人は見かけによらない
六月二十日に開催した自主企画『#2025エツハシ爆誕三題噺』に向けて作成したものです。企画発案者ですが書きたくなりました。
これを投稿する前日が私の誕生日でした。はい、遅刻です。
お題は『上下関係』『食べ物』『ギャップ』
一部ショッキングなシーンがあります。
もし現代でも拷問が存在するなら、夏場の揚げ物作りも加えてほしいものである。
「あっつ……」
ぽつりと口から本音が漏れだした。次々に体の毛穴から吹き出る汗を首にかけたタオルで拭っていく。無造作な眉毛と無精ヒゲに纏わりつき気持ち悪い。まだ六月の半ばだというのに、梅雨明けしたのかと錯覚するほど猛烈に暑い日が続いている。
自宅はワンルームのためエアコンを付ければ調理中でも涼めるはずなのだが、炒める、焼くの行程はともかく茹でる、揚げるの場合だと全く意味をなさない。
しかし、苦行を乗り越えたあとのからあげの味は格別だ。これに合わせてジンジャーエールを飲めば狭い部屋も天国へと早変わり。これがあるからツラい平日も乗り越えられる。
考えごとをしている間にからあげがフライパンの中でいい具合に色づいてきた。油の節約のため、フライパンに数センチ程度の量で揚げているが普通に調理するのと変わらないくらいカラッとできあがる。網を乗せたバットにからあげを並べ、余熱で完全に火を通せばできあがり。
自分の朝食用と弁当用に数個皿により分けると、二十個程の残りをタッパーに敷き詰める。こっちは会社へのお裾分けだ。ありがたいことに同僚を中心に、からあげを配った三日後には「からあげはまだか、からあげはまだか」とコールが鳴りやまない。手間がかかる分とても嬉しい悲鳴だ。作る楽しさはもちろん、食べて喜んでくれることが何よりの幸せだ。想いを寄せている女性ならば特に。食べてくれたときの反応が楽しみだ。
職場の昼休み。同じフロアにいる全員に聞こえるよう声を張り上げた。
「今日はお手製のからあげを用意しましたー! 早いもの順ですのでこちらへどうぞー!」
「よっしゃー! 今日は何味だろうね」
「私前回もらったから今回譲るよー。食べる人ー?」
俺の呼びかけを皮切りに続々と面々がこちらに集まってくる。からあげが半分くらい減ったタイミングであの人と目が合った。
長潟真純さんはダークブラウンのミディアムヘアに薄化粧の華やか美人。白を基調としたオフィスカジュアルな服装がとても似合っている。彼女は身長が低く童顔で高卒社会人と間違えられるほどだが、実際は二十六歳で俺のふたつ年上だ。さりげなく今あるからあげの中で一番大きいものを選定し、つまようじを刺して彼女に手渡した。
「はい、どうぞ。いつもありがとうございます」
「こちらこそだよ! 今度お返しに何か持ってくるね」
「いえいえそんな。僕が勝手にやっていることなんで」
「宇那木くんは早くお嫁に行くべきだよ」
そんな冗談を交えつつ俺と彼女が雑談していると、無駄にでかい鼻歌を歌いながらズカズカとテーブルに男がやってきた。その瞬間、フロア全員の顔が険しくなったのを見逃さなかった。奴は空っぽになったタッパーを一瞥するやいなや、俺にいちゃもんをつけてくる。
「もうからあげないのかよー。俺が来るまでの間待てなかったわけ?」
「すみません。先着順なので」
俺が穏便に対応しようとすると、あろうことか奴はわずかに残った揚げカスを素手でかき集め無造作に口へと放り込んだ。あまりの出来事に声を失ってしまう。腫れあがったような唇とゴボウのような指を、油でテカテカにさせながらニヤニヤと咀嚼する。
「こんなんじゃ全然食べた気がしねーよ。もっと作れよなー」
「まぁまぁ、今度は上松さんが早めに来れば食べられますよ」
「真澄ちゃんは優しいねー。こんなヤクザ顔より俺と付き合わない?」
「あはは、私結婚願望全くないんでそんな話振られても困りますー。あ、私お昼友だちと食べるんで失礼します」
奴こと上松の侮辱とセクハラ発言を華麗にスルーした長潟さんはさすがだ。四十半ばで独身のビール腹薄らハゲのくせに、二十代の女と付き合えると本気で考えているのだろうか。ひと悶着あったものの、どうにか自分の弁当にありつけた俺は改めて彼女に想いを馳せた。
外見はもちろん、距離感を保ったまま気兼ねなく話しかけてくれ底抜けに明るい。叱るときは叱るが、要点を抑え相手がわかるまで寄り添ってくれる。自分を含めた下戸の人間にも優しく、絵に描いたような完璧で見本の先輩だ。比べて俺は小学生の頃から大人に見られることが多く、プロレスラーのようなガタイと強面なのも相まって人に怖がられるのもしばしばだ。どうにか負のイメージを脱却するため、料理教室と独学で姪と甥にキャラ弁を振舞えるくらいには成長した。身長180cm近くある男がエプロンを身に着けているのだから、奥様方には滑稽に見えたことだろう。……長潟さんに一目置かれたいという下心はここだけの話だ。
その夜。業務を終え帰宅間際、会社にスマホを忘れたことに気づいた。からあげの味付けレパートリーを増やそうと、レシピを頭の中で考えメモしようと鞄を漁ったタイミングでだ。四の五の言っていられない。あのスマホには人に見られたくない情報がたくさん記載されているのだ。役に立たない後悔と面倒を押し殺し、再び電車に乗り込んだ。
正社員の希望者のみに手渡されている鍵でドアを開錠し社内へ足を踏み入れた。非常口以外の光源が見当たらなく、不気味なほど暗い廊下をいそいそと歩く。自分の机からスマホを見つけ鞄に仕舞うと、机にぶつからないよう配慮しながら急いでフロアを出た。
出口に向かう途中、引き戸を縁取るように点灯している部屋を発見した。その場所は給湯室で誰かが消灯し忘れたのだろうか。やれやれ、節電するように上から口うるさく言われているのに、それでもうっかりとミスしてしまう人がいるようだ。ここに居合わせてしまったからには無視するのもバツが悪すぎる。サッと消して帰ろう。今日の夕食のオトモはエビフライだ。
「ええ加減起きぃや、ボケェ!」
「ふぐぅ!」
引き戸の取っ手に指をかけた途端、女の怒号と男の苦悶の声が俺の鼓膜を響かせた。驚いたなんて表現では済まされない。冗談抜きで心臓が一秒止まったのではないか。息を整え、ドア越しから聞こえる怒鳴り声に聞き耳を立ててみると関西弁だ。俺の記憶に間違いがなければ、社内に関西弁で話す人物は存在しない。もし出身地がそうだとしても社員名簿を見なければわからないし、第一そのデータは社長室で厳重に管理されている。俺は好奇心と怖いもの見たさでドアを慎重に数センチ開いた。
俺は目の前のできごとを理解しようとするが、脳が拒んでいるかのように情報が一切入ってこない。自分自身に呼びかけ己の瞳に映る現実をひとつひとつ言語化していく。
まずスーツ姿の男が両足をピッタリと閉じた状態、両手は後ろ手にそれぞれ縛られ横たわっている。体勢を見るに股間を蹴られたのだと直感し、関係のない自分も身震いした。口にはガムテープが貼られ、何か話そうとするたびに鼻から息交じりのうめき声を発していた。背格好からしてあれは上松だ。敵を作る奴だからいつかそうなるのではと思っていたが……そして関西弁を発したであろうもうひとりの人物……
あぁ、また現実逃避をしてしまう。今の俺には到底理解が及ばなかった。しかしそれは揺るがない事実なのだ。
長潟さん……
そこそこ身長のある上松が無様に横たわっているせいで、低身長の長潟さんでも容易く見下ろせる。幸いふたりからは死角の位置で俺を直接見ることはないし、当の俺も鏡越しで様子を観察していた。パンツスタイルの彼女は奴の側にしゃがみこみ、ニヤニヤと笑みを浮かべて語りかけた。
「ビックリしたやろ? あんたがいつものように電話してきたときうちがここに呼びつけて、差し入れの冷コー飲んだ途端にこの状態なんやから。どこにでも売っている睡眠導入剤や。眠うなる以外体に害はないから大丈夫やと思うで? 知らんけど」
彼女の口から流ちょうに発せられる関西弁は現地の人そのものだった。冷コーというのはアイスコーヒーのことだ。テレビで紹介されていたので関東民の俺でも知っていたが、スッとその単語が出るということは住んでいたからなのか。上松もその変わりように目を白黒させてどう対処すればいいかわからないようだ。それに気づいたのか彼女は更に笑みを零す。
「あぁ、あんたの考えてることはわかるで。『どうして俺の想い人の真澄ちゃんが関西弁話してるんや!?』ってな。うちは生まれも育ちも大阪や。別に隠しとるわけでもないから? イントネーション指摘されたら普通に発表してもよかったんやけど。ただこの会社に入ったらなんでかわからんうちに『誰にでも優しゅーておしとやかな長潟真澄さん』っちゅーキャラが確立してもーてなぁ。不都合ないしこのままでええかーっちゅーわけで今に至るわけや。そのちっさい脳みそでわかるか? 自分」
言われてみれば彼女からプライベートの話をほとんど聞いたことがなかった。彼女が受け身な性格だということを差し引いても、共に数年働いてきて両手で数えるほどの情報しか得られていないのではいか。それも食べ物の好き嫌いとかそれくらいのレベルの。
彼女はしゃがんでいた状態から立ち上がると、足元にある鞄から文鎮ほどの大きさでシルバーの物体を取り出した。遠い上、鏡越しでより見えにくい状況だが操る動作でそれが何なのかすぐに合点がいった。ボイスレコーダーだ。
『真澄ちゃーん、庶民臭いあいつのからあげに釣られるくらいなら俺と付き合ってくれよぉー。フレンチ予約するからさぁ』
『ですから、私は……』
『はいはい、男に興味ないんでしょ? だけどさぁー、ポイント稼ぎのために料理をわざわざ持ち込む男だよ? 絶対誰かさんに下心あるでしょ。おっと、つい口が……じゃあ、このことはふたりっきりのときに……』
再生された声の主は察するに目の前にいるふたりだ。その証拠に音声が流れている最中、上松が音をかき消そうと唸り長潟さんが「やかましいんじゃ! 最後まで聞かんかい、ボケ!」という怒鳴り声を発していた。
ボイスレコーダーのスイッチを切ると、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返る。機材を鞄に仕舞うと、彼女は再び奴のそばにしゃがみこんだ。
「よー録れてるやろ。年がら年じゅうあんたのセクハラには苦労させてもろたんやけどな、それはウチだけが我慢すればええことやん? うちの実家は治安っちゅーのがなかなか悪うて、あんたみたいな人間が町にぎょうさんおったんやで。やからそこまで気にせんかったんやけど……惚れてる男のことを舐められるんは我慢できんかった」
彼女は息をつく間もなく言い終えると、手で顔を隠し動かなくなった。泣いているのかはわからない。だが、先ほどの怒りの感情は全く見えず悲しみに染まっていた。その様子をチャンスだと思ったのだろう、上松は芋虫が這いずるように出口に向かって後ずさりを始めた。だがそれは一瞬で終えることとなる。彼女が奴に馬乗りになったからだ。もう逃げられないと悟った奴は命乞いをするかのように涙を流し首を横に振った。そんな様子を見た彼女は限界まで口角を上げケタケタと笑い、己のポケットから何かを取り出した。それはあまりにも予想外なもので、頭の上に疑問符を浮かべる。
「惚れてる女に乗られて嬉しいよなー、自分。長々としゃべりかけてゴメンなー。もうしまいやから。うちが手に持っているコレ、わかるか? 下半身で物ごと考えとる自分でもさすがにわかるやろ。スプーンや。なんでこれを持っとるかって? あんなー、うちあんたにお願いしたいねん。うちと佳樹くんに関わるの辞めてほしいんよ。気持ちを伝えるのはあんたやのーてな、紛れもないうちやねん。あんたが二回頷いてくれたらその結束バンド切って解放したるわ。でもな……」
彼女がそこまで言うと、スプーンを上松の眼球数ミリというわずかな距離を保ったまま近づけた。奴はあまりのできごとに目をつぶるどころか見開いている。俺の下の名前を呼ばれたことなど喜んでいる余裕もない。今日の早朝『夏場の揚げ物作りが拷問だ』と考えていた自分を恥じた。あんなものタンスの角に小指をぶつけた程度の痛みだろう。いや、恐怖という感情を伴わないから絶対マシだ。
「このことを誰かにしゃべったり、ポリ公にチクったらそんときゃ……これであんたの目ん玉抉り取ったるわ。あーあー、そんな動いたらうちが何もせんでも傷ついてしまうで。はは、何回頷いとるん? 意外とあんたおもろいやん。……なんで人間の目ぇが二個あると思う? それはな、一個がつぶれてしもてももう片っぽで見れるからや。腎臓と同じっちゅーこっちゃ。やからな……ケジメの意味込めてうちに今から右目抉り出してもろてもええか? 実はな、ちっさいころからやりたかってん。安心しぃ、カウントダウン終わたら一気にグリッからのキュポンや。もうあんたに座るの気色悪ぅなってきたから十からいくで。十、九、八、七……」
俺は足音を気にすることもせず全力疾走した。あれは夢だ、夢なんだ。現実の俺はからあげの次に好物であるエビフライを食べながらテレビを見ている。適当に付けたテレビ番組で、清楚系女子アナが出演するたびに長潟さんの面影を重ねる自分に苦笑いして。ギリギリ終電に飛び乗った俺は、朗らかに笑う彼女のことをずっと思い描いていた。
翌日。案の定寝不足の俺は足取りがおぼつかないまま出社した。設定したスマホのアラームで起床してから、夢なのか現実なのかフワフワしたまま今に至る。タイムカードに打刻し始業開始までにトイレへと向かった。用を足し洗面台で手を洗っていると上松が入室してきた。また変に絡まれるのかと身構えていると、急に相手は挙動不審になり用を足すこともなく廊下へと走っていいた。一体どういった風の吹き回しだ?
『一気にグリッからのキュポンや』
不気味に笑う関西弁の女の声が脳内を駆け巡る。いやいや、あいつの目玉はあるべきところにふたつともあったじゃないか。でも俺に対する恐れ慄く態度は本物だ。
万が一、億が一あのできごとが現実だと仮定しよう。うちの職場の給湯室は監視カメラと録音機材は設置されていない。それどころか社長が経費をケチり、防犯システムの搭載と駐在の派遣をのらりくらりとかわしている。一応正面入口にカメラがあるもののダミーだそうだ。社員は会社の鍵の携帯を許可されているので、夜間忘れ物を取りに行くのもめずらしくもない。
あれ、昨日最後まで社内に残って戸締りの確認を申し出たのって……
「おーい、宇那木くん! 聞いてるー?」
「ひやっ!」
俺が思い浮かべた人物が急に目の前に現れたのですっとんきょうな声が出てしまった。それを見た長潟さんはふふっと表情を緩める。
「『ひやっ!』だって。体大きいのにかわいい反応するんだね。おはよ!」
「ほっといてくださいよ! ……おはようございます」
普通だ。恐ろしいほどに普通だ。関西弁じゃなく標準語だし、声を張り上げることもない。異常な快楽を持ち合わせた女などこの世に存在しないというように。呆然と突っ立っている俺を訝し気に彼女が見つめる。この上目遣いに何度ときめいたことか。彼女は興奮冷めやらぬまま俺に言う。
「昨日食べた宇那木くんのからあげ、本っ当に美味しかったよ! また作ってね! っていうかいつも作ってもらってるしお金払うよ!」
「いや、僕が作ってるだけなんでいらないですよ」
「ホントにー? ま、考えておいて。たぶん部署のみんな全員賛成すると思うよ。じゃ、資料作りあるから早めに行こうかな。今日のお弁当もじっくり観察させてね」
「はは、お手柔らかに。はい、また」
そう言って彼女は俺から背を向けるとフロアへと歩きだした。……長潟さん、あんなに自分から話す人だったっけ。いや、殺人未遂をはたらいたのではないかと勘ぐったのに比べれば、こんな違和感など些細なことだ。
きっとあれは夢だったのだ。荒い口調の関西弁の女はお笑い芸人、グロテスクな場面は映画のワンシーン。うん、そうに違いない。彼女が俺のことを下の名前で呼んだり好いていると言ったのは妄想だ。だとしたら、給湯室のドアを開けて彼女を抱きしめればよかった。もう少し俺の想いが整理できたら彼女にこの口から伝えよう。そうしたらきっと……
「あ、そうそう」
彼女が振り向く。綺麗に整えられた髪の毛が窓辺の太陽光に照らされて、一本一本余すことなくキラリと光った。その次に映るのは薄化粧の整った横顔。そして再び俺の元に近づいてきた。数十センチという絶妙な距離で止まり俺の心臓が高鳴る。彼女が何を言うのかと期待していると、人差し指を立てて唇の前に置いた。そう、それは内緒話を楽しむ無邪気な子どものように。
「昨日の夜のことなんだけど……」
「え……?」
「ヒミツにしといてな? 佳樹くん♡」
これをギャップと呼ぶには消化に悪すぎる。
最後までご覧いただきありがとうございました。
登場人物の由来
主人公、宇那木 佳樹→慈善活動を行っている『キアヌ・リーブス』と『YOSHIKI』から。
ヒロイン、長潟 真澄→死刑囚『永田洋子』と『林眞須美』から。
被害者、上松→死刑囚『植松聖』から。
関西弁を始めて書きましたがとても楽しかったです。関東民のためネイティブではありません。何かありましたら、誤字報告機能やXのDMでこっそり教えていただけたら幸いです。