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026《恋がしたい》

本編14

 7月23日(木)、夏休みの初日。

 高校野球の県予選の全校応援に駆り出される。

 伊立市民運動公園内の市営野球場。

 対戦相手はバラキ師恩学園高等部。

 応援をリードするのは急造の応援委員会。

 応援団は不祥事で解散させられていた。

 校旗を支える旗持ち二人が頼りない。


 試合は一高の勝利。

 湧き立つ三塁側の一高応援席だったが、

 旗持ち二人は限界だった。

 倒れかけたが、気がついた相賀晴貴がいち早く駆け付け支える。

 旗持ち二人は安心してしまい、晴貴一人に負担がかかる。

 こりゃだめだ! せめて人のいないところに……。


 諦めかけたところで、数本の手が旗を支える。

「一年坊主が良い格好するな!」

 ラグビー部のキャプテン。

「俺たちはこの校旗の下で戦っているんだ」

 皮肉交じりのサッカー部のキャプテン。

「ご苦労だが、そういうことだ、相賀」

 バレーボール部の伊師葡萄。

 世代交代した新チームの主将達が勢揃いで校旗を支える。


 試合後のエールの交換が始まるが、応援委員会は対応できない。

 期待を込めた応援団コールが沸き起こる。

 元応援団のメンバーが集合するが教師に制される。

 元応援団長は通路にがっくりと膝をついた。

「どうすればいいのよ?」

 横にいた成沢遥香が尋ねる。

 うつろな目で見上げる元応援団長。

「相手がいるんでしょう、何とかしなきゃ礼を失するじゃない」


「……まず、フレー、フレー、一高……」

 聞いたまま遥香が音頭を取る。

 戸惑いながらも同調が広がる。


「……次に、カシラ右……」

 遥香の先導で一塁側に向き直る。

 応援委員会がフォローする。


「……そして、フレー、フレー、師恩……」

 どうにか形だけはエールの交換を済ませることができた。


「……済まん……恩にきる……」

 元応援団長は苦渋の表情で、遥香に礼を言う。

「いいわよ、別に」

 次の試合はいたちかな市民球場。

 遥香は応援委員会からスカウトされたが固辞。

 だって、夏休みだもん。



 8月26日(水)に夏季休業は終了、27日と28日が第2回実力考査。

 9月に入ればサッカー部は選手権の一次予選が始まる。

 晴貴もJ2ゾンネンプリンツのユースでFWのレギュラーに定着。

 試合中に見せる激しい闘志が、監督に気に入られた。

 夏季休業中に一高と対戦したが、完膚なきまでに叩きのめしてしまった。



 賀多高等学校の体育館を出ると陽は西に傾きかけていた。

 練習試合を終えた伊師林檎たち一高女子バレー部の一年生は、

 自分の荷物とは別にチームのバレーボールケースを抱えていた。


「どうして今日に限って私たちがボールを持って帰らなければならないの?」

「仕方ないじゃない、先生にだって家族サービスさせてあげなくちゃ」

「奥様と二人のお子さんを迎えに行くのでしょう、奥様ってどんな方かしら?」

「案外、尻に敷かれていたりしてね」

「でもこれじゃ帰りにどこへも寄れないじゃない!」

「それよりも明日、これ持ったまま登校なんて最悪!」


 一度学校に戻るかどうか議論しつつ林檎たちは体育館を後にした。

 伊立電鉄線を利用すれば一高までは4駅。

 校庭を見下ろす体育館から伊立電鉄線・鮎沢駅へ向かう通路は、

 緩やかな下り坂になっていて野球場とサッカーコートの間を抜けて行く。

 一部はコンクリートで段差が施され、観覧席代わりにもなっていた。


 独りだけ林檎が遅れ出した。

「林檎、どうしたの?」

「ごめんね、ちょっと……母が迎えにきてくれるみたい。

 明日の朝が大変だけど学校には戻らない。

 みんな先に行っていていいよ」

「そう、それじゃまた明日」

 またね、バイバイ等と口々に別れの挨拶を交わした後、

 林檎は校庭に向かい腰を下ろす。


 グランドでは賀多高サッカー部が対外試合をしていた。

 あまりサッカーには詳しくない林檎にも、

 一方のオレンジ色のユニフォームには見覚えがあった。

 地元のJ2伊立ゾンネンプリンツのユースチームだった。

 FWで晴貴が出場していた。

 林檎は黙って晴貴の動きを目で追っていた。

 やがてゾンネンプリンツユースの勝利で試合は終わり、

 グランド整備が始まった。

 陽はだいぶ西に傾いている。

 林檎は身じろぎもしない。

 横顔を西日が赤く染めていた。


 そんな夕陽を遮るように誰かが横に立った。

「お前、何しているんだ?」

 林檎がゆっくり振り仰ぐとそこには晴貴が立っていた。

 家が近くなのでゾンネンプリンツのマイクロバスには乗らない。

 右肩越しに背中へスポーツバッグを振り下げ、

 左手には裸のままのスパイクをぶら下げていた。

「……別に」

 いつものようにそっけない返答だった。

「まさかとは思うが俺を待っていたとか?」

「バカじゃないの!」

 林檎はそっぽを向いた。

 晴貴は気にせず、少し間隔をおいて座った。


「で、どうだった、見ていたんだろう。

 サッカーの感想は?」

「あなた試合中は俺様全開、別人ね。

 きっとハンドルを持つと人格が変わるタイプだわ」

「良く言われる。

 ……ピッチの中だと全てから解放されるような気がするんだ」

「野蛮ね。

 ボールを蹴るふりをした相手に足を蹴られていたでしょう。

 ユニフォームを引っ張ったり、身体をぶつけたり、

 ……どうしてやり返さないの?」

 晴貴は揚げ足をとった。

「やり返す? そんな野蛮な事を?……」

 林檎はキッと睨みつけた。

 晴貴は苦笑しながら続ける。

「……やりたいヤツにはやらせておけばいいんだ。

 実力がないことを白状しているようなものだから。

 それにいい審判ならちゃんと見ているし……でも」

 晴貴は林檎をまじまじと見つめた。

「……よくそんなところまで見えていたな」

 林檎はうつむいた、西日のせいか顔が赤い。

 しばらく双方とも無言が続いた。


 やがて林檎が遠くを見つめながら静かに問いかける。

「……教えてよ、何でサッカーなの?

 ……お兄様があんなにバレーボールの練習に誘っているのに、

 失礼じゃない。

 ちゃんと伊立コンクレントの練習には行っているの。

 なんかムカつくわ。あなたといい、バカ女といい。

 バレーボールのどこが嫌いなのよ?」

 晴貴も同じように遠くを見ながら答える。

「別に嫌いになったわけじゃないよ、俺もハル姉ェも。

 まあ、ハル姉ェはどうだか知らないけどさ……。

 バレーボールは限られたコート内で相手との接触も少ない。

 でも手の内の読み合い、駆け引きとか戦術、

 味方とのコンビネーション。

 瞬間々々の判断、試合の流れのコントロール。

 1点ごとの達成感。

 そこには無限の広がりがある、充分に魅力的だよ」

「でもあなたはサッカーを選んだのでしょう?」

 どことなく寂しげな表情で林檎が呟いた。

 視線は足下を彷徨う。


「困ったな、何でだろう?

 サッカーはサッカーで魅力的なのだが、説明するとなると……。

 突き詰めてそんなこと考えたこともないし……。

 中学校みたいに両立するのは難しいからかな。

 ……きっとコートの広さが性に合っているんだよ。

 野球でもラグビーでもよかったのかもしれない」

「何よそれ、あなたは一体何がしたいの?」

「そう言うお前は何がしたいんだ?」

 混ぜっ返すように晴貴が言った。

 言ってからハッとした。


 林檎は息をのんだ。

 予想もしなかった反問に目を丸くした。

 バレーボールに決まっているじゃない! とは言えなかった。

「……それは……」

 即答できない自分がもどかしかった。

 私がしたいのはバレーボール。

 いつもの完全武装した自分なら自信満々に答えていただろう。

 でも本当にそうなのか?

「…………」

 言葉が出てこない。


 両親はバレーボールの経験者だった。

 幼い頃から環境が整っていた。

 コートに立つお兄様に憧れた。

 クラブでコーチに誉められた。

 どこに転校しても部活で活躍した。

 強豪校から誘われた。

 顧問も先輩も期待している。

 家族も友達も応援してくれる。

 大好きなお兄様に認められたい……。

 でも、私は本当にバレーボールがしたいの?


 晴貴はうつむいた林檎を静かに見守った。

 質問が何か核心をついた事だけは分かった。


「……わ、私は……」

 林檎はようやくそれだけ言えたが、何故か涙目になっていた。

 うろたえている自分が恥ずかしかった。

 何か答えねばと焦ったが思考停止状態で頭は真っ白だった。


 お兄様の影が頭を過ぎった。

 大好きなお兄様。

 お兄様も私を可愛がってくれる。

 同級生からは常に羨ましがられる自慢のお兄様だった。

 お兄様に言い寄る女子が許せなかった。

 これまで誰に告白されても、ついお兄様と比べてしまう。

 お兄様以上の男性なんてこの世にいなかった。

 お兄様以上の男性なんてこの世に存在してはならない。

 お兄様こそ林檎の全てだった。

 お兄様こそ林檎の愛する全てだった……。

 お兄様に褒めてもらいたい。

 お兄様に愛されたい……。


 ぼんやりと晴貴を見たが視点が定まらない。

 心配そうにこっちを見ているようだ。


 突然、封印したはずの記憶が溢れ出て来た。

 小学校で遭遇した大地震。

 校庭で兄に抱きつく林檎。

 避難所での両親との再会。

 煙を上げる美島第一原発。

 とにかく西に逃げろと言われ呆然とする母子。

 お家に帰りたいと愚図る林檎。

 遠く知らない土地の体育館。

 林檎を抱きしめて詫び続ける母親。

 繰り返す転校、知らない医師の問診……。


 心ない中傷。

 陰口。

 嘲笑。

『林檎菌が感染するわ……』

 友の裏切り。

 仲間はずれ。

 不信感。

 眠れない夜……。


 最後に一瞬だけ、ピクニックの思い出が甦った。

「ほら一緒に行くぞ」

 そう言って晴貴は林檎の手を取って立たせた。

 初夏の日差しが眩しかった。

 反射的に思いもよらぬ言葉が出た。


「……私は……恋がしたい……」


 原発事故に遭遇した自分は、それを望んではいけないと勝手に思い込んでいた。


 最初は自分でも言った意味が分からなかった。

 瞳にたまった涙が思わずこぼれ落ちた。

 徐々に、何か大変な発言をしたような気がしてきた。

 自分の意志とは関係なく、とめどなく涙がこぼれた。


 晴貴が何か言った。

 しかし何も聞こえない。

 晴貴がゆっくりと顔を寄せてきた。

 林檎はピクリとも動かない

 晴貴の唇が林檎の唇に触れた。

 ほんの少しだけ、軽く触れた。

 離れて行く晴貴の表情は柔らかい逆光で良く分からなかった。


 呆けたように林檎は立ちあがる。

「私、帰る……」

 何も持たず、ふらふらと歩を進める。

 晴貴が声をかける。

 やはり林檎の耳には届かない。

 晴貴は林檎の荷物も抱えて後を追った。


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