妄想
極論、性欲や独占欲も愛だというのは思い込み
愛のある性欲
なんだか人間らしい言い訳に聞こえる
あくまで性欲は性欲
そこに気持ちがあるか無いか
独占欲もそう
独占欲は独占欲
そこにあるのがエゴなのか愛なのか
やはり性欲と愛は別物
例えば身体が不自由になったとて
愛はそこにある
性欲はDNAの欲望
綺麗事にしたい人間の偽り
愛の表現の一つとして用いられる方法
三次元の物質的な手段
贈り物をしたり言葉で伝えたりするのと同じ
体を利用して表現している
生殖行為は健康な男女間で年齢層が限られる行動
限定的だからこそ、愛の表現としてもってこい
だが、それは生物としての本能欲求
愛とは別である
性欲は、親子や友人などの大事な人間関係の愛と男女間(ジェンダーレスも含め)との違う点でもあるので、さらに特別感が増す効果が強い
特別な行動ではある
人を選ぶ
好みや相性、間柄、年齢、性別、宗教観…
けれど、特別な愛ではない
条件やタイミング、同意が成立すれば可能な行動
存在する全てに愛はある
自分自身が愛、そのもの
いつ何時でも愛は流れている
性欲で行動している時も愛は伴う
それはいわゆる恋愛の特別な愛?
真実の愛?唯一無二の愛?
違う
思い込みである
恋愛対象との特別な愛は存在しない
そんなものは、無い
愛は無償の愛、ひとつだけ
関係性というフィルターを通して、家族愛や友愛、恋愛と分けて考えているだけ
ツインレイや運命の人なんてものは、誤解だ
では、この気持ちは何なのか?
心から湧き上がるこの想いは?
それは、深い関わりがある相手
何度も生まれ変わる魂が、何度も何度も関わり合ってきた
ある時は親子で、ある時は心友、そして恋人として夫婦として関係してきた
人間どうしとも限らない、愛猫や愛犬だったりしたかもしれない
時の流れと共にずっと一緒に歩んできた
深く深く知り合い関わって助け合って思い合ってきた
そんな相手に出会ったら、惹かれるに決まっている
遠い異国の地で独り生きている時に、旧知の、お互いものすごくよく理解し合っている相手に会ったら?
懐かしい、嬉しい、楽しい、一緒にいたい、話したい、性欲で繋がれる相手なら繋がりたい…
と、なるのが自然である
つまり、めちゃくちゃ関係してきた魂、ということ
その関わりの中でポジティブなカルマやネガティブなカルマのどちらも積み重なっている
もはや解消されないレベル
減らすどころかカルマが増えるばかり
課題山積みの相手
それが真実の愛、ツインレイの正体
今世でまた出会ったということは、果たすべき約束も課題もしっかり残っている
お互いの魂の成長のため
気になってしょうがない
それを運命の人と呼ぶのは、あながち間違いではないのかな
記憶は忘れていても、お互い情のかたまりの存在
なんだかんだ見た目も性格も魂も慣れ親しんで、出会って別れてを繰り返し、長く深く関わってきた関係
情が移っている
カルマを清算しないと離れられない
離れても、また出会う
終わらない物語
人間はそれを愛と妄想する