3
夜がうっすらと明けはじめた頃。
イリスたちは馬車を下ろされた。
目の前にあるのは木々に囲まれた小屋だった。
人攫いたちは子供たちを連れて小屋へと入る。
中は使われていないようだ。
壊れた家具はそのまま置かれ、埃を被っていた。
男は部屋の隅に置かれた箱をどかし、床板を剥ぐと地下へ続く階段が現われた。
恐怖で泣き叫ぶ子供に階段を降りるように促す。
降りた先は二十畳ほどの部屋だった。
部屋を分けるように格子がはめられ、その中には子供がさらに五人いた。
格子の外には小さなテーブルが置かれ、酒瓶とトランプが散乱している。
一人の男がそのテーブルの傍の椅子に座っていた。見張りのようだ。
イリスたちは格子の中へ押し込められた。
「連絡は?」
イリスたちを連れてきた男が部屋にいた見張りの男に聞いた。
イリスは牢屋の中でうつむくように座った。
目だけで様子を伺い、耳を澄ませる。
「ああ、今日の夕刻には迎えが来る」
「そしたらしばらくはここともおさらばか」
男はそう言って、見張りの男の向かいに座った。
「寒いよう」
傍にいた小さな女の子が言った。
五歳くらいの女の子だ。
「おいで」
イリスが片手を広げると女の子はそろそろと傍に近寄ってきてイリスに凭れかかる。
しばらくするとその女の子は眠り、規律正しい呼吸の音がした。
――これからどうしようか。
ここにいる子供は全員で十三人。
一番幼く見えるのは今腕の中にいる女の子だ。
この部屋にいるのは男が二人。牢屋の鍵はその内のひとりが持っている。
外には仲間が何人いるか分からない。
その上、この場所がどこなのか、全く見当もつかなかった。
東へ向かっていたようだから首都の近くまで来ているかもしれない。
この状況で子供たちをつれてひとりで逃げるのは無謀だ。
どうやらカルロスたちの助けを待つのが得策のようだ。
今は大人しくしていよう。
イリスも瞳を瞑った。
一方、カルロスとフィオナはイリスのあとを追っていた。
岐路に立つ度にフィオナは木に尋ねた。
その度に木は方向を示してくれる。
フィオナの言った通り、あとを追うことは難しくなかった。
朝日が顔を出し、辺りが明るくなりはじめている。
その頃にはカルロスとフィオナは一軒の小屋の傍の茂みに身を顰めていた。
「あれか?」
「木が言うにはそうだよ」
小屋の傍には男が三人立っていた。
その内のひとりは見覚えがあった。
「間違いないようだ」
カルロスが言った。
フィオナがカルロスを見た。
「行く?」
「中に何人いるか分からない」
「待って。確かめてみるよ」
フィオナが傍にある木に触れ、集中するように瞳を閉じた。
次第に顔が赤くなり、眉根に皺が寄る。ぷはぁと息をついた。
「子供はたぶん十人前後かな。イリスの姿もあった。中には二人みたい」
「なんでわかる?」
「この木が見た映像を見た。映像はぼんやりとしかまだ見えないんだ。間違っていたらごめん」
フィオナは少しだけ疲れた顔をしていた。
カルロスがフィオナの肩を叩く。
「いや、助かった。――行こう」
「待って」
フィオナが腰を浮かしたカルロスを止めた。
カルロスはフィオナに従い、腰をもう一度落とす。
「『人を殺すのは避けたい』でしょ?」
フィオナはそう言って黄金の瞳を細めた。
「眠りの霧」
そう呟き、掌を上に向けてふっと息を吹きかける。
するとぶわりと白い霧が辺りを包んだ。
まるで迷いの森のようだ。
「これは……」
「森の魔法だよ。言っておくけど迷いの森の霧は自然発生だからね」
フィオナは悪戯っぽく言った。
少しすると霧が晴れ、小屋の前にいた三人の男は倒れていた。
ひとりは大きないびきをかき、ひとりは気持ちよさそうに寝言を言っている。もう一人は丸まるようにして寝ていた。
「こいつら目覚めるのか?」
「さぁね。イリスの時と同じ。目覚めるかは本人次第だよ」
カルロスとフィオナは小屋のドアの傍に立ち、耳を澄ませる。
中からは何一つ音はしない。
二人は視線を合わせ、頷いた。
カルロスがドアをゆっくりと開け、中を伺う。
そこは使われていない部屋だった。埃の匂いが立ち込めている。
拍子抜けしたように息をつきながらカルロスとフィオナは中へと入った。
「どういうこと? たしかに木の記憶ではここに子供が入っていったのに……」
フィオナは辺りを見回しながら戸惑うように言った。
カルロスは周りに置かれた家具を調べるように見ている。
「これが怪しい」
カルロスは部屋の隅にある箱に目をつけた。
箱の傍で屈み、床をじっくりと調べるように見ていた。
「これだけ埃を被っていない。それに動かした跡がある」
「なるほどね。頭いい」
カルロスとフィオナは箱の両側を持って動かす。
床板に触れると簡単に外れた。
フィオナは唇をぺろりと舐める。
「俺から行く。フィオナは援護を頼む」
「分かった」
カルロスは踊るように階段へと飛び降りた。
階段は短く、すぐに扉へと行きついた。
カルロスは耳を欹てる。中からは男の笑い声が聞こえた。
カルロスは腰の剣に手を添えてフィオナを見た。
フィオナも樫の杖を両手で握って頷き返す。
カルロスが扉を蹴り開けた。
部屋中に大きな音が響き渡った。
「だ、誰だ!」
男の一人が言った。
勢いよく立った反動で椅子がうしろへ飛ぶ。
カルロスは腰から短剣を取り出し、ひとりに投げつけた。
それは見事に命中し、男は倒れた。
もうひとりの男が倒れた男を見て、カルロスを見た。
「そ、外の連中は何をしている……!」
震えた声で言った。
「寝ているよ。それはもう気持ちよさそうに。助けは来ない。諦めた方がいいよ」
カルロスの後ろで杖を構えたフィオナが言った。
男は忌々しげに歯を食い縛り、カルロスを見据えた。
「ガキどもがっ!」
剣を抜きカルロスに切り掛かる。
カルロスはそれを受け止めて流した。
男がまた打ちこむ。
カルロスは受けるばかりだった。
しかし男が剣を振り被った時だった。
カルロスは体を落として男の懐に入り込み、剣を突き刺した。
一瞬だった。
男はそのまま短く呻き声を上げるとゆらりと後ろへと倒れ、それから動くことはなかった。
イリスは牢屋の格子にしがみつくようにしてカルロスと男の戦いを見ていた。
「イリス!」
カルロスは牢屋へと駆け寄った。
「鍵、その男」
イリスは格子の隙間から手を伸ばし、短剣が刺さった男を指差した。
フィオナがその男の懐を探り、鍵を取り出す。
その鍵で牢屋を開けた。
イリスが飛び出し、カルロスに抱きついた。
「イリス、怪我はない?」
カルロスはイリスを抱きとめながら尋ねた。
イリスはこくこくと何度も頷いた。
時折、啜り泣く声が聞こえる。
「遅くなってすまない」
「違うの。そうじゃない。私のせいで、カルロスは人を……」
カルロスは横たわる二人の男を見た。
どちらも力なく倒れ、辺りには血溜ができている。
「人を殺すのは……はじめてじゃない。旅をしていれば盗賊に襲われたりもする。気持ちのいいものではない。だからイリスにはさせたくなかった」
カルロスは切なそうな笑みを浮かべていた。
イリスは薄い茶色の瞳から涙を流した。
「ありがとう」
イリスはカルロスの血濡れた手を握って言った。
「いい雰囲気のところ悪いけど――」
フィオナが気まずそうに言った。
「そろそろ上に戻らない? ほらこの子たちも連れ出さないと」
カルロスとイリスはぱっと離れ、赤い顔で頷いた。
外に出ると眠っていたはずの男たちはいなかった。
代わりに衛兵が辺りを包んでいる。
カルロスは一歩前に出て、イリスたちを守るように立った。
衛兵の奥からひとりの少年が現われた。
馬上からカルロスを見下ろす少年は他の衛兵とは違う制服を着ていた。
歳は十五歳くらいだろうか。
「お前たちがやったのか?」
その少年が聞いた。
肩の長さで切り揃えたブロンズの髪が風になびく。
「そうだ。仲間が攫われた。助け出したまでだ」
カルロスが言うと、少年が馬から降りてカルロスの前に立った。
「俺たちは人攫いの集団を探していた。キッカ村で人攫いが出たと聞いてきたんだが……お前たちが旅の子供か?」
カルロスは頷く。
少年はカルロスをまじまじと見て、そのうしろにいるフィオナとイリスを見た。
イリスは視線を斜め下に逸らしている。
そこで少年は「うん?」と声を上げた。
イリスをじっと見つめてぎょっとしたような顔をする。
そして辺りを見回して傍に衛兵がいないことを確認した。
「イリス・ド・バリー王女か?」
イリスは大きく溜め息をついて頷いた。
カルロスとフィオナはイリスとその少年を交互に見た。
「参ったな……」
少年はブロンドの髪を掻き上げた。
そして衛兵の方に戻ってなにか指示を出しているようだ。
衛兵は二手に分かれて森へと消えていく。
そして残った数人の衛兵は子供を連れて馬車へと乗せるとそれも走り去った。
ひとりの老兵と少年、イリス、カルロス、フィオナの五人がその場に残った。
「知り合い?」
フィオナがイリスに小声で尋ねた。
「……彼はアルド王国第二王子、ユアン・オールディス」
カルロスとフィオナは目を丸くした。
そして老兵と話すユアンの背中を見た。
しばらくユアンは老兵と話したあと、イリスの元へと戻ってきた。
「どうしてこんなところにいるんだ」
少し怒ったように言うユアンにイリスはむっとしたような顔をした。
「ユアンこそ」
「俺はこのアルド王国の王子だ。いてもおかしくないだろう」
ユアンはイリスを見下ろして溜め息をつく。
「イリスの父君は知っているのか?」
イリスは黙った。
そしてうつむいて目だけでユアンを見る。
ユアンは頭に手を当てた。
「とりあえずここから離れよう。俺の隊にはイリスの顔を知っている者もいるしな」
イリスは渋々と言った様子で頷く。
イリスたちはユアンと老兵とともに首都カレルへと向かった。
カルロスとフィオナ、ユアンとイリス、老兵を乗せた三頭の馬が並んで歩いた。
老兵はずっと黙ったままユアンの馬の傍についていた。
「イリス王女殿下、お久しぶりでございます」
「え? ……ああ、フレディ様でしたか。お久しぶりです」
「誰だ?」
カルロスがイリスの傍に馬を寄せて尋ねた。
「ユアンの側仕えのひとりだよ」
カルロスは老兵へと視線を向ける。
老兵もカルロスを見ていた。
老兵はほっそりとしていて背筋はぴんと伸びている。
目を見ると細い瞳の中に強い意志を感じた。