夕暮れ、帰り道。
清野がまだ、職員室の前に立っていた事には驚いた。担任の教諭からこってり絞られる事およそ一時間、もうとっくに帰っていると思っていた。通学カバンを肩に掛け直そうと、柊吾は軽くジャンプする。
「……どうしたんだ。説教された俺を笑いに来たのか?」
「ち、違うわよっ!」
清野は大げさにかぶりを振りながら否定した。
「朱音ちゃんがあなたを待ってたから、それに付き合ってたの。一人で待たせてたら可哀想でしょ? ……なによ! 悪い!?」
えも言えぬ表情をしていた俺に、清野はまたお怒りの様だ。
「いや、清野にもそういう優しい所、あるんだなって」
「~~~~っ! き、急に何言ってんのっ! ばっかじゃない!?」
どうやら更に怒らせたらしい。どうしたものかと柊吾が考えていると、清野の後ろから朱音がひょっこり顔を出した。
「……パパ、千春をいじめたら……め……」
「いたのか、朱音。別にいじめてなんかいないぞ」
二人は揃いも揃って俺を糾弾してくる。俺はただ純粋に、清野に感心しただけだったのだが、何を勘違いしたのか俺が清野を怒らせていると思ったらしい。あらぬ誤解だ。
「……パパ、千春を困らせてる……」
「困らせる? まったくもって心当たりがないな」
「……だって、千春はパパの事がす……」
「ああああああ!」
ようやく事態の核心に迫ろうという所で突然、清野がぶっ壊れた。朱音の口元を両手でむんず、とあらん限りの力で塞ぎながら奇声を発している。正直、キモい。清野がこういう奴だったとは知らなかった。
「落ち着け、清野。とりあえず朱音に呼吸をさせてやってくれ」
朱音にのびた両手は口だけでなく鼻までもカバーしており、朱音の呼吸経路を完全に塞いでいた。酸素を取り入れる術の無くなった朱音は顔を真っ青にして、目を白黒させている。そのただならぬ様子にようやく気が付いたのか、清野は慌てて手を離した。
「ご、ごめんなさい! 私ったら取り乱して。朱音ちゃん、大丈夫!?」
だが、時すでに遅し。紫色に変色した我が妹はそのまま後ろ向きにぶっ倒れた。
「あ、朱音ちゃん!?」
急いで駆け寄った柊吾は呼吸、そして脈を測る。そして、ゆっくり首を横に振った。
「そんなっ……嘘でしょ?」
本当に狼狽している様だ。清野は何故だかこういう妙にピュアな所がある。
「もちろん嘘だけど?」
思いっきりぶん殴られて今度は柊吾が後ろにぶっ倒れた。
右頬に痺れるような違和感を抱えたまま、柊吾は二人と国道沿いを歩いていた。傍らに、朝に乗って来た自転車をカラカラと引き摺っている。帰りも二人乗りで帰ろうとしたが、「法律違反!!」と隣にいる委員長に見咎められたので諦めざるを得なかった。刑事の血ゆえの正義感という奴か。まあ、家までの道のりは上り坂が続くので、こっちの方が楽と言えば楽なのだが。
「……清野は朱音と良く話すのか?」
無言で歩き続けるのも間がもたないので、清野に話しかけてみる。朱音と清野は共に図書委員会に所属していて、以前に朱音から清野の話は聞いたことがあった。清野と同じクラスになってまだ四ヶ月程で、別段ほかに接点が無い柊吾が彼女に馴れ馴れしいのは、そのせいもある。
「朱音ちゃん不器用だからね。いつも私が助けてあげてるの。いつもね」
清野が強調してそう言うと、朱音は頬を少し膨らませた。その様子を見て清野は、はにかむように微笑を浮かべると、朱音の頭をそっと撫でた。
「ごめん、ごめん。別に朱音ちゃんの悪口を言ったつもりじゃないの。仲が良いってだけで」
「仲が良い、か」
二人には聞こえないような小さな声で、柊吾は一人ごちた。朱音は昔から無口な性格だったし、職業柄、暇な時間というものがほとんど無かった。そんな訳あって、朱音には今まで親しい友人が出来たことが無い。夏姫は朱音より俺との接点が多いし、友達と言うよりは既に家族の様な関係だ。だから、柊吾は朱音に純粋な友達が出来たことに少なからず喜びを感じていた。
清野はあくまでも警察関係者だから、あまり関わらない方が良いと柊吾は思っているが、少し多めに見てもいいかもしれない。警察へのパイプがある事も将来的にはメリットになるかもしれない。
既に時刻は夕方の六時をまわっており、辺りは薄暗くなり始めていた。国道と幹線道路が丁度重なっている大きな交差点で、青信号の緑に照らされた清野が立ち止まった。
「うち、こっちなので」
駅前へと続く幹線道路の一方向を指して、清野が振り返った。目の錯覚だろうか、透き通った肌が夕時のオレンジを反射してなんだか随分、綺麗に見えた。
「……そうか、また明日」
「……千春……またね」
清野は手を振りながら幅広の歩道を駆けていく。その姿が彼方の街並みに消えるのを待ってから、柊吾は朱音を自転車の荷台に乗せる。
家までの坂道へ向けて、カラカラ回るペダルを思い切り踏み抜いた。