058《かびれ公園》
本編31
8月30日、火曜日。
夏季休業が明け、第二回実力考査の二日目も終了。
晴貴はかびれ公園の頂上展望台で、南の市街地を見下ろしていた。
サッカー部ではCチーム扱いの晴貴は、
独り「地獄のかびれ裏登山ロードトレーニング」つまりは放置プレー。
展望台の柵には恋人たちの南京錠がちらほら。
小木津亜弥と多賀冬海が眼下の丘陵を登ってくる。
晴貴に気付き手を振る。
二人は展望台まで登ってきた。
「テストが終わったから、
みんなでレジャーランドに来たんだ……」
冬海に任せ、亜弥は二人とは反対側、市街地の北を望む。
「相賀君も一緒にどう?」
「部活中だから遠慮しておく」
「そう……、ごめんなさい」
「謝ることないよ。
気を遣ってくれてありがとう」
「……」
「……林檎はいつも感謝していたよ。
多賀の気遣いに何度も救われたって」
冬海が思い出して涙ぐむ。
「私達は悲しいけれど、あれで良かったんだよね」
「たぶん……」
逃げるという選択が正しかったのかどうか、
正直なところ晴貴には分からない。
かつて二人で逃げようとしたのは、
遊び半分で掴みどころのない相手と戦う事よりも、
逃げることこそが最善と信じたから。
きっと、伊師一家もそう判断したのだろう。
逃げられるのなら、逃げるべきよ。
冬海はそう信じている。
お姉ちゃんにも、逃げて欲しかった。
私達はその環境になかった。
姉だけでも逃げてくれれば……。
逃がす事ができていれば……。
いや、後悔を繰り返すのは止めよう。
私は前を向く事に決めたんだ、
友達が姉の二の舞にならなかった。
少しでもその力になれたのなら、
それで良かったと考えよう。
「二人もここに『鍵』掛けたの?」
「いや、していない」
「そう」
「ここに縛りつけられるよりも、
これからの未来が楽しみだよね、って……」
晴貴は南京錠が乱雑にぶら下がる柵の下部を見回す。
「それに、この錆だらけの光景は美しくない。
俺達の美意識にはそぐわなかった」
「二人の気持ちは錆つかないんだ」
冬海が努めて明るく言う。
「上手いこと言うな……」
晴貴の目が優しく冬海を見つめる。
「そういう所だよ、林檎が感謝していたのは」
「そんなことないよ……」
真っ直ぐに見られて恥ずかしがり冬海は話題を変える。
「林檎は、どこに行ったのかしら?」
「それは俺も聞いていない」
「えっ!」
「ハル姉ェも知らされていない」
「徹底されているのね」
「いいさ、いつの日か林檎がどこにいても分かるような、
世界的に有名なプロの……」
晴貴の目が水平線を見据えた。
「駅伝選手になってやる」
「バレーボールやサッカーじゃなくて?」
キョトンとする冬海に晴貴はニヤリ。
「もう……」
冬海も笑う。
「ねえ、こっち、こっち!」
亜弥が頃合いを読んで二人に声を掛ける。
「見て、見て、遠くに七浦海岸が見えるよ、
崖の下に有名な七浦六辺堂があるの。
その少し先が私の家!」
そうこうしているうちに、賑やかな五人娘が姿を現す。
「あ~っ、変な銅像」
「変って言ったら失礼だよ」
「イスタートゥーヴルカン」
「何、なに?」
「バルカン像、ローマ神話の火の神だって」
「象には見えないよ」
「エレファンチじゃないよ」
「動物園にも行こうよ」
「たしかセット入園券あったよ」
「動物園って、何時まで?」
「あ~っ! 相賀君だ~」
「小木津さん、冬海姉さん、お待たせ~っ」
動物園も楽しむには時間が足りなかったが、
改めて行こうという勢いに、晴貴も巻き込まれた。
「ねえ、ねえ、相賀君、林檎が言っていたんだけれど」
五人娘は気遣いしない。
「ここの象さんって、料理するんだって?」
「そうだ、言っていた、林檎が言っていた!」
「そんなはずないよね」
「エレファンチは賢いよ」
「ああ、その話か……」
晴貴は苦笑する。
「去年の11月末だったかな、
開園直後に来たら、ゾウのスズコが、
水飲み場に浮かんだ落ち葉をすくって食べていた。
しばらくしたら後ろを向いて何かゴソゴソ、
鼻で一抱えもの落ち葉を運んだと思ったら、
水飲み場に落として……」
『うわ~、シリアルみたい!
相賀君見て、お料理だよ、ゾウさんのお料理!』
林檎は大発見したように興奮していた。
「……水に浸った落ち葉を、再びすくい上げて食べていた。
きっと食感が違うんだろうな」
「うそ~?」
「本当~?」
「今すぐ確かめよう!」
「まだ夏だよ!」
「じゃあ、秋にまた来よう、このメンバーで!」
「そうしよう、そうしよう!」
調子のいい五人娘に、勝手に決め付けられたが、
うっかり年間パスポートを持っていると漏らした晴貴は、
何故か『ズルイぞ! ズルイぞ!』と非難され、
その時は缶ジュースをご馳走すると約束させられる羽目に。
頑張れ晴貴、傷心を癒やせという、みんなの愛だ。
10月末。
高校サッカー選手権大会、バラキ県予選。
伊立一高は県大会2回戦で敗退した。
3年生は夏季休業以降、
受験勉強を理由に練習にはあまり顔を出さない。
そんな悪しき伝統が、いまだにまかり通っている。
2年生で主将に選ばれた奉行十三は、
何とか晴貴を合流させようとしたが、
3年生がいる間は諦めざるを得ない。
GKの代鱈前主将他、3年生は6人残ったがこれで引退となる。
敗戦に泣くくらいなら、ちゃんと練習しろよ。
思っていても誰も言えない。
そして次の年には、すっかり忘れて愚を繰り返すことになる。
晴貴はすぐにはチームに合流しない。
焦る必要はなかった。
いまだに氷戸ローゼンシュトック他からのオファーは続く。
次シーズンからの移籍も十分あり得る。
何よりも審判員活動が面白く感じられた。
伊立コンクレントでの練習も週に3日は参加している。
何かが変わりつつある、
そんなおぼろげな予感が晴貴を包んでいた。




