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竜の神子。龍族の子。

プロローグなので本編は次からです。

竜の息、森の芽吹き


世界が、はじめて息をした夜だった。


産声は、泣き声というよりも、ひとつの呼吸に近かった。

炎でもなく、風でもなく、ただ——深く、静かな吐息。


レンガ造りの家の奥、暖炉の火が穏やかに揺れる部屋で、

赤子は母の腕の中にいた。


母はエルフだった。

長い時を生きる種族特有の、落ち着いた眼差しを持ち、

その翠の瞳には、夜の森のすべてが映り込んでいるかのようだった。


「……この子」


かすれた声でそう呟き、母は笑った。

それは喜びでも、安堵でもなく、

理解した者だけが浮かべる微笑だった。


父は、その様子を少し離れた場所から見つめていた。

龍族の男。

人の姿をとってはいるが、肩幅は広く、立つだけで空気がわずかに震ぐ。


彼は、誰よりも戦いを知っていた。

魔獣と対峙し、炎を吐き、仲間を守り、幾度も血を流してきた。


——だからこそ、分かった。


この子は、普通ではない。


赤子の胸が、ゆっくりと上下するたび、

見えないはずの“何か”が、部屋を満たしていく。


それは魔力とは違う。

もっと古く、もっと根源的なもの。


「……竜だな」


父は、低く呟いた。


母は首を振った。


「竜だけじゃないわ」


そう言って、赤子の額にそっと触れる。

その瞬間、暖炉の火が揺れ、

壁に映る影が、一瞬だけ巨大な翼の形をとった。


だが次の瞬間には、何事もなかったかのように戻る。


「森も、応えている」


母の声は静かだったが、確信に満ちていた。


この子は、

竜の血を引き、

森に祝福され、

そして——まだ言葉にならない何かに、選ばれている。



その夜、誰にも知られぬまま、

ひとつの“加護”が重なった。


龍神の視線が、遠い神界から一瞬だけ下界を掠め、

それが赤子の存在に留まる。


だがそれは祝福ではなく、

賭けに近い選択だった。


——この子なら、生き残る。


——この子なら、まだ終わらない。


そう判断した、ただそれだけ。


赤子は何も知らず、母の腕の中で眠っていた。

この先に待つ喪失も、炎も、神も、まだ知らない。


今はただ、

父の大きな手に包まれ、

母の歌声を聞きながら、

世界を信じて眠っていた。



——そして、炎が降った。


夜空が裂けた、そう錯覚するほどの光が、村を包み込んだ。

それは雷ではない。

星の落下でもない。


意思を持った炎だった。


悲鳴が上がり、次の瞬間には途切れた。

家々は音を立てて崩れ、

木々は根元から焼き切られ、

森は、祈る間もなく黒く変わった。


少年は、その場に立ち尽くしていた。


人間で言えば、まだ十にも満たない年齢。

だがその目は、すでに多くを見すぎていた。


——父が倒れるのを見た。


龍族の体が、地に伏す。

強靭で、誰よりも前に立ち続けた背中が、

今はもう、動かない。


母が叫ぶ。

エルフの声は、森と共鳴し、

自然魔法が、必死に父を癒そうと走る。


だが——間に合わない。


「下がれ!」


兄の声が響いた。

村で最も強く、誰よりも頼れる存在。

炎の中へ、迷いなく飛び込んでいく。


その直後だった。


世界が白く焼けた。


高空から放たれた、圧倒的な熱量。

避ける余地も、防ぐ術もない。


兄の姿が、炎の中に消える。


——一度目の死。


そう、少年は後に理解する。

だがその時は、ただ、理解できなかった。


怒りが爆ぜた。


父と母が、同時に前へ出る。

父は体術で、

母は自然魔法で。


二人は、確かに強かった。

連携も、覚悟も、完璧だった。


だが、相手が悪すぎた。


炎を纏う魔族。

魔王の側近。

その存在は、最初から“格”が違った。


自然魔法を鬱陶しそうに払い、

魔族は、母へと視線を向ける。


——その瞬間。


「母さん!」


兄が、再び現れた。


焼け焦げ、満身創痍で、

それでも、まだ、生きていた。


そして——


母を庇い、

二度目の炎を受け、

今度こそ、完全に消えた。


二度、同じ息子を失った。


母の心が、音を立てて壊れるのを、

少年は、確かに聞いた。


父も限界だった。

怒りと絶望の中で、

最後の力を振り絞り——


そして、倒れた。


残ったのは、

立ち尽くす少年と、

静かに近づいてくる魔族だけ。


その笑みは、嘲りではなかった。

殺意ですらなかった。


何かを確かめるような視線。


だが、少年には分からない。


ただ、怖かった。

逃げたかった。

それでも——


足が、動かなかった。


だから、前に出た。


小さな体で、

壊れた母の前に立ち、

震える声で、叫んだ。


次の瞬間、

母の意識が、戻った。


少年を抱きしめ、

背中で炎を受け止める。


そして——

彼女は、命を捧げた。


少年は、生き残った。


なぜかは、その時は分からない。

ただ、炎の向こうで、魔族が踵を返すのを見た。


——時間切れだ。


そう言わんばかりに。



炎が去った後、

村は、跡形もなかった。


家族は、誰もいなかった。


少年は、瓦礫の中で膝を抱え、

夜が明けるまで動かなかった。


その時、胸の奥で、

何かが、確かに生まれた。


憎しみではない。

怒りでもない。


決意だ。


——必ず、辿り着く。


——必ず、問いただす。


——そして、終わらせる。


神でも、魔王でもない。

あの炎を生んだ、すべての“理由”を。


少年は、顔を上げた。


その瞳に宿るものは、

もはや、幼子のそれではなかった。


竜の息と、

森のまなざしが、

静かに、重なっていた。

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