第1節
最終章になります。宜しくお願いします。
夜の冷たい風が髪の毛を乱し、乱れた髪が頬に刺さった。集中を途切れさせた瞬間に、どちらかが先手を打つことになるだろう。
ランドルはニコラスと視線で牽制し合った。
じりじりとニコラスの靴底が地面の上を這うように動く。彼の集中が限界を迎えている。ランドルは今にも途切れそうな静けさを敏感に感じ取った。
ニコラスは何故かたった一人でこの場にいるが、ランドルは一人ではない。近くでこちらを窺うスチュアートたちがいる。ランドルが合図した瞬間に動けるよう、既に作戦は立てている。残る問題は子供たちの行方だけだ。
「そろそろ、相棒が動いてくれてる頃だな」
誰かに聞かせるための音量ではなかったが、ニコラスはランドルの呟きを拾って眉を顰めた。
「何?」
剣呑な声音でこちらを睨むニコラスの指が、撃鉄に触れた。ランドルは彼から目を離さず、意識だけを周囲に向ける。
カラカラと空き缶が地面を転がる音、汚れた水が流れる音、風が錆びた倉庫の壁を叩く音――、それらに混じって響いた音をランドルの耳は逃さなかった。
軽快に駆けてくる足音が二人に近づいてくる。その音に動揺したニコラスが、ついに集中を途切れさせた。
彼の視線が地面を蹴る四本分の足音に向けられた瞬間、ランドルは動いた。相手の手首を取り、捻りあげながら足を払う。痛みで呻くニコラスの手から拳銃が滑り落ちた。それが足元に落ちる前に、ランドルが蹴り飛ばす。拳銃は落下しながら別方向から加わった力の所為で進路を変え、地面をスライディングする。
「クソッ!」
罵る声と同時に抵抗を見せたニコラスを完全に押さえ込んで、ランドルは素早く手錠を掛けた。
ぱしぱしと地面を叩く音が間近で聞こえる。取っ組み合いをしていたその横で、スコットがお座りをしていた。口にはニコラスの拳銃を銜えている。ワン、とニコラスの集中を奪った音を再び響かせた。ランドルはその頭を軽く叩くように撫でた。
身を潜めていたスチュアートとライラが落ち着いた足取りで近づい来る。残念ながら、二人の活躍の場をランドルが奪ってしまったようだ。
「ランディー大活躍!」
満面の笑みを浮かべるライラと、呆れた顔つきのスチュアートは対照的である。
「エリアルたちはどうした?」
真っ先に現れそうなデリックさえ姿を見せない。ランドルの疑問にスコットが唸り声を上げた。その声に反応するかのように、取り押さえたニコラスが嘲笑する。手錠で繋がれ、地面に伏したままの姿で勝ち誇るような笑い声を上げるニコラス――その様子に、ランドルは不吉な予感を覚えた。
そもそもこれほど容易にこの男を逮捕できるはずがない。ニコラスがたった一人で現れた理由は、密会の相手がイアンだと勘違いしていたからだとランドルは考えていた。しかし、それは安易な発想だったらしい。
ニコラスを強引に立ち上がらせ、問い詰める。
「何が可笑しい?」
「イアンがここにいないことだけが残念だよ。間抜けなクソども」
双眸を闘志で燃やすニコラスの表情が語っていた。まだ敗北ではない。これは用意した舞台であると。
「子供たちはどこ? エリアルは? デリックは?」
ランドルからニコラスを奪ったライラが、胸倉を掴んで凄んだ。矢継ぎ早の問い掛けで彼女の胸の内を察する。
いつの間にか雲に覆われて身を隠した月が、地上に注ぐ光を止めていた。闇が周囲を支配している。
「お仲間もガキどもも、あの世で仲良くしてるさ」
吐き捨てられた言葉に、スコットが再び唸り声を上げる。スコットに視線を移したランドルは一瞬、瞠目した。スコットの後ろ足首に何かが巻きつけられている。
「スコッティ――」
足首に結ばれた白い布から、香水の甘い香りが僅かに漂う。広げてみると、そこには――赤い飛沫がこびりついていた。
「これって、血?」
戸惑うライラの肩に手を置いて、落ち着くように促す。
スチュアートがランドルの手からハンカチを抜き取り、顔を近づける。錆びた鉄に似た臭い。険しい表情を見せ、スチュアートはライラに頷いて見せた。ハンカチに付着した赤色の正体は、ライラの予想通り「血痕」だ。誰の血かは判断できない。
ニコラスをライラから奪い返し、ランドルは銃口を向けた。安全装置を外して、声を低くする。
「子供たちはどこにいる? 何度も丁寧に聞いてやると思うなよ?」
ランドルの脅しに、ニコラスは不遜な態度を見せるのみで怯える様子もない。イアンがニコラスを表現するために使った言葉――聡明で度胸のある男の姿が垣間見えた。
「俺の仲間に手を出したのか?」
トリガーに掛かる指の動きを追ったニコラスの瞳に、ようやく僅かな恐れが生まれた。
「答えろ。答えなければ……」
ランドルが指に力を込める。
「脅したって無駄だ! 革命の為なら喜んでこの命、くれてやる!」
ニコラスの怒号が周囲に響いた。彼の声が空気を振動させるように、倉庫の壁を反響させる。
厚雲に覆われ、月光はまだここまで届かない。星の輝きまでも覆い隠され、新月のような闇がランドルたちを包み込んだ。
目張りされた倉庫の窓の隙間から僅かばかり差し込む人口照明の光だけが、この世で唯一の明かりだと勘違いしてしまいそうな空間だ。
明かりが漏れているのはニコラスが出てきた倉庫のみ。他の倉庫は使用されていないようだった。
「たいした度胸だな」
ニコラスの啖呵に、ランドルは吐き捨てた。このタイプはどれほどの脅しをかけても口を割ったりすることはない。イアンの助言どおり、厄介な男だ。ニコラスを叩いても無駄な埃だけが出て、欲しい情報を得ることはできないだろう。
ランドルは早々に判断し、ニコラスを離した。近くの鉄柵に手錠を掛け、逃げられないようにニコラスの手と繋ぐ。
「ここで押し問答していても仕方ない。二人を探すぞ」
「子供たちもね」
ライラの言葉に頷く。スチュアートが、スコットからニコラスの拳銃を受け取った。恐る恐るその頭を撫でて、ランドルたちを振り返る。
「こいつが案内してくれそうじゃないか?」
ファロン兄弟は躊躇なく同時に頷いた。
ガンガンと鉄バッドで殴られているかのような衝撃が、脳を揺さぶる。現実世界へ意識が引き戻されたのは、この痛みのせいだ。
「痛ッ、クソ! 最悪だ!」
悪態を吐いて、顔を歪めた。自分の顔を自分で見ることは出来ないが、相当酷い表情になっているに違いない。プレイボーイにあるまじきことだ。
二日酔いの朝のように、慢性的な痛みが続くせいで思考に集中できない。暗闇が周囲を支配しているが、圧迫感から考えて狭い室内にいることは確かだった。
「デリック」
想像よりも近い距離から、自分ではない誰かの声が聞こえた。暗闇に視界を奪われ、周囲の様子も碌に見えない状況ではあるが、その声の主が誰かは顔を確認せずとも理解できる。気を失うまで傍にいて、一緒に捕まったのだろう。
声が聞こえた方向に顔を向けようとしたデリックは、肩が誰かの身体にぶつかるのを感じた。やはりかなりの至近距離で二人は捕えられているらしい。
「ここどこだ?」
「分からない。頭、大丈夫か?」
「――その聞き方は誤解を招くからやめろ」
デリックの文句にエリアルが首を傾げた――ような気配がする。実際には見えていないので定かではないが。
先刻、エリアルと木箱の中身を確認した数十秒後には、後頭部に激痛が走っていた。誰かに殴り倒されたようだ。痛む頭を押さえようとしたデリックの手は、しかし、数センチ身動きしただけで止まってしまった。後ろ手に縛られている。肌に触れる感触から、恐らくは縄のようなもので拘束されているのだろう。
何者かに頭部を殴られて完全に気を失う前に、咄嗟にデリックはスコットの足首にハンカチを括りつけた。力の籠もらない手で必死に巻きつけたハンカチが、デリックたちを襲った相手の足の隙間を潜り抜けて逃亡を果たしたスコットによってランドルたちのもとに辿り着くことを信じて。
不明瞭になっていく思考の中でまるで探偵のような行動を取れた自分が誇らしいというのに、狭い空間で拘束されていては碌に喜ぶことも出来ない。
「このっ――」
デリックは、強引に上半身を前に倒した。同時に片側から重みが加わる。デリックの動きに呼応するかのようにエリアルの身体が動いた。どうやら、拘束された手はエリアルの拘束具と繋がっているらしい。
「重い。男に乗られる趣味はないんだけど」
「すまない」
「素直に謝られるとオレが悪いみたいじゃねぇか」
責任転嫁を受け入れられてしまうのは困る。エリアルは裏が読めないのか、あるいは裏がそもそも存在しない稀有な人間なのか。素直に謝るエリアルに、デリックはますます彼に対する不信感にも似た感情を募らせた。
理解できない相手と二人で敵地に残され、拘束されて身動きの取れない状況。これほど恐ろしい時間はそうそうないだろう。更なる不幸は、閉じ込められている場所が狭いことだ。
息苦しさにデリックは喘ぐ。新鮮な空気を一刻も早く吸いたい。
「空気薄くなってるんじゃないか?」
最悪の可能性を口にする。デリックの考えを、エリアルが短く否定した。
「なんで否定できる? こんな狭い部屋に閉じ込められたら、酸素なんかあっという間に使い切るぞ」
「指に引っかかる。ここは室内じゃない」
エリアルの言葉のせいで、ますます頭痛が酷くなった気がする。相手に伝える気が彼にはあるのだろうか。少なくとも説明するつもりはないらしい。
「指に何が引っかかるって?」
仕方なく、デリックは溜息を吐きながら質問した。
「木と木の隙間」
エリアルの答えに、デリックの指が宙を掻いた。冷や汗が流れる。暗闇に慣れ始めた瞳が、徐々にエリアルの顔を映し出す。その表情からは、焦りや恐れは窺えない。
「それはつまり、ここが木箱の中って言いたいのか?」
「さっき開けた木箱よりもかなり大きいけど。おそらく」
あっさりとした肯定に、肩を落とした。唯一、まともに動かせる足を伸ばして壁だと勘違いしていたものを蹴る。壁にしては少し脆い。息苦しさは未だに感じるが、隙間風のようなものが頬を打った。言われてみれば、とはまさにこのことだ。
先刻、エリアルと二人で検分していた木箱より一回りか二回りほど大きい木箱に、デリックたちは閉じ込められていた。
「出荷される荷物たちはこんな気分なのか」
「うん。なかなかできない体験だな」
隣で頷くエリアルの頭を叩いてやりたいところだが、拘束されているためにそれも叶わない。
「なぁ、木箱は山程あったよな?」
不意に浮かんだ恐ろしい考えに、デリックは声を震わせた。エリアルを横目で窺う。彼の双眸が、真っ直ぐにデリックに向けられた。確信に満ちた目だ。嫌な想像ほど、現実になる。叫びたい気分だ。
「子供たちは、僕たちのように閉じ込められているんだと思う」
「大事な人質をそんな扱いして良いのかよ」
エリアルに怒りを向けても意味はない。分かっていても、声は荒くなる。
「人質……が目的じゃないとしたら」
「なんだって?」
咄嗟に身を起こそうとしたデリックの身体は、拘束された腕に引き留められて後ろに倒れた。板にぶつかった臀部が痛む。
「さっき、木箱の中身を見ただろ?」
木箱の中には、大量の危険な薬物が眠っているとばかり考えていた。しかし、実際は違った。そこに眠っていたのは、白い粉ではない。
黒々としたライフル、小口径の銃、その他諸々――大量の武器だ。
戦争でも始めるつもりかと、冗談でも飛ばしたくなるほどの、武器の数々。
「売りさばく目的でかき集めてたとか?」
「いや、買い集めた方だ」
「だったら、本気で戦争でも起こすつもりか?」
ノースストリートで戦争を起こし、リディキュラスシティを支配するつもりだろうか。
「戦争じゃない。革命だよ」
エリアルの声が、やけに反響して聞こえたような気がした。