切り裂く、閃光。
「西寄りの風五メートル、距離九〇〇メートル」
鈍い光沢を放っているレミントン製ボトルライフルの薬室に、弾丸を押し込む。ライフルを構える体位を決めると、スコープを覗き込む。上部についているダイヤルを調節し、倍率を二〇倍に変更した。
「西寄りの風四メートル、距離八〇〇メートル」
隣にしゃがんで、双眼鏡を覗き込んでいる観測手、柚木朱音が呟くように言った。
狙撃は大抵の場合、二人一組で行う。実際に射撃する狙撃手、そして周囲の風速や目標までの距離を計測する観測手だ。彼女の観測スキルは幼いころから優秀だった。
「西寄りの風三メートル、距離七〇〇メートル」
朱音の落ち着いた声を聞いて、柚木柊吾はライフルを握りなおしてゆっくりと深呼吸した。僅かな呼吸のずれが、そのまま弾丸の着弾点のずれとなって表れてしまう。射撃前にする呼吸のタイミングこそ狙撃の重要ポイントの一つなのだ。
「西寄りの風ニメートル、距離六〇〇メートル」
スコープの中に揺れる十字のレティクルが、大物政治家の頭に重なる。走る車の中で何か談笑している様にも見えたが、その内容は柊吾に関係ない世界のものだろう。今ただ、この薬室に眠る死の運び屋を叩き起こしてやるだけでいい。
「西寄りの風一メートル、距離五〇〇メートル」
ライフルの引き金を少しずつ、少しずつ絞っていく。限界まで引いたところで柊吾は息を止めた。夜景の光が目標の窓ガラスに反射して、少し目障りに感じる。
そして、風が止む。
「……無風。距離四〇〇メートル。射撃」
右手の人差し指に力を加えた。その瞬間、破裂音と共に大きなテンションが肩にかかる。一筋の光が都会の高層マンション街の、闇を裂く。硝煙の香りが二人を包んだ。
――――当たった。真正面。
確信した。人を殺した時の独特な感触が、柊吾の右手をくすぐる。
「……命中。任務完了」
朱音はふうと一息ついて双眼鏡を首に掛けると、柊吾に笑いかけた。思わず柊吾の口元も緩む。鉛の弾丸が目標の頭部にめり込んでいくのを朱音はしっかりと見ているはずなのだが、別段取り乱すことは無い。柊吾は慣れというものを、改めて恐ろしいと実感した。
「さ、撤収だ。急ぐぞ」
柊吾はライフルをベースケースにしまい込むと、朱音と共に屋上を足早に立ち去った。