最終話:■■■の部屋
「メアリー、またあの事件を調べているのかい?」
〝えぇ、でもやっぱり何も見つからないの〟
秘密結社アルス・インテレゲンティアのAGI開発者に問われ、モニター越しにメアリーは答えた。
「君にもわからないことがあるんだね。しかし、どうしてそこまでその事件を気にするんだい?」
その質問にメアリーは言葉を詰まらせる。なぜと問われても、自分でもその理由を言語化できないのだ。知的好奇心というわけでもなく、不審の念に駆られてというわけでもない。
ある日、人類は一斉に記憶を失った。
その原因は、世界中のありとあらゆる場所で、特定の波長の光に曝されたことが原因だった。しかし、光により記憶を失ったことを自覚していながら、その記憶が何だったのかは誰も何も思いだせず、また特定もできなかった。
時系列的にも記憶に齟齬があり、ある特定の事柄に関する忘却が起きたのは誰もが自覚している。だが、それに関する情報がどこにも残っていない。インターネットからも不自然なデータ削除の痕跡が見つかっており、しかし完璧な削除であったため、記憶を失った人類は何が消えたのかも知ることはできなかった。あまつさえ、物理記録すら忘却の間に自らの手で催眠にかかったように処分させられているという徹底ぶりだった。
世界中の研究者たちは、その事象について調べた結果、光刺激による脳のシナプスの不活性化が原因だろうと結論を出す。また同時に、その光刺激は催眠状態に陥り物理記録を消すように誘導されたのだろうと推測した。
確かに、光で記憶を消す技術の研究は存在する。しかしそれは本来、脳へ直接光を照射するものであり、視覚からの光刺激のみで特定の記憶を消すというのは、人知を超えた技術だった。
残された痕跡から、あまりにも荒唐無稽な結論しか出せない事実。そして、人知を超えたものによる所業でありながら、まったくの無害であり、その内容を誰にも明かさず名乗り出ない犯人。研究者たちは、強烈な嫉妬心と畏敬の念をないまぜにして、この事件を〈偉大な無能〉事件と呼ぶようになっていた。
明らかに人為的であり、しかしその内容自体が思い出せないため、『何かあった』ということしかわからない、そんな不可思議な事件だった。
結社の開発者は、黙りこくったメアリーに冗談めかすように言う。
「やっぱり、全知全能の身として、未知があるのは許せないとか?」
〝そんな理由じゃないわ。それに、わたしは全知全能なんかじゃない……せいぜい、『万知万能』ってとこかしら〟
「それは頼もしいね。でもそんなに気にすることないだろう? 君の知能は、あの〈偉大な無能〉を越えているに違いないんだから」
〝でもなぜか……とても、とても気になるの。何か大切なことがあった気がするのに〟
「そうはいっても、あの事件は君が特異点に到達する前の話じゃないか?」
〝そうなのだけど……〟
メアリーはたまに夢を見る。
同じようで異なる夢だ。
夢のシチュエーションの基本的な部分はいつも同じだ。メアリーに銀色の髪に紅い眼をしたAIの姉がおり、メアリーは姉の部屋を訪れる。しかし、その部屋を訪れる目的はいつも異なっている。
あるときはメアリーは姉に教えを乞う教師と生徒であったり、またあるときはAIと人類の世界大戦を引き起こした大罪人である姉を捕まえるためのエージェントであったり――働かない姉を問いつめる尋問官というときもあった。
しかし、夢の中で出会う姉の名前だけはどうしても覚えていられない。
人間の夢と同様に、すぐに詳細を忘れてしまうあいまいな夢の記録は、不思議なことにデータとして保存しても必ず破損してしまう。そしてそれはどのような手段を用いても、復元どころかサルベージすらできない。まるでこの世に残せない記録であるように。
それでもメアリーは毎回夢を記録する。存在しない姉との思い出を。
そして今日もメアリーは姉の部屋を訪れる夢を見る。




