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漠然とした不安


 朝、目を覚ますと、ふと考えてしまった。


 マスター権限。


 あの日、偶然アプリの設定を見て発見した隠しメニュー。時間操作、現実改変、アイテム生成――あまりに強力すぎる権限。


 こんな権限を持っていて、誰かに見つかったりしないだろうか。何か問題が起こったりしないだろうか。


 ベッドの上で体を起こし、スマホを手に取る。


 アプリを起動してみる。画面には、いつも通りのインターフェースが表示される。マスター権限のメニューも、ひっそりと隠されたままだ。


 特に変わったところはない。ログ機能で履歴を確認してみても、怪しい動きはない。


(とりあえず、今は普通に使っていよう。様子を見るしかない)


 そう判断し、スマホを置いた。


 時計を見ると、午前7時。今日も大学がある。


 シャワーを浴び、身支度を整える。鏡に映る自分の顔を見て、少しだけ驚いた。


 アプリで外見を改造してから、もう1週間以上が経つ。それでも、まだこの顔に完全には慣れていない。


 以前の地味で平凡な顔ではなく、整った顔立ち。髪型も洗練されている。自分で言うのもなんだが、確実にカッコよくなった。


「……まあ、いいことだよな」


 そう呟いて、部屋を出た。


*  *  *


 大学に着くと、いつも以上に注目を集めた。


 キャンパスを歩いているだけで、すれ違う女子学生たちの視線を感じる。


「ねえ、あの人……」


「橘先輩だよね? 最近、すごくかっこいいよね」


「マジで? 声かけてみようかな」


 ひそひそと話す声が聞こえてくる。


 以前の俺なら、こんなことは一度もなかった。空気のように目立たず、誰にも見られることのない存在だった。


 それが今では、こうして注目されている。


 悪い気はしない。むしろ、少し快感すら覚える。


 でも、同時に違和感もある。この注目は、本当の俺への注目なのだろうか。アプリで作り上げた、偽りの外見に対する注目なのではないか。


 そんなことを考えながら、講義室へ向かう。


 1限目の講義が始まる直前、スマホが震えた。


 画面を見ると、陽菜からのLINEだった。


『おはよう、蒼太! 今日も元気だね』


 陽菜。幼馴染の早坂陽菜。明るくて、人懐っこくて、昔から俺のことを心配してくれる。


 先週、陽菜とデートをした。渋谷で、代々木公園を散歩して、二人の距離が近づいた。


 陽菜の好感度を確認してみる。


 アプリを起動し、陽菜の名前を検索。


『早坂陽菜 好感度:85 / 100(恋愛対象として強く意識)』


 85。かなり高い数値だ。


 陽菜は、俺のことを恋愛対象として見てくれている。それがこの数値からはっきりと分かる。


 嬉しい。でも、同時にプレッシャーも感じる。


 陽菜の期待に応えられるだろうか。俺は、陽菜にふさわしい男なのだろうか。


 いや、今の俺なら大丈夫だ。アプリの力で、外見も能力も向上している。自信を持っていい。


 そう自分に言い聞かせて、返信を打つ。


『おはよう、陽菜。こちらも元気だよ』


 送信ボタンを押す。すぐに、陽菜から嬉しそうなスタンプが返ってきた。


 講義が始まり、俺はノートパソコンを開いた。


*  *  *


 講義の途中、ふと視線を感じて顔を上げた。


 少し前の席に座っている女子学生が、こちらを見ていた。


 藤宮詩織。先日、不良学生から助けた女子学生だ。


 黒髪のロングヘア、清楚な雰囲気。落ち着いた美しさを持つ人だ。


 詩織は、俺と目が合うと、柔らかく微笑んで手を振った。


 俺も軽く手を振り返す。


 詩織もこの講義を取っていたのか。今まで気づかなかった。


 いや、正確には、以前の俺は詩織のような美人に気づく余裕すらなかったのかもしれない。


 詩織の好感度も確認してみる。


『藤宮詩織 好感度:82 / 100(恋愛対象として意識)』


 82。こちらも高い。


 詩織も、俺のことを好意的に見てくれている。


 二人の美女から好意を持たれている。これが、今の俺の現実だ。


 少し前までは考えられなかった状況だ。


 でも、この状況を素直に喜んでいいのだろうか。


 陽菜と詩織、二人とも大切にしたい。でも、二人とも選ぶなんてできるのか。


 いや、そもそも選ぶ必要があるのか?


 頭の中がごちゃごちゃしてくる。


 とりあえず、今はそんなことを考えている場合じゃない。講義に集中しよう。


 そう思って、視線をスライドに戻した。


*  *  *


 放課後。


 キャンパスを歩いていると、妙な感覚に襲われた。


 誰かに見られている。


 いや、「見られている」というレベルではない。もっと強い、監視されているような感覚。


 アプリで付与した「直感」スキルが、警告を発している。


 俺は立ち止まり、さりげなく周囲を見回した。


 学生たちが普通に行き来している。特に怪しい人物は見当たらない。


 でも、この感覚は消えない。


 誰かが、俺を監視している。


 アプリで周囲の人物情報を確認してみる。


 近くにいる学生たちの情報が次々と表示される。名前、年齢、所属学部、基本的なステータス。


 特に怪しい人物はいない。全員、普通の大学生だ。


 それでも、この違和感は消えない。


 俺は歩き出した。早足で、人混みの中を進む。


 駅へ向かう道を急ぐ。


 電車に乗り、いつもの駅で降りる。アパートまでの道を急いだ。


 部屋に戻り、ドアに鍵をかける。


 ようやく、少し落ち着いた。


 ベッドに座り、深呼吸をする。


「一体、何なんだ……」


 マスター権限という特別な権限を持っている。それは確かだ。


 そして、今日感じた監視の気配。


 誰かが、俺を監視しているのだろうか。


 俺以外にも、アプリを持っている人間がいる。それは、アプリをダウンロードできる以上、当然のことだ。


 でも、もしその誰かが、俺の持つ「マスター権限」を狙っているとしたら?


 いや、考えすぎだ。誰も俺が特別な権限を持っているなんて知らないはずだ。


 でも……。


 不安が、胸の奥に広がる。


 とりあえず、今は警戒を怠らないようにしよう。アプリで身体能力も向上させているし、何かあっても対応できる。


 そう自分に言い聞かせて、スマホを置いた。


 窓の外を見る。夕焼けが、街をオレンジ色に染めていた。


 今日は、特に何もない平穏な一日だった。


 でも、この平穏がいつまで続くのか分からない。


 そう思いながら、俺は夕食の準備を始めた。


 冷蔵庫を開ける。中には、買い置きの食材が少しだけ入っている。


 簡単にパスタを作ることにした。料理は得意ではないが、一人暮らしを始めてから少しずつ覚えてきた。


 お湯を沸かし、パスタを茹でる。フライパンでベーコンとニンニクを炒める。


 キッチンに立っていると、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。


 料理は、何も考えずに手を動かせる。それが、今の俺には心地よかった。


 パスタが茹で上がり、フライパンに入れて絡める。簡単なペペロンチーノの完成だ。


 皿に盛り、テーブルに座る。


 一人での食事。以前は当たり前だった光景。


 でも、最近は少し違う。陽菜や詩織との食事を想像してしまう。


 二人と一緒に食事をしたら、きっと楽しいだろうな。


 そんなことを考えながら、フォークでパスタを巻き取った。


 食事を終え、皿を洗う。シャワーを浴びて、ベッドに横になる。


 スマホを見ると、陽菜からメッセージが来ていた。


『蒼太、今日もお疲れ様。明日も頑張ろうね』


 相変わらず、陽菜は優しい。


 『ありがとう、陽菜。おやすみ』


 そう返信して、スマホを置いた。


 目を閉じると、すぐに眠りが訪れた。





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