竜の眼。水龍の主人。
▶︎ レオン・リヴァイアス
### 第十九話
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滝は、落ち続けている。
昨日も、今日も、同じ速度で。
同じ音で。
だが、この瞬間だけは違った。
音が「音」でなくなる。
聞いているはずなのに、耳に届かない。
身体に当たっているはずなのに、外から来ていない。
境界が、ほどけていく。
滝壺の大岩の上で、俺は坐禅を組んだまま動かない。
水が肩を叩く。背を押す。頭を打つ。
それでも痛みは立ち上がらない。
快も、不快も、評価として形にならない。
水は敵ではない。
母なる大地があるなら、父なる海がある。
俺にとって水は後者だ。
厳格で、冷たく、嘘をつかない。
甘やかさはないが、拒まない。
時間はとっくに消えていた。
一分かもしれない。
何年かもしれない。
確かめたいとは思わない。
確かめるという行為は、戻るという行為だ。
戻る場所を意識した瞬間、境界が生まれる。
俺は、境界を作りたくない。
欲しがらない。
竜を。
声を。
印を。
何かを得たと証明できる出来事を。
欲しがらない。
滝はただ流れている。
流れているという事実だけが、ここにある。
だから俺も、ただそこに在る。
――そのはずだった。
暗闇の奥で、微かな揺らぎが生まれる。
光ではない。
形でもない。
ただ、世界の縁が擦れる感触。
滝の霧が、集まり始めた。
砕けるはずの飛沫が、砕ける前に並ぶ。
落ちる水の粒が、同じ方向を向く。
逆流ではない。
渦でもない。
流れそのものが、ひとつの意思として形を取ろうとしていた。
岩壁が、鱗に見えた。
いや――最初からそうだったものを、俺が今ようやくわかっただけだ。
滝壺そのものが、呼吸している。
霧の奥から、姿が立ち上がる。
巨大だった。
個体が現れたのではない。
この場所そのものが、竜という形で意志を示した。
胴体だけで山ひとつ分。
首は霧と水流の向こうに消え、全体像は最後まで掴めない。
だが、眼だけははっきりと在った。
深い青。
海溝の底のような色。
そこに虹色の薄膜が走り、光が静かに滑る。
俺は目を開けない。
開ける必要がない。
見るより先に、分かる。
水が俺を打つ。
だがそれは、叩くという行為ではない。
ただ、同じ場所に在るという感触だ。
そして、声がした。
耳で聞いたのではない。
水が、言葉になった。
「よく来たな。我が流れを継ぐ子よ」
胸の奥が、静かに沈む。恐怖ではない。
圧でもない。
この言葉が、ここに在るべきだったと理解してしまう重さ。
俺は跪かない。
驚かない。
名を呼ばない。
ただ、坐したまま顔を上げる。
その瞬間、滝の音の意味が変わった。
大きくなったわけでも、静かになったわけでもない。
落ちる水が、ただ落ちているのではなくなる。
竜の眼が、俺を見た。
拒絶はない。
試す気配もない。
肯定ですらない。
ただ、流れを見る眼。
「水は、抗わぬものを拒まぬ」
水が頭を打つ。
音が、音でなくなる。
境目が溶ける。
自分と水の区別が、さらに薄れる。
竜は続ける。
「お前は、すでに立っているのではない」
一拍。
霧の中で、飛沫が静かに光る。
「流れている」
その一言で、戻れない線が引かれた。
力が増したわけではない。
身体が変わったわけでもない。
ただ、在り方が定まった。
弟の名前を呼んだ日の記憶が、静かに浮かぶ。
――大丈夫だ。
――俺がいる。
後悔していないわけではない。
だが、取り消したいとも思わない。
呼べば守れた命があった。
それでも、あの判断が今の俺を形作っている。
竜の眼が、わずかに細まる。
笑みではない。
赦しでもない。
流れが、そこで折れなかったことを見届けた眼だ。
「欲しがるな」
声は静かだ。
だが、滝壺全体に染み渡る。
「欲しがれば、境界が生まれる」
「境界が生まれれば、お前は水から離れる」
俺は答えない。
答えを言葉にした瞬間、境界が生まれる。
だから、ただ受け入れる。
最後に、竜はもう一度だけ告げた。
「よく来たな。我が流れを継ぐ子よ」
それは呼びかけではない。
確認だった。
俺は、そこに在る。
滝の中心で。
水の中で。
水として。
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ちなみに尊敬しいて大好きななろう系小説は無職転生です。3期が待ち遠しすぎます。




