう」


「子どもが大切だから?」


「その子のことが心残りだった。二年間一日だって忘れたことはなかった」


 ペンギンは腕を組んで、それから朗らかに笑った。


「それに自分の子どもを愛していない親はいないだろう」


 わたし達がいる歩道と、そこから少し離れたガードレールをまたいで車が何台か過ぎ去る音が聞こえた。

 夜風が吹いて隣のイヌムギが確かに何度か揺れた。


「そうなのかもしれないね」とわたしは答えるしかなかった。


「もういいか?僕はそろそろ動物園に向かわなければならないのだが」


「あのさ。わたしもあなたに付いて行っていいかな?」


 わたしの提案が意外だったようだ。

 ペンギンは文字通りつぶらな瞳をまるくさせて、「どういう風の吹き回しだ?」と問いかけてきた。





 わたしは一旦、ペンギンを連れてアパートに戻った。自転車で紙下動物園にむかうためだ。


 紙下動物園までは自転車を漕ぎ続けて、一時間くらいでつく計算だった。

 最初は電車での移動も考えたが、見つかったときのリスクを考えると選べる選択肢ではなかった。万が一見つかれば一緒にいるわたしはペンギンを脱走させた主犯格にされてしまう。学生の身であるからして、そのようなことはさけたいことである。


 アパートの住人たちにペンギンが見つからないように、私は玄関口からすぐに部屋に戻り簡単な準備を済ませた。


 レバニラ弁当を冷蔵庫に即座に入れて時計を見た。

 時刻は夜の11時。急いで往復すれば深夜の1時には家に戻れる計算だ。

 明日の学校には余裕で間に合う。時計を見ながらついでに荷物をリュックサックに詰め部屋を出た。

 川沿いを下るため、玄関前にとめている自転車にまたがる。続けて前かごにペンギンを乗せる。


 最初ペンギンは「ぬいぐるみみたいにこんな所に入れるのか」と難色を示していたが、彼のお尻がすっぽりと収まると、存外上機嫌になって「悪くない」といった。彼はペンギンだからか、ステンレスワイヤーの感触に木屑を束ねた鳥の巣に似た居心地を見出したのかもしれない。


「じゃあ、そろそろいくよ」


 わたしは掛け声とともに、ペダルを前に漕ぎ始めた。自転車はゆっくりと進み始め、堤防を登り下りし、河川敷に出た。あとは真っ直ぐ進めば、動物園まで着くはずだ。


 それから、わたしは風をきりながら自転車を漕ぎ続けた。河川敷の歩道は障害物がないせいか、そのまま強風がわたし達の肌を刺した。


 しかも速度を出すと風圧が結構すごくて、途中、ペンギンの皮膚が乾燥しすぎないか心配だった。まぁ、魚類じゃないからいらない心配だったかもしれないけど。


「君には迷惑をかけてしまったな」


「どういう意味?」


 自転車の籠の中で、背中越ししか見えない彼はポツリと呟いた。


「僕の問題だというのに、君まで巻き込んでしまって申し訳ないと思っている」


 わたし自身が提案したことだというのに、ペンギンは少し申し訳なさそうに、こちらをみてきた。


「ついていくって言ったのはわたしの方だよ」


「そのことだがね、君はなぜ僕に協力したいと思ったのだ?何か理由でもあるのかね?」


 わたしは地面に落ちていた石つぶを減速せず踏んだ。自転車は一度ガタンとゆれ、ペンギンも大きく揺れた。わたしはそれでもペダルを漕ぎ続けた。


「理由は確かにあるけど、大したものじゃないよ」


 わたしの返答に納得がいっていないようで、ペンギンはわたしの目を覗き込みながら答えの続きを待っていた。だから「世の中ってとても大事なものと、大して意味もないもので構成されているじゃない?わたしの理由は後者ってわけ」と付け加えた。


 ペンギンは答えを待っても返事が返ってこないと悟ったのか、興味をなくし再び前の方に向きなおした。強く吹いている夜風の痛さを感じながら、ペンギンの背中をただただ眺めていた。


 本当はペンギンにわたしの事情を話してしまいたかったが、これから家族に会いに行こうと決意するペンギンに話せる内容でもなかった。


 今年の二月、わたしはいろいろな事情があって今のアパートに引っ越した。 


 わたしはそれまで、この町から離れた児童養護施設で暮らしていた。そして施設を出る数ヶ月前に、わたしは自分が施設にきた事情を知らされた。


 わたしは赤ちゃんの時、この辺の河川敷にかかる橋脚のそばに捨てられた。


 毛布に包まれ、哺乳瓶とくしゃくしゃの一万札と一緒にダンボールに入れられ、捨て猫みたいに捨てられていたらしい。


 ジョギング中のおじさんに見つけられなければ、わたしは今頃死んでいただろう。


 でも、わたしは自分を捨てた親にたいして復讐したいとか、どうこうする気はなかった。そもそも彼らがどんな人物で、いまどこでなにをしているかも知りたくはなかった。


 でも、もしかしたらとも淡い期待もしていた。


 十数年たった今でも、両親はわたしのことを想っているかもしれないと心のどこかで思っていた。

 ふとした瞬間に、わたしのことが気になって両親はあの場所に様子を見に来るかもしれないと思っていた。


 結局、わたしの行動原理はその一点に尽きた。

 ほんとうであれば、わたしは全寮制の高校に行く予定だった。だけど施設の人の反対を押し切り、近場の高校に変更したのだ。


 わたしの拾われた河川敷を眺められるアパートの一室を借りたのもそのためだった。おかげで夜10時まで毎日バイトばかりで、結構忙しい生活を続けていた。


 でも、苦ではなかった。


 私は時折自分の人生について「白昼夢みたいなもので、わたしの時間は生まれたときから停まったままなのかもしれない」と思うことがあった。


 でも、もし両親がわたしを捨てた場所に様子を見に来るようなことがあれば、わたしは、わたしが捨てられた現実も、孤独も、将来への不安も、人生も、すべてがいい方向に向かうような気がしていた。


 届くことのない曖昧な理想を胸に抱いて、わたしはきっと夢見ていたのだ。





 結局、わたしとペンギンが紙下動物園に到着したのは、深夜12時半過ぎだった。

 その頃には1時間も自転車を漕ぎ続けたおかげで、体中が汗でべとべとになって肌と服がはりついていた。


 わたしたちは念のために動物園の入口の裏側に回った。監視カメラが何台か設置されていたが、映らないよう迂回しながら赤茶色のレンガ壁の前にたどり着いた。


「ここでよかった?」


 わたしは自転車にまたがりながら、前カゴに座る彼の顔を覗き込んだ。


「ああ、あとは壁を登ってなんとかするよ」


 幸い壁の上には有刺鉄線もなく、ペンギンが壁を登るのにわたしが協力すれば、簡単に動物園に侵入できそうだった。


「会えるといいよね」


「そうでなくては困るよ」


 ペンギンは前カゴから意外と長い頭を出して、腋の辺りからまるぼったい塊を取り出した。


「これを受け取ってほしい」


「ガラス片?」


「お礼だよ。本当はこどもに渡すつもりだったんだがね」


 彼から手渡されたのは、まん丸のガラス片で、ちょうど眼鏡の片方のレンズくらいの大きさだった。


「いいの?」


「さっき川辺で拾ったものだ、気を使わなくていい」

 たぶん、それはうそだった。


 ガラス片はよく綺麗に磨かれており、きっとペンギンが子どもにあげるために丁寧に磨き続けたものなのだろう。わたしが遠慮しないよう嘘をついたのだ。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


「綺麗だろう?」


「そういわれれば、確かにそう見えなくもないかな」


 ガラス片の端をつまんで目の前にかざしてみると、向こう側の景色がよく見えた。


「世界は美しく、人生は素晴らしい」


「急にどうしたの?」


「僕の世話をする職員がモップ片手によく歌っていた歌の歌詞だよ。安月給のうえに僕より音痴だったがね」


 たしかにペンギンが口ずさんだのは、数年前によくスーパーで流れた歌のワンフレーズだった。ありきたりな愛の歌で、一週間くらいでオリコンチャートから転落していた。いま、あの歌手は何をしているだろうか。


「じゃあ、そろそろ本当にいくぞ」


 そういうと、彼は無断でわたしの頭に乗った。わたしはバランスをとりながら壁の近くまで歩いた。

 それから頭の自重が軽くなったかと思うと、彼はすでに壁の上に乗り移っていた。


「君にあえてよかった」


「こちらこそ」


 お互いどんな言葉をかけていいか分からず、数秒ほど見つめあった。

 ペンギンはくちばしを傾けた。どうやら苦笑いのポーズらしかった。


 それから彼は無言で壁の向こう側に跳んでいった。まるで、最初から存在しなかったみたいに。


 別れの言葉はなかったが、1時間ていどのわたしたちの出会いは、このくらいでちょうどよいのだろう。


 わたしはふたたび自転車にまたがって、歩道にでた。

 いくつかのネオンの明かりと、電車の通るガタンゴトンという音が遠くに聴こえてきた。

 さすがに深夜だからか、飲み帰りのサラリーマンくらいしか見かけなかったけど今警察に見つかったら、呼び止められる可能性は高いだろう。


 さきほどの不思議な出来事から一転して、わたしは急に現実に引き戻された。


 わたしは急いで自転車を漕ぎ始める。

 風のあおりを受けながら、わたしはあのペンギンのことを思い返していた。


 彼は自分の子供と再会できたのだろうか?

 それともダメだったのだろうか?


 彼の子どもが紙下動物園からほかの動物園に移動させられた可能性もあった。

 そもそもほんとうにあの動物園にいる保障はどこにもなかった。

 仮に子どもと会えなかったとして、それでも彼はまた探すのだろうか?今日みたいに?いつまでも?


 わたしはペンギンではないから、彼の気持ちなんてほんとうのところ分かるわけがなかった。

 でも、そうであってほしいとわたしは願った。




 世界は美しく、人生は素晴らしい。




 彼が歌っていたフレーズを口ずさみながら、わたしは速度をあげて夜中の街を走り出した。













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