038《何ですって!》
本編21
正月明け、小雪の舞う寒い土曜日だった。
上野駅に降り立った成沢遥香と相賀晴貴は、
公園口から上野公園・不忍池を経て、
大観記念館横の通い慣れた道を通り抜け、
池之端門から大学付属病院に入った。
毎年ここで健康診断を受けている。
今回はこれまでと違い、一般の診療棟ではなく臨床研究棟。
1990年にバラキ県で生まれた子供と言う名目で、
統計調査に協力している。
加えて臨界事故の起きた日に近隣で生まれたことから、
万が一の影響がないかを定期的に検診する目的も併せ持つ。
更には美島第一原発事故前から継続して、
甲状腺検診も行っている貴重なサンプルでもある。
勿論、親の同意の下、13歳の時と、16歳の今年も、
担当医師から丁寧な説明を受けた。
本人たちも理解して協力している。
検診着に着替えた二人は各種検査を受けるが、
日本でここにしかない最先端の医療機器もあった。
昨年は数十分じっとしていなければならなかった検査が、
数分で終わってしまうなど、進歩は目覚ましい。
担当医師は一年ぶりの晴貴の成長に目を見張った。
遥香も晴貴も全くの健康体だった。
成人したら、標準例として使いたいと冗談を言われた。
同じような検診着の被検診者が何人かいたが、
プライバシーに配慮され、出会うことは希だった。
しかし、思わぬ場所で運命の糸が交差した。
「林檎、どうしてここに?」
「……」
検診の終わった遥香はトイレ前で伊師林檎と遭遇した。
これから検診の林檎の目が泳ぐ。
「晴貴も、来ているよ……」
事情を知らない遥香は当然そう告げた。
「!」
林檎はトイレの個室に駆け込んで閉じこもった。
ここにいることを知られたくなかった。
特に晴貴には。
伊師葡萄の検診は始まっていたが、
顔見知りのベテラン看護師が呼びに来た。
「本郷さん、妹さんが……。ちょっと来て!」
よほど慌てていたのか旧姓で葡萄を呼んだ。
女子トイレの前に人だかりがしていた。
少し離れた所に佇む晴貴の検診着姿に葡萄は目を疑う。
「まずい事になったな」
目を合わせると晴貴も驚いた表情を見せた。
看護師に導かれて女子トイレに入ると、
女医に若い看護師、男女の警備員。
そして検診着姿の成沢遥香。
遥香は葡萄を見てホッとした表情。
「本郷さん、お兄様よ!」
女医が閉じこもった林檎に語りかける。
「来ないで、誰も来ないで!」
中から林檎が叫ぶ。
「林檎、俺だ、どうしたんだ?」
「本郷さん、お願いだからここを開けてちょうだい」
本郷さんって、林檎の事?
遥香は訳が分からない。
「もう、イヤ……」
林檎のすすり泣く声。
葡萄は男の警備員に目配せする。
トイレ扉上部の開放部分に手を掛けると、
警備員が葡萄の足を持ち上げる。
「林檎、失礼するぞ」
「来るな、変態バカ兄!」
覗き込んだ形の葡萄に対して、
林檎がトイレットペーパーを投げつける。
物よりも林檎の言葉が葡萄に突き刺さって転げ落ちる。
「刺激してはまずいわ」
女医が制する。
「本郷……伊師さん。落ち着いて、一体どうしたの」
「伊師って本郷なんだ……」
遥香の独り言に、尻餅をついたままで、
ショックを隠せない様子の葡萄が答える。
「本郷は俺達の、旧姓だ……」
「旧姓って……」
遥香にも何か事情がありそうなことは理解出来た。
林檎がわんわん泣き始めた。
「とにかく、最悪の事態には陥っていないから、
伊師さんが落ち着くのを待ちましょう」
女医が提案する。
ベテラン看護師と女警備員を残して一度態勢を立て直す。
晴貴とも合流して状況を整理する。
林檎の立てこもりを知り、
説得に向かおうとする晴貴を葡萄が取り押さえる。
今のお前では逆効果だ、と。
それぞれがここにいる理由も明らかになる。
そこで初めて遥香と晴貴は伊師兄妹が、
美島県三葉郡三葉町の出身だと聞かされた。
美島第一原発の事故で故郷を追われた。
母親の旧姓が「伊師」で、父親の姓「本郷」から改姓した。
健康診断を受けているのは、美島県の健康管理調査によるもの。
説明はそれだけで充分だった。
しばらくすると林檎が落ち着いたようだ。
女医。看護師。葡萄お兄様が代わるがわる説得に向かう。
晴貴が行きたがるが、林檎は晴貴の存在を最も恐れているようだ。
遥香が向かった。
「あのさあ、林檎……」
「帰って!」
「……うん、そうする……」
「……」
「……帰る前にね、一つだけ聞いて……」
「……」
「林檎、実は私達……、
私と晴貴は、本当は双子じゃないんだ。
姉弟でもない、ただの幼馴染で赤の他人……。
騙していたようでゴメンネ」
「何ですって!」
驚愕の表情で林檎が扉を開けた。
ニヤリと遥香。
「あ……」
若い看護師が林檎にしがみつく。
看護師ごと警備員がトイレから引きずり出す。
「嘘つき!」
籠城劇は終わり、林檎は素直に従った。
「世話を掛けたな成沢。
双子じゃないなんて咄嗟に良く思いついたな……」
「う~ん、本当の事を言っただけなのだけれど……」
葡萄も林檎も遥香の言葉を「機転」と信じた。
何もできない晴貴は、林檎と会う事も叶わず、
ただ歯ぎしりするばかり。
伊師寿應は後輩の女医、荒川沖岬からの電話を受けると、
土曜日に詰めている、北バラキ市の病院から自宅に戻り、
妻の蜜柑をピックアップして常磐高速をひた走る。
仕事の関係で、今回の検診は手伝えなかった。
後輩でタレント活動もしている荒川沖が参加していた。
愛娘の引き起こした騒動の報告を受けた。
「どうして、林檎が……」
母親の蜜柑が憔悴している。
父親の寿應も急ぎたかったが、
電話を言い訳に谷守SAで一呼吸。
焦っては駄目だ。
寿應は後輩の荒川沖に電話して様子を尋ねる。
娘は落ち着いているようだ。
原因は同級生と鉢合わせした事、
どうやら彼氏らしい。
検診を受けている双子の同級生?
寿應には思い当たる節があった。
だが、被検診者のプライベートは例え妻でも教えられない。
巡り合わせなのか、彼らなら林檎のことを理解してくれる。
林檎と同じように健康なはずだ。
生物学的には双子じゃないけれど、
社会的にはどうなのかな。
籠城劇はお咎めなしで処理された。
林檎は両親に連れられて、遥香と一緒に車で帰った。
葡萄は晴貴に付き合って、常磐線の特急に乗る。
この際、葡萄から話しておきたい事が沢山あった。
林檎は月・火の2日だけ「風邪」を理由に学校を休んだ。
水曜日、疲れた顔をマスクで隠して登校してきた。
放課後、林檎は晴貴をシビックセンターの天球劇場に誘う。
勇気を出して自分の口から伝えなければならない事がある。
晴貴は取り敢えず、遥香と葡萄お兄様には知らせておく。
林檎は朝から無口で、不調なようだ。
話しておきたい事が、なかなか切り出せない。
葡萄から聞いている晴貴は、無理に聞き出そうとはしない。
「お腹、痛いのか?」
林檎は僅かに首をふる。
「……眠れ……ないのか?」
林檎は目を閉じて、小さく頷く。
「そっか、眠れないって、結構辛いよな……」
林檎は晴貴の肩に頭を預ける。
並んで座った晴貴だけではなく、
遥香と葡萄お兄様も離れた席から見守っている。
心配して一高からそっとつけてきた小木津亜弥と多賀冬海。
1Fのカフェ、パンドゥトロアを根城にしている五人娘まで。
林檎は短い間だが、プラネタリウムの星の下、晴貴にもたれて眠った。
みんなに見守られて、目覚めた時には、少しだけ元気になっていた。
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ライネンドカラシュウガクリョコウフッカツダッテサ、
31ネンブリ、ドウシテヤメチャッタノ?
コクホウノ○○○○○○ニ、ラクガキシタンダッテサ、
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