048《夢の国逃避行》
本編24
二人きりのプラネタリウムでの事だ。
いつもはスクリーンが見易い、上段中央付近に座るが、
その日は隅の席。
相賀晴貴は伊師林檎の仕草や表情から、
睡眠不足や疲れを感じ取った時は、
端の席に陣取った。
林檎が少しでも休めるように。
他の観客に迷惑をかけないように。
これまで林檎の受けた仕打ちは、葡萄から聞いていた。
戦う相手は掴みどころがない。
遊び半分で何とも思っていないだろう。
自らの置かれた境遇にも希望が見いだせない。
晴貴は決断した。
「林檎、二人で逃げるぞ!」
最初は不思議そうだった林檎の顔が、パッと輝く。
晴貴が決断した翌日の朝まだき。
林檎の母・蜜柑から、成沢遥香の母・遥美に緊迫した電話があった。
「林檎が書き置きを残して、いなくなりました。
『晴貴君と一緒に旅に出ます。捜さないでください』って……」
そういえば、遥香の姿も見えない。
「落ち着いてください。
昨夜は間違いなくいたのですね。
実は遥香もいません。
朝から一緒に行動しているのでしょう……」
さてどうしたものかしら、
高校生の身で移動手段は限られている。
「JRも始発前ですし、
高速バスも停留所は限られています。
私達で手分けして探しますので、
伊師さんは動かないでください。
そちらに情報を集約させます。
騒ぎが大きくなる前に私達で何とかしましょう」
三人ともスマホの電源は切っているようだ。
102号室の様子を見ると確かに晴貴の姿もない。
出遅れたけれど、動ける母さん軍団を招集し、各ターミナルを抑えて、
上野駅と東京駅は西中郷素衣や高萩直の都心メンバーに任せる。
あら? これは……。
確か昨夜は、ちゃんとリビングにあったはず。
しばらくすると素知らぬ振りをして遥香が帰宅した。
「こんなに朝早くから、どこへ行ってきたの?」
「ジョギングを始めようと思って……」
「晴貴の姿が見えないのだけれど、あなた知らない?」
敢えて「一緒じゃなかったの」とは聞かない。
「へ~、全然知らない」
「林檎ちゃんが書き置きを残したそうよ」
「う~ん、何の事かな……」
相変わらず嘘が下手ね、
一瞬「余計な事を」って顔をした。
ここは友達の心配をする所じゃないの?
それに証拠は上がっているのよ。
「これは何かしら?」
ビニール袋に入った、粉々になった豚の貯金箱を示す。
「え~と、晴貴が中身を持って行ったのかな……」
「いいえ。晴貴はそんなことしません。
遥香、あなたが渡したのでしょう!」
遥香の視線が宙を彷徨っている。
「二人はどこに行ったの?」
「知らない」
「ウソおっしゃい」
遥香が何かを隠したのを見逃さなかった。
母親は娘の手を取った、ヒョイと締め上げる。
「痛い! 痛い! ママ離して!」
抗議を無視して娘から取り上げたのは、
『伊立市内主要路線バス時刻表』だった。
遥香が帰宅した時間から考えると、
高速バス「TOKYO夢の国線」の乗車時間に合わせて、
接触を図ったのは間違いなさそうだ。
「夢の国ね……」
遥香の抵抗が一瞬止まる、行き先確定。
「格闘技に興味があるようだけど、あなたもまだまだね。
お爺さまにちゃんと教えてもらったら?」
遥美の父、遥香の祖父は合気道の達人。
その薫陶を受けた遥美が本気を出せば、
遥香は手も足も出ない。
「真面目にバレーボールをやらないのなら、
あなたが道場を継ぎなさい」
「それだけはいや!」
「じゃあどうするの?」
「……シェーンハイトで必死に練習します」
「まあ、本当!
あなたがその気になるのを待っていたのよ!」
「……ううう」
「それはそうと……」
母親は娘の手を抑えたまま、
スマホでどこかに電話をかける。
「もしもし、素衣、そう、晴貴の件、夢の国よ、
そりゃ解るわよ、遥香を締め上げたら快く……、
そんなことしないわよ……」
「……ママのバカ……、痛~い!」
「……到着は8:30頃、任せるわ、
それからね、遥香がとうとうやる気になったわ……」
「ううう……」
伊師さんにも電話をしなければ、
今日は学校を休ませましょう。
夢の国のバスターミナル。
林檎と晴貴の逃避行は呆気なく終了。
幼稚な計画を西中郷と高萩から全力で怒られた、
突発的な衝動を、完膚なきまでに論破された上で、
「逃げたいのなら私達に相談すれば、
世界のどこにだって完璧に逃がしてやる」と諭された、
抗う術はなかった。
結局『学校をさぼって夢の国にデートに出かけた、
書き置きは説明不足による勘違い』ということで落ち着いた。
そうと決まれば、二人には夢の国で気分転換をさせる、
遥香へのお土産に大きな貯金箱を持たせて強制送還。
深夜、林檎と晴貴を自宅まで送り届けた。
西中郷素衣と高萩直の二人は、
短い仮眠を取ると日の出前に帰途につく。
国道245号線を南下するとすぐに、
スーパー銭湯の入口があり、そこを左折した。
海岸段丘の急坂を降りて行くと、川原子海水浴場。
車を停め、白々明けの海風に身を任す。
「あの晴貴がねぇ~」
「女を連れて逃避行なんて……」
「小学校低学年の頃はいつもボーっと、
眠そうな顔していて、頼りなかった」
「その頃は足も遅くてね、
交通事故の影響かなって心配したわよ」
「駆けっこで弟の結貴にも負けた事あったわね」
「涙をいっぱいためて、
見ているこっちが切なかったね」
「バレーボールの練習でも自信無さげ」
「そんな晴貴がサッカーやりたいって」
「4年生の時だったよね」
「理由を知っている?」
「うん。11人で行うサッカーなら自分も出られるかもって」
「バレーボールでも最大9人までか」
「それから5年生の運動会」
「いつもビリ争いしていたのに」
「障害物競走で1等賞!」
「最後の『ドジョウすくい』で大逆転!」
「一番ビリでドジョウ桶にたどり着いたのに、
順番待ちしている皆を尻目に」
「不思議そうな顔して空いている前に回り込んで」
「サッとドジョウを掴んでバケツに移して、
トコトコトコと」
「2位の子が凄い勢いで追いかけてきたけれど、
逃げ切った」
「あの子、駆けっこの絶対的エースだったよね」
「会場もその日一番の大爆笑」
「誇らしそうだったよね」
水平線から太陽が顔を出した。
「それを見てあんた泣いていたじゃない」
「あなたこそ……私達みんなだね」
「遥香だけだよ『ほら見なさい』って、
晴貴を信じていたのは」
「その遥香が一番嬉しそうだった」
「きっかけって必要だよね……」
「信じて寄り添うことも大切だよ……」
潮風に吹かれて気分がよかった。
「林檎ちゃんみたいに悩んでいる子が、
まだ沢山いるのかな……」
「周囲の理解も含めて、
正しい知識って必要だよね……」
「私たちはどうだろう、
ずっと逃げ続けているのかも……」
「でも私にはアンタがいたから、
辛くはなかったよ……」
「遥香と晴貴の笑顔にも救われたね……」
二人は顔を見合わせ、軽くハイタッチ。
「やるか?」
「やろうよ、林檎たちのために!」
「遥香と晴貴のために、
私たち自身のために!」
決意を胸に、二人は車に乗り込む。
「あの曲、かけてよ!」
「試合開始よ!
ホイッスル鳴らせ~!」
現役時代、試合前に必ずチームで流していた曲を流す。
「よっしゃ~ とばすぞ!」
「ダメ! 安全運転!」
水樹海水浴場までの海岸沿いの道を、
波しぶきを浴びながら疾走する。
再び海岸段丘の急坂を登り、
伊立灯台の手前で国道245号線に合流する。
「私たちがこの国の未来を照らすのだ!」
「大袈裟! でもその意気よ!」
二人の決意は固まった。
それは1999年9月30日。
遥香と晴貴の生まれたその日に起きた。




