第2節
「革命って――」
エリアルの言葉を繰り返し、デリックは混乱した。
子供たちを攫うだけでなく拉致監禁した一味が革命を起こすつもりだとエリアルは考えているのか。革命の筆頭に、イアンを掲げて。
「冗談じゃない」
犠牲者を出すような卑劣な行為は革命ではない――などと綺麗事を並べ立てるつもりはない。デリックは良くも悪くも、ノースストリートで生まれ育った。そして、自らの意思でノースストリートを出た。外の世界も、箱に囲まれた孤立した世界も知っている。
犠牲なくして変化はない。その犠牲をいかに最小限に抑えるかが、革命をもたらすリーダーの資質である。しかし、どのような考えを持とうと、デリックにとって革命とはあくまで紙の上の出来事だった。これまでの人生で、革命と呼ぶような瞬間に立ち会ったことはない。
高尚なことを考えても、物分りの良い大人のように理解した気持ちになっても、所詮は想像にすぎない。
実際の革命がどのようなものなのか、経験したことのないデリックには未知の世界だ。ノースストリートを支配し、豪遊でもするつもりだろうか。
デリックには、ニコラスが反政府を掲げるような男だとは思えなかった。
「ガキども利用して何を始める気だよ?」
「スチュアートの推測が、的外れではなかったってことかな」
スチュアートの推測。それは、子供たちを洗脳するつもりで誘拐したと話していた内容のことだろう。デリックはエリアルの顔を穴が空くほど見つめた。
「子供たちに自分たちの都合を押しつけて、それがいかにも真実かのように信じ込ませるんだ。新たな革命者の粒を育てることにも繋がるし、自分たちの味方を増やすことにもなる」
「本気で、革命を起こす気だってのか?」
当惑が声に出た。デリックの動揺に、エリアルが生真面目な顔で頷く。これまでの彼の名探偵ぶりから考えても、でたらめに嘘を並べているわけではないだろう。
「じゃあイアンは?」
イアンの姿を不意に思い出す。ニコラスは彼を筆頭に、ノースストリートを支配する算段だと先刻までは考えていた。しかし、イアンが現れなかった非常事態でも、ニコラスは動揺を見せていない。
彼が爆発させたのは疑いようもない「怒り」だった。イアンを罵る言葉を吐いて、リーダーと崇めていた様子を窺わせない。
イアンがニコラスに騙されていたのだろうか。
「イアンはニコラスの行動をさっき知ったばかりのはずだ。電話越しの連絡で初めて」
デリックたちと対峙していた数時間前。イアンが取った電話で、初めてニコラスの仲間が子供たちの誘拐を告げた。イアンにとっては寝耳に水の話である。
「アイツは、革命なんか起こす気はないってことか」
「イアンにその気があるかないかは分からない。でも、少なくとも、ニコラスの行動を肯定はしてなかったと思う」
ニコラスの居場所をデリックたちに教え、ニコラスの人となりを話し、忠告したのは他でもないイアンだ。エリアルの推測通り、彼はニコラスの味方ではなかった。勿論、デリックたちの味方でもない。
イアンという男は、ノースストリートの一角に変化をもたらした。実際に会ったことで、彼が上に立つ男であることは理解できる。人を従わせる器量が、イアンにはある。しかし、ニコラスは違う。
「イアンというリーダーがいなくなった今、ニコラスが革命を成功させられるとは思えないな」
漏れた言葉は率直な意見だ。
「うん。ニコラスが起こそうとしているのは、政治的革命ではないんだろう」
エリアルが、板と板の隙間から侵入してくる今にも消えそうな光を見つめ、目を細めた。微光がどこから漏れているのか判断できない。蛍の光のように、目を離せばあっという間に消えてしまいそうだ。
「だったら一体?」
エリアルが目蓋を閉じた。そして、ゆっくりと開かれていく目蓋の奥から、微光を受けて僅かに光る双眸が覗く。
「ニコラスは、ノースストリートを破壊しようとしているんだ」
漏れ入ってきた光が、蝋燭の火を吹き消すように揺らいで消えた。
ギシギシと板が軋む音と、目張りされた窓を風が叩く音――それらが倉庫内に響く。次いで聞こえてきたのは数名が忙しなく周囲を歩く足音だ。潜められた声が倉庫内に反響する。
ここは音がよく響く。小声であっても雑音混じりにデリックの耳には届いた。
「ニコラスが捕まった」「戻って来ない」「まずいぞ」――様々な言葉が投げられて、ニコラスの仲間の動揺が知れる。ランドルが無事にニコラスを逮捕したようだ。
「聞いたか? エリアル。ランドルたちが捕まえたらしい」
エリアルが無言で肯定する。この誘拐事件で指示を出していたのはニコラスだろう。リーダーを逮捕できれば、残りは烏合の衆だ。
デリックは拘束されている腕で必死に暴れた。何かの拍子に拘束が緩むかもしれない。類似するシーンをデリックは映画やドラマの中で頻繁に見かける。現実でも、正義に味方する奇跡の女神が存在しても構わないはずだ。
デリックが暴れる度に、拘束で繋がっているエリアルまで動く。多大な害を被っているようだが、今は遠慮している場合ではない。ギシギシと、デリックたちを囲む木箱が悲鳴を上げた。この木箱はそれほど強固な造りではないらしい。
「思いついた」
エリアルに顔を向けて、デリックは唐突に呟いた。
強引に拘束を振りほどこうと動いて時間を無駄にするより、まずはこの狭い空間から逃げ出すことが先決ではないだろうか。呟いた数秒後には、頭に浮かんだ考えがいかにも素晴らしい名案に思えた。
エリアルが口を開く。しかし、彼が何かを告げるより先に、光と酸素不足――エリアル曰く、酸素はあるらしいが――のデリックは行動に移していた。
全身の力を使って、デリックは木箱の壁に体当たりした。ぐらりと木箱が揺らぐ。次の衝撃で壊れてしまいそうな不安定さだ。デリックの身体に引き摺られるように、エリアルも後から木箱の壁に体当たりしている。
彼の場合はデリックの動きに引っ張られているだけで、大した力は籠っていない。再度、デリックは目の前の壁に体当たりする。ミシミシと板が割れる音と共に、身体が宙に浮いた。
人は、命の危機に直面するとその瞬間がまるでスローモーションのように感じられるらしい。現実のスピードに変化はないはずだが、デリックはこの瞬間、目の前の光景がスローモーションのように見えた。
身体が宙に浮く。木箱ごと、前に倒れるように転がる。拘束された腕がエリアルの身体を引き寄せる。頭が地面――感覚的にだが――の方向に引き寄せられ、木箱ごと前転するように転がり落ちた。
「は――っ!」
背中に掛かる圧迫感で吐き出した息は、頬に接触している板にぶつかって消える。エリアルの呻き声が頭の上に降ってきた。
「重い」
背中の上にエリアルの身体が乗っている。成人男性である彼の体重を支えるのは、さすがに苦しい。エリアルが身体を横に転がしてデリックの上から降りた。衝撃で腕が引っ張られるが、なんとか堪えて体勢を立て直す。
エリアルの瞳がデリックの行動を責めているように見えたので、素知らぬ振りで視線を外しておいた。
デリックたちを閉じ込めていた木箱の壁は、見事にボロボロになってコンクリートの地面に散らばっている。
「大成功じゃねぇか!」
「痛いけど」
「大脱出! オレって天才!」
エリアルの言葉は聞き流しておくに限る。木箱の檻を破壊したデリックは勢い勇んで立ち上がった――瞬間、腕の拘束に動きを封じられて後転する。コンクリートの地面にぶつけた臀部が痛い。本日二度目の痛みだ。
肩越しに後ろを振り返ると、木箱が二段に積み上がっている。デリックたちが落ちてきた一角のみ、一段しか木箱がない。二段目の木箱に閉じ込められていたらしい。
「あそこから落ちたわけか」
浮遊感と落下する感覚を思い出し、デリックは大きく頷く。生命の危機まで感じた脱出は、事なきを得た。残る問題は監禁されている子供たちを見つけ出し、救うことだ。
倉庫の入り口へ身体を動かそうとしたデリックは、しかし、後頭部に押し付けられた冷たい無機物に動きを止めた。数分前まで聞こえていた話し声の存在を失念していたようだ。
「動くなよ?」
「動けるかっての」
ライフル銃を押し当てられ、振り返ることも儘ならない。横目でエリアルを窺うと、彼の後頭部にも銃口が向けられている。どうやら犯人たちの目の前に転がり落ちたらしい。奇跡の大脱出の予定が、自ら危険に飛び込んでしまった。
「お前らのボスはオレたちの仲間が捕まえた。もう勝ち目はないだろ? 諦めろ」
相手を刺激しないように比較的穏やかな口調で事実を告げる。デリックの言葉に、男二人が鼻で笑った。
「ニコラスがボス? おもしろいジョークだ」
倉庫の目張りされた窓から、僅かに光が漏れている。いつのまにか夜が明けようとしていた。外からは風の音しか聞こえてこない。ランドルたちの声も、ニコラスの怒鳴り声も、当然のようにサイレンの音も聞こえない。
「じゃあ、お前らのどっちかがボスか?」
「まさか」
馬鹿にしたような声音に、デリックは焦燥を覚える。自分たちは大きな勘違いをしているのではないだろうか。
頭を抱えたくなった刹那、一台の車が急停止するブレーキ音が届いた。その数秒後、空気を切り裂くような音が倉庫にまで響く。
聞き間違えようのない音――銃声だ。
「何だ?」
倉庫の外が、急激に騒がしくなった。喧騒の音が徐々に大きくなっていく。車が急停止するブレーキ音。続く開閉音。慌ただしい足音が数名分聞こえてくる。誰かが駆けつけたようだ。残念ながら、それは恐らくデリックたちの味方ではない。
「嘘をつくってすごいことだ」
唐突に零された言葉に、デリックは隣を見た。エリアルが、訳知り顔で俯く。彼が口にした「嘘」とは、何だろうか。
名探偵はこちらが思い悩んでいる間に真相に辿り着いていたらしい。
「嘘にすごいも何もないだろ。嘘は嘘だ」
自論に過ぎない言い分だが、デリックの中では真実である。しかし、エリアルの言葉を否定するに等しい意見だ。
「嘘は嘘、か。そうだな」
エリアルが顔を上げた。見つめた先の扉が、音を立てて開く。差し込む光量にデリックは目を細めた。
外では日が昇り始めている。逆光で黒く塗りつぶされた人物たちが倉庫の中に入ってきた。ぞろぞろと連なって仲の良いことだ。
デリックたちに銃口を向けていた男たちの前に、何かが投げ捨てられた。重量のある何かは、コンクリートにぶつかった後は始終無音だ。見覚えのあるコンクリートに伏した影に、デリックは眉を顰めた。
「ニコラス」
眉間に穴を空けられ、物も言わぬ姿にされたニコラスが地に伏している。彼を投げ捨てた恰幅の良い男にも、デリックは見覚えがあった。
男たちの後ろから引き摺られるようにして前に押し出されたのは、ランドルとライラ、スチュアートの三人だ。デリックたちと同様、銃口をつきつけられている。すっかり形勢を逆転され、デリックたちは危機的状況にあるようだ。
周囲を取り囲む男たちを引き連れてやって来たのは、先刻別れたはずの有能ビジネスマン――イアンだった。
彼を警護する役目のケイレブも隣に立っている。デリックたちは彼に裏をかかれたらしい。
「クソ、アンタかよ」
吐き捨てたデリックに、イアンが愉快気に笑んだ。