自称転生ヒロイン(←いろいろやらかして、ざまあされ済み)を母に持つ少年の、その後について
僕の名前にまつわる物語について。
『転生したら母親がビッチなヒロインで、すでに「ざまあ」されてしまっているが、それはさておき』
『チョロい男に需要はあるのかという問題について』
『買わない宝くじは当たらない件』
の、続きのお話です。
『チョロい男に~』に出てくるのとは別の姫様が登場します。
別視点の『混沌の間に住まう子供について』とも、ちょっとだけ関連しています。
前作を読まないと、このお話だけだと、意味不明だと思います。
「やあ」と、振り返って、こちらに向かって片手を上げる少女の姿に、隠し通路を出たばかりのところで、僕はしばし、固まってしまった。
片手を上げるというのは、こちらの世界でも、挨拶に該当するのだろうか?
文化によって、ジェスチャーが示す意味はかなり違っているので。この世界では始めて見る仕草に、思わず警戒してしまっていた。
「あれ?」首を傾げた彼女は、すたすたと僕の上へ歩み寄って来る。
ーー僕としては一応、隠し通路を出た先の、小薮の陰に隠れていたつもりだったのだが。
彼女の傍らにいた侍女らしき人物が、盛んに咳払いをし、彼女の足を止めさせ、何やら耳打ちする。
「はあ? 奇矯な行動などでは無いぞ? 今手を上げたのは、そこの少年の母君が好んでいたという挨拶だ。なんでも、身分に拘らない、誰が誰に使ってもよい挨拶らしい。他では見られない珍しい仕草なので、使ってみたのだ」
……えっ。
ほかでは見られない珍しい仕草って。やっぱ、前世知識ですか?
さらに何かしら耳打ちされた彼女は、「わかったわかった」と、苦笑すると。
舞うような、実に優雅で美しい礼をして見せて。僕はしばし、それに見とれた。
そうして僕は、小薮の陰から出て。ぼくが唯一知っている、三歳の時に教わったっきりの、実践するのは初めてかもしれない礼で返したのだった。
失敗はしなかった、ような気がするのだが、彼らはなぜかしばし固まった。
やがて、深々としたため息とともに、侍女らしき女性が、僕に向かって言った。
「咎めるのではなく、忠告として申し上げますが、今の礼は、今後はなさらない方がよいでしょう。それは通常、王族の男性が、同じ王族にたいして行うものです」
……え?
今度は、僕の方が固まってしまった。
「なんとも、憂慮すべきことです。この方は、母君の連座にはなっておりません。罪人ではないのに外には出されず、平民と言われながら、通常の平民であれば、親から受けるべき教育もされていない。これでは、まるでーー」
「エイダ」やんわりと、少女が女性の名らしきものを呼ぶと、女性が口をつぐむ。
女性に視線をやっていた少女は、僕に向き直り。「フィオは、何か言っていただろうか?」と問うた。
「ふぃお、ですか?」
「エルフィオーナ姫。我が従姉妹殿だ。ときどき君を訪ねていると聞いているが」
「……そういうお名前でしたか」
一応、あの『姫様』が王弟殿下の姫だとはわかっていたけど。我が母上の回りでは、名前までは出ておらず、把握していなかった。子供の、それも女の子に関心を持つような人じゃなかったからなぁ、あのヒト……。
そういえば、この目の前の彼女の名前も知らないなぁ……。
僕の視線の意味に気づいたのか、彼女は、ふっと笑うと。
「我が名は、エルディアーナ・イル・ライア。呼び名は、ディナでいいぞ」と、あっさり名乗った。
「殿下」侍女らしき女性が、咎めるように声を上げる。
「あー、分かってる分かってる。本来なら、今、身分が上である私が彼に名を尋ね、彼が名乗ってから私が名乗る。そういう順序なのだろう? だがなあ」
彼女は、ふう、と息をついて僕に向き直り、尋ねる。
「君は、自分の今の名を知っているだろうか?」
その言葉に、僕はただ沈黙する。それが、答えだった。
「……やはり、知らないのだな。君の王族としての名は、エルスリール。その名の元になったのは、歴代の王の中で唯一、平民としての名も持っていた人だ」
「……え?」
「王族名がエルスリールなら、平民としての名はリースユール。故事にならうなら、そう決まっている」
「……リース、ユール?」
「聞いていなかったのだな」彼女ーーディナ姫は、ふむ。と頷き。
「幼少時の苦労のためか、エルスリール王の名は、子供に名付けるには不人気で、批判もあったと聞く。だから、君がある程度成長するまで、エルスリール王の逸話を教えないことにしたのだろうな」
「……はぁ」としか、答えようがない。
ーーそれは、後に『混沌の時代』と呼ばれた時代のこと。
我が子を暗殺の危機から救うために、敢えて荒れた王宮の外で育てさせる決意をした王がいた。その子の名は、エルスリール。
当初は、死産だったことにして、外で育てるだけの予定だった。しかし、その子が『暁の瞳』を持っていたために、計画は『暁の瞳を持つ、平民の子供』とのすり替えに変更された。
なんの運命か、その時代に、たまたまそういう子供が存在していたのだ。とある末端の王族が、平民の洗濯女に手をつけて産ませた子供。当然認知されることもなく、母親の身分を継いで平民として生まれ、リースユールと名付けられた。
月齢も変わらない子供のすり替えは、密かに行われ、さして不審がられることもなかった。だが。
王命とはいえ、修羅の住まう王宮に我が子を残していかなければならない母は泣いた。どことも知れない場所へと我が子を連れていかれてしまう、もう一人の母も泣いた。
互いに涙する二人の母は、手に残された子供を、我が子と変わらずに慈しんで育てると誓い合ったのだった。
「ーーというのが、今に語り伝えられる、エルスリール王の逸話の序章だ。巷の吟遊詩人が語る中でも、人気の場面の一つだそうだ」
なんだったら、何節かそらんじてもいいが、という姫に、僕は慎んで遠慮しておいた。
『そういうのは、得意なんだが』姫は本気で残念そうに呟いていたが。
「まあ、時間は有限だからな。そういうのは、また今度にしよう」と、切り替えたように言う。
ーーいや、また今度でも要らないのだが。
「ここには実は、君宛の伝言を言付かってきた」
「伝言、ですか?」ーーって、誰からの?
「父上が君に会いたがっていたのだが、父の姿があると、君は姿を現さないだろうと、彼の天眼が示したらしい」
父上、って王弟殿下か。あー。それは確かに、ここには来なかった自信がある。
「というわけで、父の言伝てをここでそらんじることにする。さっきも言ったが、そういうのは得意なんだ」
あー、そうですか。
いくぞ、と前置きして、彼女は王弟殿下を真似たらしい語り口で話し始める。元となる人物を知らないため、似ているかどうかはわからない。のだが。
「エルスリール……いや、リースユール殿。君もおそらく気づいていると思うが、『天眼』とは、己が選びとったものが何をもたらすかを見せる能力だ。運勢が大きく動くときであれば、特に。
君の母上の手を取った時、我が甥にも、たとえ朧気であったとしても、先行きがどういうものかは見えていたはずだ。
どのような運命が待ち受けていようとも、ただ愛する。そう思える相手に出会えるのは、稀有なことだ。
たとえ、血の繋がりがどうあろうとも、君にエルスリール王の名を付けた、我が甥こそが君の父だ。君にそれを伝えたかった」
元の語り手の意思が伝わる、真摯な口調だった。
かなうならば、直に聞きたかった。そう思える言葉だった。
この世界の仕草ではないかもしれないが、僕はただ、深く頭を下げた。
隠し通路から部屋に戻って、しばらくの間、僕は考え込んでいた。
別れ際に、彼女は思い出したようにこう言っていた。
「そういえば、君が今いる部屋は、『混沌の間』と言うのだそうだ」
「混沌の……?」
「父の話では、いわゆる『混沌の時代』に、何らかの役割を果たした部屋らしい。君の元の名がエルスリールだったから、その部屋に入ることになったのかもしれないな」
つまり、僕がこの部屋に入れられることは、僕の元の名から、あらかじめ決まっていたようなものだった。そういうこと、なのだろうか?
だとしたら。
僕は、頭の中に選択肢を思い浮かべながら、部屋のあちこちに視線を投げてみた。思い付くのは、たとえば。押す、引く、回す、持ち上げる、あるいはーー。
ーー見えた!
思わず声をあげそうになり、慌てて押し止め。僕は立ち上がり、頭の中に見えた映像の通りにやってみる。
壁の一ヶ所を押さえて、飛び出したつまみのようなものを回し、押し込んで捻ると。
ーービンゴ!
壁に隠された引き出しのようなものが飛び出して。筆記具や、書物のようなものがいくつか並べられているのが見えた。まさに今の僕が、必要としていたものだ。
そして。一番上の右側には、封筒に入った手紙のようなものが置かれていた。
宛名は、「我が愛する息子、エルスリール または リースユールへ」そして、差し出し人として書かれていた名は、先の王太子の。
……僕の出自が問題となってからは、一度もーー心の中でさえ父と呼ぶことがなかった、今生の僕の、父の、名だった。
その夜、僕は。
断罪された今生の両親と引き離されてから。そして、この部屋に幽閉されてから、はじめて声をあげて、泣いた。
吟遊詩人の詩に込められた、エルスリール王の物語の隠しテーマは、『子別れ』です。
すり替えられた子供達がもとに戻される時、愛する我が子との再開の喜びと同時に、その身代わりとなった子供ーー我が子同様に愛した子供との別れも訪れる、ということで、涙を誘うシーンがいくつもあります。
主人公にエルスリール王の名をつけたのは、たとえ血が繋がらなくても父として愛している、というメッセージでもあったわけです。が……伝わっているでしょうか?
ディナ姫の父上というのは、『混沌の間に住まう~』でちらっと話に出た、歓迎の席を設けてもらうという王弟殿下です。
主人公母が聖女を罪人にしていたせいもあり、この国の評判が底辺を漂っていたため、外交関係で長く不在でした。やっと国に戻ってきましたので、これから暗躍するかもですが、主人公と関わるかは不明です。