039《気象クラブ》
本編22
自分の生い立ちを打ち明ける事で、
伊師林檎は悲しい呪縛から解放された。
辛い経験をしっかり受け止めてくれる友達がいる。
相賀晴貴がバレーボールに集中しているのも嬉しかった。
晴貴は放課後、いたちかな市に通ってしまうので、
それまでより会える時間は減少したが、
成沢遥香の家に頻繁に泊りに行った。
そのたびに近所の子供達や寮生との交流も深まった。
大家族の一員になったようで楽しかった。
伊立市で過ごす冬は暖かかった。
林檎が伊立市に来て、二度目の春。
さくらロードレースは5キロコースに出場。
遥香と競い合うように走って、
お兄様や晴貴とコース途中でハイタッチを交わす。
レース後はコース内にある林檎の自宅マンションで過ごした。
父・寿應も、母・蜜柑も、遥香・晴貴を温かく迎える。
「ねえ、夏休みには花火を見に来てね、
凄く間近に見えるんだよ。
私が初めて伊立に来た日なんて、
本当に目の前の海岸で打ち上がったんだから、
お兄様が仕込んでくれたんじゃないのかな」
「先輩、本当ですか?」
「そんな手の込んだ事を?」
「違うと言っているのに、なぜ信じない。
あれはホテル天宙閣で行われた、結婚式のオプションらしい」
「お前の結婚式の時には、盛大に仕込んであげるよ」
父・寿應の言葉に照れまくる林檎。
父をポカポカ、猫パンチ。
キッチンから見守る母・蜜柑も楽しそう。
伊師一家は、幸せなひと時を過ごしていた。
4月6日、水曜日。
新学年の始業式、成沢遥香は憤っていた。
2年生から2クラスが理系コースとなる。
「どうして私が理系クラスなのですか?」
2年9組の担任は、白衣姿の神経質な物理教師・駒井。
「君が希望したのではないのかな。
まあ、必ずしも希望通りにはいかないと説明はしてあるはずだが」
埒が明かない。
理系重視の生徒が2クラスにまとめられ、
そのほかは最小限の異動が行われた。
晴貴と林檎の1年5組も、数名の入れ替えがあったが、
小木津亜弥、多賀冬海、五人娘に骨本勝征、
担任の倉田もそのままで2年5組に。
駒井は「放課後、理科実験室に来るように」と遥香に命じる。
行く気はさらさらなかったが、
昼に出会った関校長にも念を押されてしまった。
プリプリしながら理科実験室に出向くと、
そこには十数人の見知らぬおじさん軍団。
関校長、小平教頭、9組・物理の駒井、10組・化学の金井。
なぜか元応援団の副団長。
そして女子生徒が二人、
3年生の生徒会書記と、4月からの同級生。
関校長が口火を切る。
「揃いましたね。彼女が成沢遥香さんです」
「おぉ」
感心するおじさん軍団のうち一人に確か見覚えが。
「この方達は、NPO法人サイエンス倶楽部の皆さんです」
そうだ、中学校の理科室にいた「理科室のおじさん」だ。
伊立市では伊立製作所や伊立化成のOBが、
各小中学校の理科室に詰めて授業の手伝いやアドバイスをする。
「それでは第一回気象クラブの会合を始めます」
小平教頭が開会を告げた。
元副団長が部長、遥香が副部長と紹介された。
遥香は訳が分からない。
取り敢えずおじさん軍団の自己紹介の間に「部長」に尋ねる。
「気象クラブって何ですか?」
「お前には借りがある。俺は名前を貸すだけだ」
一高随一の秀才は用意されていた名刺を弄ぶ。
遥香の前にも、安っぽい名刺。
『伊立第一高等学校 気象クラブ 副部長 成沢遥香』
「……京大に行かれた団長からも、言付かっている」
「心配ないから……」
もう一人の上級生、生徒会書記が背中を叩く。
「あなたはドンと構えて、指揮をしてくれればいいのよ」
「ハァ?」
どうやら気象クラブの副部長に祭り上げられたようだ。
これは関校長の差し金ね、
思い当たったのが昨年6月のピクニック。
理科室のおじさん軍団の他には、
校長の元部下で、伊立鉱山の総務部長、
伊立市の職員OBで、伊立気象台の元台長、
バックアップ体制は万全だ。
「……典型的な逆転層のモデルを構築しましょう」
「火災も事故も3月ですが、四季のそれぞれの……」
「伊立山林火災の立体地図を作っては……」
「SPEEDIデータを解析して……」
「大煙突の資料なら協力は惜しみません……」
「気象データなら揃っています、任せて下さい……」
勝手にどんどん話は進んで行く。
「待って下さい!」
たまらず遥香が立ち上がる。
一同の注目が集まる。
「……あの、私、その」
思わず叫んでしまったが、さてどうしたものか。
閃いた!
「……毎日バレーボールの練習があるんですけれど、
Vリーグの伊立シェーンハイトです」
「ほほう!」
「さすが一高生」
「文武両道とは頼もしい」
「放課後なら心配いらないわ、
昼休みにここに顔を出して」
生徒会書記がウインクする。
「私も一緒に、気象予報士を目指します!」
新しいクラスメートは目がキラキラ。
「これは私からのプレゼントだよ」
関校長が示したのは数冊の書籍。
『お天気の科学』『一般気象学』『気象予報士テキスト』……。
「明日のオリエンテーションでは、
新入生にしっかりアピールするように」
顧問の駒井。
外堀は完全に埋められた、あぁ四面楚歌。
もういい、疲れた、考えたくない。
理科室のおじさんたちと名刺交換。
遥香は天を仰いで運命を呪った。
お御輿に担ぎあげられてしまったようね。
シェーンハイトの練習にも毎日行く破目に、
しまった、藪蛇じゃないの!
ようやく晴貴はサッカー部に合流した。
春休み中の加入もままならず、
新入生と同じ扱いを受けた。
主将の代鱈は飼い殺しにする腹積りだ。
当初は伊立コンクレントへの練習参加も禁じられたが、
サッカー部は今年度から月曜日を休養日にしたため、
その日だけ晴貴は伊立コンクレントの練習に参加した。
立場が逆転した遥香と連れだって、いたちかな市に向かう。
遥香は「こっちの方がマシ」と斜に構えているが、
晴貴の目には嫌がっているようには見えない。
少なくとも月曜日は。
関東大会予選の前に、練習試合が行われた。
晴貴の加入を知り、OBたちも大挙押し寄せ観戦する。
背番号20、FWで先発する晴貴に向かい、
主将のGK代鱈が声を掛ける。
「今まで通りにやれ、遠慮することはない」
風当たりが強かったのに、さすがはスポーツマン。
そう思った晴貴は完全に嵌められた。
キックオフでボールに触れたのが最後、試合中に全くパスが来ない。
存在自体が無視されているように、
呼ぼうが、叫ぼうが、無駄だった。
試合終了後、主将の代鱈が激怒する。
「あの態度はなんだ!
自惚れるにも程がある!」
OBからも苦言続出。
それ以来晴貴に試合出場の機会は訪れなかった。
実力さえ発揮すればと監督の庄山は思っていたが、
OB主流派から言外のプレッシャー、
若いコーチは日和見状態。
練習でも完全に一年生扱い。
二年生は晴貴の実力を十分理解していたが、
三年生の目を恐れ声がかけられない。
それでも腐ることなく、
ボール拾いや声出しを続ける晴貴。
庄山監督は一計を案じた。
試合勘を失わせないためにも、
一年生同士の練習試合で主審を任せてみる。
晴貴はそつなくこなした。
主審の動きが半端じゃない、
運動量で両チームの選手を圧倒した。
近くで見ているので微妙な判定でも説得力がある。
徐々に審判を任される事が多くなった。
ボールボーイや応援よりも、
走り回っていた方が性に合う。
「アイツは審判要員だ、Cチームにしておけ」
代鱈主将は絶妙の落とし所を見つけた。




