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002《入学式の朝》

本編02

 4月6日。今日は県立高等学校の入学式。

 相賀晴貴はまだ寝ている中学生の弟・結貴を起こさないように静かに着替えた。

 入学するバラキ県立伊立第一高等学校は私服通学だった。

 中学で着ていた詰襟の学生服を着られなくなるまで使おうと思っていたが、

 入学祝いにブレザー一式をプレゼントされたので、そちらを着用した。


 ワイシャツにエンジのネクタイ。

 ブルーラインの入った白いニットベスト。

 紺のブレザーとグレーを基調にしたチェックのスラックス。

 ブレザーのエンブレムには日の出をイメージしたバレーボールと、

 Konkurrentの文字がデザインされている。

 Vチャレンジリーグ男子Ⅰの伊立コンクレントの公式エンブレムだ。


 ブレザーを贈ってくれたのは亡くなった母親・貴美の元チームメート達だった。

 晴貴達の母は十年前に妹・媛貴を生んだ直後に他界していた。

 当時からチーム宿舎のアパートに住んでいるので、

 ご近所、特に母親の元チームメートたちが何かと気を遣ってくれている。

 その中でも隣に住む一家は晴貴と同い年の娘がいて家族同様の付き合いだった。


 居間に寄ると父親・勝善はもういなかった。

 Vプレミアリーグ女子・伊立シェーンハイトの監督をしている父は、

 第64回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会に向けて既に出かけていた。

 残念ながらホームタウンは伊立市から、いたちかな市に移っている。


 小学生の媛貴の姿もすでにない。

 まだ小学校は春休みだったが、妹はいつも朝が早かった。

 おそらくもうお隣で朝食中だろう。

 仏壇に向かい母親の写真に手を合わせる。

 写真は試合中のスナップショット。

 ショートカットで向日葵が咲いたような満面の笑顔だった。

 お母さん行ってきますと心の中で唱えて晴貴は玄関に向かう。


 玄関には使い古したバレーボールが転がっていた。

 壁には何故か『バレーボール厳禁!』の貼紙。

 晴貴は革靴を履くと、静かに102号室の扉を閉めて施錠した。

 すぐに向かいの101号室のチャイムを鳴らす。

 返事を待たず一呼吸置いてから持っていた鍵でドアを開けた。


「おはよう、晴貴、良く眠れたか?

 やっぱり、ブレザーにしたんだ!」

 ダイニングテーブルで成沢遥香がご機嫌な様子でトーストにジャムを塗っていた。

 肩までのストレートヘアにワイシャツ、エンジのリボン。

 ピンクラインの入った白いニットベスト。

 グレーを基調にしたチェックのプリーツスカート、白のハイソックス。

 壁には紺のブレザーが掛けられている。

 ブレザーのエンブレムは晴貴と微妙に違っている。

 日の出をイメージした赤いバレーボールは同じだが、

 Schönheitの文字がデザインされている。

 Vプレミアリーグ女子・伊立シェーンハイトの公式エンブレムだ。


「おはよう、おお兄ちゃん、良く眠れたか?

 やっぱり、ブレザーにしたんだ!」

 背中までの三つ編みで、ジャージ姿の妹・媛貴が遥香の真似をした。

「おはよう、晴貴、よく似合っているわよ。

 ……目玉焼きでいいわよね」

 遥香の母・遥美がキッチンから尋ねる。

 軽くパーマを掛けた髪。

 ワンピースにエプロン姿。

 今でもママさんバレーで活躍している。

 相変わらず若々しかった。


「おはようハル姉ェ、おはよう媛貴、おはようございます遥美、ママ……」

 遥香は晴貴の言葉に違和感を覚えた。

「ママ」の発音が今までと微妙に違う。

 一瞬言い淀んだような気がした。

「……目玉焼きでお願いします」

 ニヤニヤしながら遥香がコーヒーを晴貴に渡す。

「どうしたの? 今日の晴貴、何か変!」

「どこが変だよ!」

「おお兄ちゃん、パン2枚だよね!」

 媛貴がトースターに食パンをセットする。

「今日から高校生ですものね、いろいろと変わるわよね……」

 ベーコンをフライパンで焼きながら、遥美は卵を二つ容器に割り入れた。

「……ところで晴貴、今日クラブはあるの?」

 遥美が尋ねる。

 クラブとは晴貴が所属する地元のサッカーチーム、

 J2伊立ゾンネンプリンツのユースチームの事だ。


 母親が亡くなった時、晴貴は幼稚園児だった。

 交通事故で右足にひびが入り、1カ月ほど入院していた。

 昼間から一日中横になっているので夜、眠れなかった。

 病室での寂しさも夜の不眠に輪をかけた。

 病院からの初めての外出が母親の葬儀だった。

 幼馴染の遥香がずっと手を握っていてくれた。


 当時は母親の死の意味が理解できなかった。

 成長するにつれて、母親の死は自分の入院が一因だと思うようになる。

 同時に不眠にも悩まされることになった。

 少年団でサッカーをするようになってからは、疲れ切るまで練習に打ち込んだ。

 両親譲りの運動神経で上達は著しかった。


 すぐにゾンネンプリンツから声が掛かり、ジュニアユースでは中心選手となった。

 中学校ではバレーボール部に所属し、こちらでも二年生からレギュラーになった。

 双方に折り合いをつけながら両立させていた。

 通学している学校とは違う世界でのびのびと活動する代わりに、

 一時はクラスでは孤立することがあった。

 中二の時は些細な誤解からイジメの標的にもされたが、意に介さなかった。

 自分の居場所が明確にあったので、平然としていられた。


「今日のクラブは休みです」

「そう、良かった、それじゃみんなで学校に迎えに行くから。

 どこかでお昼を食べてからお墓参りに行きましょうね。

 何時頃が良いかな……」

 容器の卵をフライパンにサッとあけて形を整え、蓋をしながら遥美は続ける。

「……遥香もいいわね、媛貴はどうする?」

「何時でも大丈夫よ。

 どうせみんなで入学式にも乱入して写真撮りまくるのでしょう?」

「媛貴も行く! ママたちみんな来るんでしょう!」


 そこで遥香は合点が行ったように手を打った。

「あ、そっか、素衣お姉ちゃんと、直お姉ちゃんが来るから、

 それで晴貴は緊張しているんだ」

「何でだよ」

「だって素衣お姉ちゃんと直お姉ちゃんを、お嫁さんにするんでしょう?

 二人ともその気満々よ」

 遥香が晴貴を茶化した。

「それはいつの話だよ! もういい加減にしてくれ!」

「あらあら、それじゃ二人とも悲しむわよ、ウフフ……」

 遥美が笑顔で目玉焼きのプレートを晴貴の元に運ぶ。

「う~ん、……までそんなことを……」

 遥香はまた違和感を覚えた。

 今日の晴貴は遥美を「ママ」と呼ぶのを意識的に避けている気がする。


「結貴はどうするのかしら」

「あいつは放っておいても大丈夫。

 一人前に反抗期らしいから……」

「晴貴はそんな事なかったのにね……」

 二人のやり取りを聞いていると、やはり晴貴は遥美の呼称を誤魔化している。

 何を考えているのか遥香は気になった。

「やっぱり変ね、晴貴!」

 遥香は食事を終えた晴貴のネクタイを引っ張って立たせた。

「あんた一体何を企んで……いる……の?」

 遥香は強烈な違和感を覚えた。

 今度は視覚的に。

「晴貴……、また背……伸びた?」


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

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