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死神令嬢の《終焉の祝福》――東の国では付喪神たちに大人気でした

作者: 川代つかさ
掲載日:2026/08/31

「死の際にあるものへ、祝福を与える」

そんな不吉なスキルを授かった公爵令嬢リディアは、《死神令嬢》と呼ばれ忌み嫌われてきた。


厄介払い同然に政略結婚で送り出されたのは、海を越えた東の国。

ところがそこは、長く使われた物には魂が宿ると信じられている国で――。




 リディアが「死神令嬢」と呼ばれるようになったのは、十二歳のときだった。

 王都の神殿で行われた祝福の儀で、彼女が授かったスキルは《終焉の祝福》。

 神官は何度も鑑定板を見直した。


「……死の際にあるものへ、祝福を与える力です」


 それを聞いた父は顔をしかめた。

 母は泣いた。

 妹は、その日からリディアと同じ食器を使わなくなった。


 誰かを殺す力ではない。寿命を縮める力でもない。

 それでも「死」という一文字は、十二歳の少女を社交界から締め出すには十分だった。


 十六歳のころには、死神令嬢という呼び名は本人の耳にも届くようになった。


 十八歳になるころには、リディアもそれを訂正しなくなった。


 そして二十歳の春。


「東国へ嫁げ」

 父にそう命じられた。

 海を越えたはるか東に、トヨミという国がある。

 国交を結んでまだ十年にもならない異国で、服装も、言葉も、神も違うという。


 その国の皇弟、アキツグとの縁談が持ち上がった。


 公爵家の娘を嫁がせるには格として申し分ない。

 そして、国内の貴族なら誰も欲しがらない娘を送り出す先としても、申し分なかった。


「承知いたしました」


 リディアは頭を下げた。

 母はまた泣いた。

 けれど十二歳のあの日とは違って、リディアは泣かなかった。

 むしろ、少しだけほっとしていた。


 死神令嬢を知る者のいない国へ行ける。


 それだけで十分だった。


     *


 東国トヨミは、不思議な国だった。


 まず、神が多い。

 海にも山にも神がいる。

 台所には火の神がいて、井戸にも神がいて、大木にも岩にも神がいる。

 さらには、長く使った道具にまで魂が宿るという。


「物にまで、ですか?」


 輿の中でリディアが尋ねると、付き添いの女官、スズは当然のようにうなずいた。


「はい。百年を経た道具は、付喪神になることがあると申します」


「それは……恐ろしいものなのですか」


「まさか!」


 スズは目を丸くした。


「まあ、悪さをするものもいるそうですが。物を粗末にすれば祟られる、と子どもにはよく言いますね」


「祟られるのですね」


「ですから、大切に使うのです」


 なるほど。

 リディアは窓の外を眺めた。

 理解できるような、できないような話だった。

 けれど、その考え方を嫌いではないと思った。


 夫となったアキツグは、リディアより五つ年上だった。

 黒い髪を後ろでひとつに束ねた、物静かな男である。

 婚礼の夜、彼はリディアに言った。


「遠いところまで、よく来てくれた」


「もったいなきお言葉です」


「それと、一つ聞いておきたい」


 リディアの背筋が強張った。

 来た。

 きっと、あの話だ。


「あなたは《終焉の祝福》という力を持つそうだな」


「……はい」


「どのような力だ?」


 予想外の質問だった。


「お聞きになっていないのですか」


「死に関わる力だとは聞いた。だが、それだけだ」


 リディアは膝の上で手を握った。


「死の際にある者へ、祝福を与える力だそうです」


「そうか」


「……恐ろしくは、ないのですか」


「なぜ?」


 あまりにも素直に問い返され、リディアは答えに詰まった。


「死に関わる力です」


「人を殺すのか?」


「いいえ」


「寿命を奪う?」


「いいえ」


「では、何を恐れる?」


 リディアは黙った。


 そんなふうに尋ねられたことは、一度もなかった。


「俺には、その力が何をするものなのか分からない」


 アキツグは言った。


「だから、分かってから考える」


 それだけだった。

 優しい言葉をかけられたわけではない。

 あなたは悪くないと慰められたわけでもない。


 なのにその晩、寝台に入ってから、リディアは少しだけ泣いた。


     *


 それからひと月ほど経った日のことだった。

 ぱりん、と乾いた音がした。


「あっ!」


 スズが声を上げた。

 茶を運んできた女中が、茶碗を取り落としたのだ。

 白い茶碗が床で真っ二つに割れている。


「申し訳ございません!」


 女中は真っ青になった。


「お怪我は?」


 リディアが尋ねる。


「ございません。ですが、その茶碗は……」


 スズがしゃがみ込んだ。


「ああ。とうとう割れてしまいましたか」


「高価なものなのですか?」


「いえ。先々代のころから、このお屋敷で使われていたものだそうです」


「そんなに長く?」


「何度も欠けては直して。もう百年近いのではないでしょうか」


 リディアも茶碗を見た。

 割れた断面に、金色の線がいくつも走っている。

 過去に修復された跡らしい。


 そのときだった。


 ――苦しい。


 リディアは息を呑んだ。


「……え?」


 胸の奥に、妙な感覚があった。

 知っている。

 昔、一度だけ経験したことがある。

 領地で老馬が死んだときだ。

 厩舎の隅で横たわった馬に触れた瞬間、同じものを感じた。

 終わろうとしている命の気配。


 けれど、目の前にあるのは茶碗だ。


「姫様?」


「少し、触れてもよろしいですか」


「もちろんですが……破片でお怪我をなさらぬよう」


 リディアはそっと指を伸ばした。

 割れた茶碗に触れる。

 やはり、感じる。


 終わろうとしている。

 この茶碗が。


「まさか」


 リディアは呟いた。


 十二歳から一度も使おうとしなかった力。

 使う必要などないと思っていた力。

 けれど。


「《終焉の祝福》」


 淡い光が指先からこぼれた。

 茶碗を包む。

 そして。


「――ああ、さっぱりした!」


 知らない声がした。


「え?」


 割れた茶碗の上に、小さな老人が座っていた。

 手のひらほどの大きさで、白い着物をまとっている。

 老人はうーんと大きく伸びをした。


「いやあ、長かった! ずいぶん働いたぞ!」


 リディアは固まった。


「……あなたは、どなたですか」


「わしか?」


 老人は自分を指差した。


「茶碗じゃよ」


「…………」


「姫様?」


 スズが不思議そうにこちらを見ている。


「そこに、老人が」


「老人?」


「はい」


「どちらに?」


 リディアは老人を見る。

 老人は腹を抱えて笑っていた。


「見えとらん、見えとらん!」


「あなたは……付喪神なのですか?」


「そうとも!」


 スズが息を呑んだ。


「姫様。付喪神が、見えるのですか?」


「……どうやら」


 老人は割れた茶碗をぽんぽんと叩いた。


「先々代の坊ちゃんが子どものころから使われてな。いやあ、いろいろ見たぞ。泣いた子、笑った子、夫婦喧嘩に、祝い事。百年も茶を受けりゃあ、もう十分じゃ」


 老人は満足そうだった。


「最後に、ええものをもろうた」


「ええもの?」


「お嬢さんの、あれじゃよ」


 老人はにっと笑った。


「よくやった、もう終わってよいぞ、と言われたような心地がした」


 リディアは何も言えなかった。


「ありがとうな」


 老人の身体が、淡く透けていく。


「待って」


「なんじゃ」


「あなたは……消えてしまうのですか?」


「そりゃあ、茶碗が割れたからな」


「怖くはありませんか」


 老人は目を丸くした。

 それから、からからと笑った。


「百年働いたんじゃぞ。もう十分じゃ」


 そして最後に、


「よい器生であった!」


 と言って消えた。

 後には、割れた茶碗だけが残った。


     *


「それは、とても尊い御業ではありませんか」


 その日の夜。

 事情を聞いたアキツグは、そう言った。

 リディアは思わず彼を見つめた。


「……尊い?」


「長く務めたものを、安らかに送り出したのだろう?」


「ですが、死の力です」


「そうだな」


 あっさり肯定された。


「死は、悪いことではない」


 アキツグは庭へ目を向けた。

 夏の終わりの虫が鳴いている。


「惜しいことではある。悲しいこともある。だが、生きたものも、形あるものも、いつか終わる」


 静かな声だった。


「終わりがあるからといって、それまでの日々まで不吉になるわけではないだろう」


 リディアは俯いた。

 十二歳の自分に聞かせてやりたいと思った。

 お前の力は不吉なのだと。

 誰にも触れるなと。

 死神の娘だと。

 そう言われて、小さくなっていた少女に。


「……こちらの国は、不思議ですね」


「そうか?」


「死を、そんなふうに話す人を初めて見ました」


 アキツグはしばらく考えた。


「では、慣れるといい」


「え?」


「これから長く暮らすのだから」


 リディアは彼を見た。

 アキツグはもう庭を見ていた。

 だから、その横顔に向かって小さく笑った。


     *


 翌朝。

 リディアは、騒がしい声で目を覚ました。


「おい、押すでない!」


「わしが先じゃ!」


「昨日から待っとるんじゃぞ!」


「若いのは後にせい!」


「百二十年物を年寄り扱いするな!」


 なんの騒ぎだろう。

 目を開ける。

 そしてリディアは硬直した。

 枕元に、見知らぬ者たちがずらりと並んでいた。

 

 小さな老婆。

 

 片目の男。

 

 子ども。


 武士。


 傘を背負った老人。


 なぜか頭に蓋を載せた女。


「…………」


 リディアはそっと布団を鼻まで引き上げた。


「あ、起きたぞ!」


「姫様!」


「わしにも祝福を!」


「次はわしじゃ!」


「いや、俺だ!」


「静かにせんか! 姫様が怯えとるじゃろうが!」


「あなた方は……?」


 恐る恐る尋ねる。

 全員が胸を張った。


「付喪神じゃ!」


 声が揃った。

 リディアはもう一度布団をかぶった。

 後になって分かったことだが、昨日の茶碗の老人が、消える前にずいぶん広く触れ回ったらしい。

 

 西から来た姫がいる。

 自分たちの声が聞こえる。

 そして、役目を終えたものを、それはそれは気持ちよく送り出してくれる。


 その噂は屋敷から町へ、町から都へ。

 付喪神から付喪神へ。

 恐ろしい速さで広まっていった。


 結果。


「本日は二十三柱がお待ちです」


「昨日は?」


「十七柱です」


「増えていますね」


「はい」


「なぜでしょう」


「評判がよろしいのでしょう」


「嬉しくありません」


 そう言いながら、リディアは最初の一柱を招き入れた。

 古びた櫛の付喪神だった。

 その次は破れた扇。

 その次は、刃の潰れた包丁。

 みな話したがった。

 誰に使われたか。

 どんな仕事をしたか。

 何を見てきたか。

 百年の話をするものもいれば、たった十年の思い出を宝物のように語るものもいた。

 リディアはそれを聞いた。


 そして最後に触れた。


「よく務めましたね」


 祝福する。


「お疲れさまでした」


 光が満ちる。


「どうか、安らかに」


 そうして送り出すたび、不思議なことに、リディア自身の胸の中にも温かなものが積もっていった。


 半年後。

 都で彼女を「死神令嬢」と呼ぶ者はいなくなった。

 代わりに、いつの間にか別の呼び名がついていた。


 ――送りの祝姫。


 人も物も、その役目を終えるとき。

 これまでの歩みを祝福し、安らかに送り出してくれる姫。

 リディアはその名を、少しくすぐったく思っていた。


「今日も多いな」


 縁側に座ったアキツグが言った。

 彼には付喪神が見えない。

 だから、庭に五十柱近い付喪神が並んでいることも知らない。


「ええ。とても」


「そうか」


「あなたのすぐ横にもいますよ」


「どんな奴だ?」


「刀の方です」


「刀?」


「あなたが五歳のころ、床の間によじ登って叱られた話をしています」


「待て」


 アキツグの顔色が変わった。


「なぜそれを知っている」


 リディアは笑った。


「秘密です」


「おい」


「それから、七歳のころ池に落ちたお話と」


「やめさせろ」


「十歳まで一人で眠れなかったお話も」


「今すぐそいつを成仏させろ」


「まだ現役だそうです」


「くそっ」


 隣で刀の付喪神が腹を抱えて笑っている。

 リディアも笑った。

 声を上げて笑うなんて、西にいたころにはほとんどなかった。

 アキツグがそんな彼女を見ている。


「……なんですか?」


「いや」


 彼は少しだけ笑った。


「あなたを迎えてよかったと思ってな」


 不意打ちだった。

 リディアの頬が熱くなる。


「それは……政略的な意味で?」


「どう思う?」


「質問に質問で返さないでください」


 庭の付喪神たちが騒ぎ始めた。


「言え!」


「男なら言わんか!」


「姫様を泣かせたら祟るぞ!」


「婿、しっかりせい!」


「うるさいです!」


 思わずリディアが叫ぶ。

 アキツグが目を丸くした。


「俺は何も言っていないぞ」


「あなたではありません!」


「では誰だ」


「あなたを応援している方々です!」


「俺には何も聞こえないのだが」


「幸せなことです!」


 また笑い声が起こった。

 人のものと、人ならざるものと。

 その真ん中で、リディアもとうとう笑ってしまった。


 かつて、彼女は自分の力を呪いだと思っていた。


 死の際に祝福を与える。

 そんな力に、何の意味があるのだろうと。


 けれど今は知っている。


 終わることと、不幸であることは同じではない。

 百年働いた茶碗が、最後に笑って消えたように。

 役目を終えるその瞬間まで、そのものが歩んできた時間は消えない。

 ならば最後に、よく生きたと。

 よく務めたと。

 祝福する者がいてもいい。


「姫様! 次、わし!」


「こら、順番を守れ!」


「わしは二百年物じゃぞ!」


「年功序列ではありません!」


 リディアは立ち上がった。

 今日も忙しくなりそうだ。

 遠い西の国では、今でも彼女を死神令嬢と呼ぶ者がいるのかもしれない。

 けれど、もうどうでもよかった。


「では、次の方」


 庭いっぱいの付喪神が、一斉に手を挙げる。

 その向こうには、彼女を待っている夫がいる。

 海を越えた東の国。

 誰も自分を知らない場所へ捨てられたのだと思っていた。


 どうやら、違ったらしい。


 リディアは笑った。

 ここはきっと。

 彼女が幸せになるために、辿り着いた国だった。


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