残酷なのは……
赤い飛沫が、真っ白な大地を染める。
ゆっくりと倒れていく男に祈りを捧げているのは、今、まさにその男の命を絶った人物だ。銀色の鎧が月光を浴びて、鈍く光る。
「麗しの銀の乙女、か……」
祈りを捧げ終わり、去っていく背中を見ながら、俺は思わず呟いた。確かに、あの人は美しい。容姿は勿論、剣技も常の立ち振舞いも……。
だが――
「だからって、死体を切り刻む姿まで褒めなくても良いと思うんだよな……俺は……」
うえっ。と思わず吐く真似をする。人目なんて無いから、別に気にしないけど……溜息を吐いて、足元の光景をもう一度見る。一見すると死んでるとは思えない男の亡骸。だが、積もった雪を赤く染めている血の量といまだ動かないその姿が、もう事切れていると告げていた。
「さて……今回は、綺麗に残してくれ……てないのかよ……」
近寄ってくる生き物の気配。人じゃないことくらい、姿を見なくたって分かる。聞こえてきた遠吠え。狼だ。
「こうなるって分かってたのかねぇ、あの乙女さんは」
しばらくして集まってきた狼の群れは、男の亡骸に迷うこと無く食らいついた。余程飢えていたのか、狼達は勢い良く肉塊へと姿を変えた亡骸を喰らっていく。内臓が飛び出ようが、骨が剥き出しになろうがお構いなし。暫く肉は食いたくないと思うような光景に、俺は木を蹴った。
「……遅いです」
「すんません」
俺を叱るのは、麗しの銀の乙女こと、この国の皇女ノービレ様。
なんで皇女が剣を持っているか、なんて俺達の国では愚問だ。男だろうが、女だろうが、皇族に生まれたのならば、剣を持ち、民を護る為に戦場の最前線に立つ。それが、この国のしきたり。次いでに言えば、皇子には女、皇女には男の影がつく。理由なんて、その時々だ。最も、俺と皇女様の場合、俺は御身を護るためではなく、戦いを終えた後の昂ぶりを諌める為についている。
「何をしているの? クルーン」
「いいえ。それよりも姫様、今宵は何を?」
「察しなさい」
放り投げるようにその白い足を俺の前に出す皇女様。ヒールブーツが脱がれている以上、求められていることは一つだ。一礼して、その白磁器のように滑らかな肌に触れる。そして、そのままゆっくりと揉んでいく。靴を履いていれば、キスを。脱いでいれば、マッサージを。長年お仕えしていて、そう覚えた。時々外して、顎を蹴り上げられることもあるが、今回はあっていたようだ。
「ねぇ、クルーン」
「はい」
「私って残酷?」
戦いが終わる度に問われる言葉。アメジストのような瞳が、大きく揺れている。
「残酷です。そして、お美しいです。姫様」
肯定し、美しいと褒めれば、喜びと憂いの混ざった瞳を潤ませる皇女様。お互いに分かりきっているこのやり取りの意味。いかに自分が残酷か、恐れの対象であるか、敵味方関係なく知らしめなければならない彼女は、本当は誰よりも優しい。人を殺すのは勿論、傷つけることすら本当は躊躇う。己の手で屠った命の為に、彼女はいつだって祈りを捧げている。だが、それを知るのは彼女と俺だけ。それでいい。
「麗しの銀の乙女は、美しくて、残酷で……民の盾で、剣で……そうあるべきなのよね? クルーン」
「その通りです。姫様は、皆の希望通りのお姿で、常にいらっしゃいますよ」
「そう。なら、いいわ。ねぇ、クルーン」
「はい」
「明日は、もっと残酷にならないと……だって、裏切り者の討伐だもの。お父様を裏切った……罪人を裁く日だもの」
「はい」
足を揉み終え、手を清めれば、彼女は怯えた様子で、けれど、隠しきれていない好奇心で目を輝かせて俺に触れた。「何を望んでいるか」を尋ねるなど無粋。彼女の求めに俺は答えるだけ。
そして――
「これより、陛下を裏切った愚か者達へ、刑を執行する」
淡々と紡がれる言葉。銀の鎧を身に纏い、皇女として剣を抜いた彼女の背後には、俺だけでなく、今朝早くに合流した皇帝陛下直属の騎士と死者を運ぶ為の魔術師が控えている。
悔しげな表情を浮かべている者、助けてくれと命乞いする者、迎え撃とうと果敢にも剣を手に取る者……人数が多い分、反応は様々だ。だが。
ビュ――
皇女様の剣が迷うこと無く、罪人を斬っていく。溢れ出る血、血、血……まるで河のように、至る所から流れてきては、彼女を、俺達を染めていく。
ドサリ……音にすればそんな鈍い音を立てて、倒れていく人々。無念そうな顔に、苦しそうな顔に、剣が突き刺さる。
「ば、化け物……」
「ひぃっ!」
「に、逃げろ!」
口々に上がる悲鳴に、彼女の口の端が吊り上がる。
「た、助け……助けてくれ! 俺は……俺は、本当に……!」
最後の一人となり、命乞いをし始めた男の首を突き刺す。そして、苦悶の表情を浮かべている彼を見て笑った彼女は、容赦なく、首を斬り落とした。
ドンッと音を立てて転がっていく首と、ドサリと音を立てて崩れ落ちる体。勢い良く溢れ出した血が、皇女の肌を、鎧を染め上げていく。
なんという残酷な光景、狂気渦巻く空間だろう。
「終わりましてよ?」
いつまでも動かない俺達を、血に染まった皇女が嗤う。憂いと興奮を帯びたアメジスト色の瞳が、すべてを飲み込むように輝いていた。
最も残酷なのは、そんな彼女の姿を美しいと思い、見惚れている俺達なのかもしれない。