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003《遥美母さん》

本編03

 たしかひと月前の中学卒業までは同じくらいの背丈だったはずだ。

 それまでは常に遥香の身長の方が高かった。

 だが今は、明らかに遥香が晴貴を見上げている。

 遥香は足下を見た。

 晴貴が背伸びしていないか、何かに乗っていないか確かめた。

 晴貴は照れたようにそっぽを向いて答える。

「多分、10センチくらい……」

「ああ、おお兄ちゃんが一番大きい!」

 媛貴が手を叩く。


 遥美もキッチンからわざわざ戻ってきた。

「まあ、本当だ、男の子の成長期ってこうなのね……」

 遥美は感慨深げに晴貴を見回して気が付いた。

「……あら、スラックスの裾、これじゃ短いわね。

 ……すぐに直さなければ……ああ、でも今からじゃ……」

 困惑する遥美に、晴貴が言う。

「良いですよ、今日は、しばらくは我慢します」

 遥香は何故かムッとして掴んだままのネクタイを引き寄せた。

「これで勝ったなんて思わないで!」

「何の話だよ」

 晴貴は苦笑する。

 遥香はネクタイをポイっと放す。


 ムスッとしたまま壁に掛けられたブレザーを着て後ろ髪を整える。

「ハル姉ェ似合っているじゃん」

「ハルカお姉ちゃん似合っているじゃん!」

 晴貴がからかうと媛貴が真似した。

 遥美は目を細めてその様子を眺めている。

「うっさい!

 ……行ってきます、ママ」

 母親の返事も聞かずに遥香は玄関に向かう。

 行ってらっしゃ~いと媛貴が追いかける。

「それじゃ、俺も……」

「晴貴、『お母さん』に挨拶はしたの?」

 遥香が乱した晴貴のネクタイを、きちんと直しながら聞いた。

「はい、さっき済ませてきました」

 遥美は満足そうに頷いた。

「そう、行ってらっしゃい。

 遥香をよろしくね、同じクラスになれるかな?」

 遥美は食器をかたづけ始めた。

 今日は元チームメートに報告する事が盛り沢山だ。

 さて何からツイートしようか。


 玄関から遥香が「行くよ」と叫ぶ声が聞こえる。

「あの、行ってきます……その……」

 またしても晴貴は言い淀んだ。

 遥美は背を向けたままふと洗い物の手を止めた。

 ためらいながらも晴貴は思い切って言いたかった言葉に力を込めた。

「……行ってきます……遥美『母さん』……」

「……行ってらっしゃい……」

 遥美は振り返れなかった、晴貴が初めて自分の事を「母さん」と呼んだ。


 玄関で待つ遥香は聞き耳を立てていた。

 こちらの玄関にも何故か『バレーボール厳禁!』の貼紙がしてある。

 晴貴が靴を履くのを待って遥香はぼそっと言った。

「みんな待っているよ」

「ハルカお姉ちゃん、おお兄ちゃん、早く、早く!」

 ドアを開けバレーボールを抱えた媛貴が急かした。

 アパートの前は舗装された駐車場で、この時間はほとんど空いている。

 そこに10人程の子供たちが集まっていた。

 みんなこのアパートの子供たちだった。


 1994年のバレーボール「最初の」プロ事業化の時、親会社の伊立製作所では実業団バレーボールの強豪チーム「伊立北部(男子・女子)」を抱えていた。

 紆余曲折の末、現在では女子がVプレミアリーグの伊立シェーンハイトに、

 男子はVチャレンジリーグ男子Ⅰの伊立コンクレントに主体が移った。

 エンブレムが酷似しているのはそのためだ。

 その過程で伊立製作所に残った者も多く、伊立地域のクラブチーム、

 関東地域リーグ・伊立北部シュトゥルムとして活動を継続している。

 伊立北部バレーボール部独身寮の隣にあったこのアパートには、

 地元伊立製作所に籍を置く関係者の宿舎としての役割が残っていた。


「本当だ! ハルキ兄ちゃん、でっかくなった」

「ハルカお姉ちゃん可愛い!」

 子供たちが次々に集まってきた。

 媛貴が色々と吹聴していたらしい。

 子供たちの母親も遠巻きに見ている。

 カメラを構えている者もいる。

 ほとんどが遥美・貴美の元チームメートだ。


 皆、亡くなった貴美の忘れ形見の成長を気に掛けていた。

 移籍や引退・結婚などで伊立市を離れた者も、何かあると集まってくる。

 ひと月前の卒業式でもそうだった、遥香と晴貴の進学する高校に制服がないと知り、

 入学祝いのブレザー一式をプレゼントしてくれたのも彼女たちだった。

 幸いなことに貴美の遺児たちは三人ともすくすくと成長した。

 亡くなった母親のチームメートを○○ママ、○○ママと呼んで懐いていた。


 駐車場では子供たちが自然に輪になった。

 遥香と晴貴が一番年長だ。

「それじゃ今朝は特別にトス100回、スタート!」

 遥香が宣言してバレーボールのトス回しが始まった。

 このアパートで伝統的に行われている子供たちの朝の約束事だった。

 登校前に時間が合った者同士でトスを行う。

 相手がいなければ一人でも行う。

 今日はまだ春休みの子供たちが多く、いつにも増して盛況だ。

 ミスをしても回数のリセットはしない。

 おおらかにトス回しを楽しんでいる、みんな笑顔だった。


 ここのアパートにはもう一つ約束事がある。

 室内バレーボール禁止がそれだ。

 そうしないと必ず室内の何かが壊れることになる。

 バレーボールがしたければ外のコートか体育館に行け、それが掟だった。

 隣接する独身寮にあった専用体育館は震災でダメージを受け、取り壊されていた。

 跡地に屋外コートが残ったが再建の見通しはない。


 キッチンで遥美は洗い物を終えた。

 壁に現役時代の集合写真が留めてある。

 当時の実業団強豪チーム、伊立北部女子。

 その中の貴美に話しかけた。

 晴貴は大人になったよ、結貴も媛貴もみんな良い子に育っているわ……。

 写真の中の貴美はいつもにも増して笑っているような気がした。

 遥美は目尻の涙を拭い、ツイートするためのスマートフォンをいそいそと取りだした。


 外ではトス回しが100回に達した。

 歓声を挙げて子供たちがお互いにハイタッチを交わす。

 最後に遥香と晴貴がハイタッチを交わす。

 今まで何回も何回も交わしたハイタッチだが、今回はちょっと勝手が違った。

 晴貴はわざと屈もうとしない。

 遥香は目一杯背伸びする。

「やるじゃない!」

 そう言って遥香は思いっきり両手を打ちつける。

「何の事かな?」

 とぼけながら晴貴は両手をしっかりと受け止めた。


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ドキドキ、ワクワク、ハヤクコイコイ、シンニュウセイ・・・

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