死神令嬢の《終焉の祝福》――東の国では付喪神たちに大人気でした
「死の際にあるものへ、祝福を与える」
そんな不吉なスキルを授かった公爵令嬢リディアは、《死神令嬢》と呼ばれ忌み嫌われてきた。
厄介払い同然に政略結婚で送り出されたのは、海を越えた東の国。
ところがそこは、長く使われた物には魂が宿ると信じられている国で――。
リディアが「死神令嬢」と呼ばれるようになったのは、十二歳のときだった。
王都の神殿で行われた祝福の儀で、彼女が授かったスキルは《終焉の祝福》。
神官は何度も鑑定板を見直した。
「……死の際にあるものへ、祝福を与える力です」
それを聞いた父は顔をしかめた。
母は泣いた。
妹は、その日からリディアと同じ食器を使わなくなった。
誰かを殺す力ではない。寿命を縮める力でもない。
それでも「死」という一文字は、十二歳の少女を社交界から締め出すには十分だった。
十六歳のころには、死神令嬢という呼び名は本人の耳にも届くようになった。
十八歳になるころには、リディアもそれを訂正しなくなった。
そして二十歳の春。
「東国へ嫁げ」
父にそう命じられた。
海を越えたはるか東に、トヨミという国がある。
国交を結んでまだ十年にもならない異国で、服装も、言葉も、神も違うという。
その国の皇弟、アキツグとの縁談が持ち上がった。
公爵家の娘を嫁がせるには格として申し分ない。
そして、国内の貴族なら誰も欲しがらない娘を送り出す先としても、申し分なかった。
「承知いたしました」
リディアは頭を下げた。
母はまた泣いた。
けれど十二歳のあの日とは違って、リディアは泣かなかった。
むしろ、少しだけほっとしていた。
死神令嬢を知る者のいない国へ行ける。
それだけで十分だった。
*
東国トヨミは、不思議な国だった。
まず、神が多い。
海にも山にも神がいる。
台所には火の神がいて、井戸にも神がいて、大木にも岩にも神がいる。
さらには、長く使った道具にまで魂が宿るという。
「物にまで、ですか?」
輿の中でリディアが尋ねると、付き添いの女官、スズは当然のようにうなずいた。
「はい。百年を経た道具は、付喪神になることがあると申します」
「それは……恐ろしいものなのですか」
「まさか!」
スズは目を丸くした。
「まあ、悪さをするものもいるそうですが。物を粗末にすれば祟られる、と子どもにはよく言いますね」
「祟られるのですね」
「ですから、大切に使うのです」
なるほど。
リディアは窓の外を眺めた。
理解できるような、できないような話だった。
けれど、その考え方を嫌いではないと思った。
夫となったアキツグは、リディアより五つ年上だった。
黒い髪を後ろでひとつに束ねた、物静かな男である。
婚礼の夜、彼はリディアに言った。
「遠いところまで、よく来てくれた」
「もったいなきお言葉です」
「それと、一つ聞いておきたい」
リディアの背筋が強張った。
来た。
きっと、あの話だ。
「あなたは《終焉の祝福》という力を持つそうだな」
「……はい」
「どのような力だ?」
予想外の質問だった。
「お聞きになっていないのですか」
「死に関わる力だとは聞いた。だが、それだけだ」
リディアは膝の上で手を握った。
「死の際にある者へ、祝福を与える力だそうです」
「そうか」
「……恐ろしくは、ないのですか」
「なぜ?」
あまりにも素直に問い返され、リディアは答えに詰まった。
「死に関わる力です」
「人を殺すのか?」
「いいえ」
「寿命を奪う?」
「いいえ」
「では、何を恐れる?」
リディアは黙った。
そんなふうに尋ねられたことは、一度もなかった。
「俺には、その力が何をするものなのか分からない」
アキツグは言った。
「だから、分かってから考える」
それだけだった。
優しい言葉をかけられたわけではない。
あなたは悪くないと慰められたわけでもない。
なのにその晩、寝台に入ってから、リディアは少しだけ泣いた。
*
それからひと月ほど経った日のことだった。
ぱりん、と乾いた音がした。
「あっ!」
スズが声を上げた。
茶を運んできた女中が、茶碗を取り落としたのだ。
白い茶碗が床で真っ二つに割れている。
「申し訳ございません!」
女中は真っ青になった。
「お怪我は?」
リディアが尋ねる。
「ございません。ですが、その茶碗は……」
スズがしゃがみ込んだ。
「ああ。とうとう割れてしまいましたか」
「高価なものなのですか?」
「いえ。先々代のころから、このお屋敷で使われていたものだそうです」
「そんなに長く?」
「何度も欠けては直して。もう百年近いのではないでしょうか」
リディアも茶碗を見た。
割れた断面に、金色の線がいくつも走っている。
過去に修復された跡らしい。
そのときだった。
――苦しい。
リディアは息を呑んだ。
「……え?」
胸の奥に、妙な感覚があった。
知っている。
昔、一度だけ経験したことがある。
領地で老馬が死んだときだ。
厩舎の隅で横たわった馬に触れた瞬間、同じものを感じた。
終わろうとしている命の気配。
けれど、目の前にあるのは茶碗だ。
「姫様?」
「少し、触れてもよろしいですか」
「もちろんですが……破片でお怪我をなさらぬよう」
リディアはそっと指を伸ばした。
割れた茶碗に触れる。
やはり、感じる。
終わろうとしている。
この茶碗が。
「まさか」
リディアは呟いた。
十二歳から一度も使おうとしなかった力。
使う必要などないと思っていた力。
けれど。
「《終焉の祝福》」
淡い光が指先からこぼれた。
茶碗を包む。
そして。
「――ああ、さっぱりした!」
知らない声がした。
「え?」
割れた茶碗の上に、小さな老人が座っていた。
手のひらほどの大きさで、白い着物をまとっている。
老人はうーんと大きく伸びをした。
「いやあ、長かった! ずいぶん働いたぞ!」
リディアは固まった。
「……あなたは、どなたですか」
「わしか?」
老人は自分を指差した。
「茶碗じゃよ」
「…………」
「姫様?」
スズが不思議そうにこちらを見ている。
「そこに、老人が」
「老人?」
「はい」
「どちらに?」
リディアは老人を見る。
老人は腹を抱えて笑っていた。
「見えとらん、見えとらん!」
「あなたは……付喪神なのですか?」
「そうとも!」
スズが息を呑んだ。
「姫様。付喪神が、見えるのですか?」
「……どうやら」
老人は割れた茶碗をぽんぽんと叩いた。
「先々代の坊ちゃんが子どものころから使われてな。いやあ、いろいろ見たぞ。泣いた子、笑った子、夫婦喧嘩に、祝い事。百年も茶を受けりゃあ、もう十分じゃ」
老人は満足そうだった。
「最後に、ええものをもろうた」
「ええもの?」
「お嬢さんの、あれじゃよ」
老人はにっと笑った。
「よくやった、もう終わってよいぞ、と言われたような心地がした」
リディアは何も言えなかった。
「ありがとうな」
老人の身体が、淡く透けていく。
「待って」
「なんじゃ」
「あなたは……消えてしまうのですか?」
「そりゃあ、茶碗が割れたからな」
「怖くはありませんか」
老人は目を丸くした。
それから、からからと笑った。
「百年働いたんじゃぞ。もう十分じゃ」
そして最後に、
「よい器生であった!」
と言って消えた。
後には、割れた茶碗だけが残った。
*
「それは、とても尊い御業ではありませんか」
その日の夜。
事情を聞いたアキツグは、そう言った。
リディアは思わず彼を見つめた。
「……尊い?」
「長く務めたものを、安らかに送り出したのだろう?」
「ですが、死の力です」
「そうだな」
あっさり肯定された。
「死は、悪いことではない」
アキツグは庭へ目を向けた。
夏の終わりの虫が鳴いている。
「惜しいことではある。悲しいこともある。だが、生きたものも、形あるものも、いつか終わる」
静かな声だった。
「終わりがあるからといって、それまでの日々まで不吉になるわけではないだろう」
リディアは俯いた。
十二歳の自分に聞かせてやりたいと思った。
お前の力は不吉なのだと。
誰にも触れるなと。
死神の娘だと。
そう言われて、小さくなっていた少女に。
「……こちらの国は、不思議ですね」
「そうか?」
「死を、そんなふうに話す人を初めて見ました」
アキツグはしばらく考えた。
「では、慣れるといい」
「え?」
「これから長く暮らすのだから」
リディアは彼を見た。
アキツグはもう庭を見ていた。
だから、その横顔に向かって小さく笑った。
*
翌朝。
リディアは、騒がしい声で目を覚ました。
「おい、押すでない!」
「わしが先じゃ!」
「昨日から待っとるんじゃぞ!」
「若いのは後にせい!」
「百二十年物を年寄り扱いするな!」
なんの騒ぎだろう。
目を開ける。
そしてリディアは硬直した。
枕元に、見知らぬ者たちがずらりと並んでいた。
小さな老婆。
片目の男。
子ども。
武士。
傘を背負った老人。
なぜか頭に蓋を載せた女。
「…………」
リディアはそっと布団を鼻まで引き上げた。
「あ、起きたぞ!」
「姫様!」
「わしにも祝福を!」
「次はわしじゃ!」
「いや、俺だ!」
「静かにせんか! 姫様が怯えとるじゃろうが!」
「あなた方は……?」
恐る恐る尋ねる。
全員が胸を張った。
「付喪神じゃ!」
声が揃った。
リディアはもう一度布団をかぶった。
後になって分かったことだが、昨日の茶碗の老人が、消える前にずいぶん広く触れ回ったらしい。
西から来た姫がいる。
自分たちの声が聞こえる。
そして、役目を終えたものを、それはそれは気持ちよく送り出してくれる。
その噂は屋敷から町へ、町から都へ。
付喪神から付喪神へ。
恐ろしい速さで広まっていった。
結果。
「本日は二十三柱がお待ちです」
「昨日は?」
「十七柱です」
「増えていますね」
「はい」
「なぜでしょう」
「評判がよろしいのでしょう」
「嬉しくありません」
そう言いながら、リディアは最初の一柱を招き入れた。
古びた櫛の付喪神だった。
その次は破れた扇。
その次は、刃の潰れた包丁。
みな話したがった。
誰に使われたか。
どんな仕事をしたか。
何を見てきたか。
百年の話をするものもいれば、たった十年の思い出を宝物のように語るものもいた。
リディアはそれを聞いた。
そして最後に触れた。
「よく務めましたね」
祝福する。
「お疲れさまでした」
光が満ちる。
「どうか、安らかに」
そうして送り出すたび、不思議なことに、リディア自身の胸の中にも温かなものが積もっていった。
半年後。
都で彼女を「死神令嬢」と呼ぶ者はいなくなった。
代わりに、いつの間にか別の呼び名がついていた。
――送りの祝姫。
人も物も、その役目を終えるとき。
これまでの歩みを祝福し、安らかに送り出してくれる姫。
リディアはその名を、少しくすぐったく思っていた。
「今日も多いな」
縁側に座ったアキツグが言った。
彼には付喪神が見えない。
だから、庭に五十柱近い付喪神が並んでいることも知らない。
「ええ。とても」
「そうか」
「あなたのすぐ横にもいますよ」
「どんな奴だ?」
「刀の方です」
「刀?」
「あなたが五歳のころ、床の間によじ登って叱られた話をしています」
「待て」
アキツグの顔色が変わった。
「なぜそれを知っている」
リディアは笑った。
「秘密です」
「おい」
「それから、七歳のころ池に落ちたお話と」
「やめさせろ」
「十歳まで一人で眠れなかったお話も」
「今すぐそいつを成仏させろ」
「まだ現役だそうです」
「くそっ」
隣で刀の付喪神が腹を抱えて笑っている。
リディアも笑った。
声を上げて笑うなんて、西にいたころにはほとんどなかった。
アキツグがそんな彼女を見ている。
「……なんですか?」
「いや」
彼は少しだけ笑った。
「あなたを迎えてよかったと思ってな」
不意打ちだった。
リディアの頬が熱くなる。
「それは……政略的な意味で?」
「どう思う?」
「質問に質問で返さないでください」
庭の付喪神たちが騒ぎ始めた。
「言え!」
「男なら言わんか!」
「姫様を泣かせたら祟るぞ!」
「婿、しっかりせい!」
「うるさいです!」
思わずリディアが叫ぶ。
アキツグが目を丸くした。
「俺は何も言っていないぞ」
「あなたではありません!」
「では誰だ」
「あなたを応援している方々です!」
「俺には何も聞こえないのだが」
「幸せなことです!」
また笑い声が起こった。
人のものと、人ならざるものと。
その真ん中で、リディアもとうとう笑ってしまった。
かつて、彼女は自分の力を呪いだと思っていた。
死の際に祝福を与える。
そんな力に、何の意味があるのだろうと。
けれど今は知っている。
終わることと、不幸であることは同じではない。
百年働いた茶碗が、最後に笑って消えたように。
役目を終えるその瞬間まで、そのものが歩んできた時間は消えない。
ならば最後に、よく生きたと。
よく務めたと。
祝福する者がいてもいい。
「姫様! 次、わし!」
「こら、順番を守れ!」
「わしは二百年物じゃぞ!」
「年功序列ではありません!」
リディアは立ち上がった。
今日も忙しくなりそうだ。
遠い西の国では、今でも彼女を死神令嬢と呼ぶ者がいるのかもしれない。
けれど、もうどうでもよかった。
「では、次の方」
庭いっぱいの付喪神が、一斉に手を挙げる。
その向こうには、彼女を待っている夫がいる。
海を越えた東の国。
誰も自分を知らない場所へ捨てられたのだと思っていた。
どうやら、違ったらしい。
リディアは笑った。
ここはきっと。
彼女が幸せになるために、辿り着いた国だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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好評でしたら長編に書き直したいです!




