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あめつちの詩  作者: SKY
9/9

第九章:時を超える味


雪の舞う年末から穏やかな新年へと季節が移り変わった。「あめつちの詩」は年末年始も多くの人で賑わい、かつてないほどの活気を見せていた。


一月中旬のある日、千代が店の掃除をしていると、電話が鳴った。島田からだった。

「佐々木さん、お元気ですか」島田の声は明るく聞こえた。「再開発計画の最終案がまとまりました。できれば明日にでもお店に伺って、ご説明したいのですが」


千代は少し緊張しながらも、「ええ、ぜひお願いします」と答えた。電話を切ると、すぐに拓也に知らせた。


「どんな内容になるんだろう」拓也は少し心配そうに言った。

「さあ…」千代も不安を隠せなかった。「でも、声は明るかったわよ」


翌日の午後、島田が約束通り「あめつちの詩」を訪れた。彼はいつもよりもリラックスした表情で、大きな図面と書類を手に持っていた。


「佐々木さん、拓也さん、お待たせしました」島田は丁寧に挨拶した。

三人はテーブルを囲んで座り、島田が図面を広げた。


「こちらが最終的な再開発計画です」島田は説明を始めた。「前回お話ししたものから、かなり大きな変更がありました」


千代と拓也は図面を覗き込んだ。確かに、以前見せられたものとは大きく異なっていた。

「当初は商店街全体の建て替えを考えていましたが」島田は続けた。「文化的価値のある建物、特に『あめつちの詩』のような歴史的建造物は保存・改修し、新しい施設と共存させる形に変更しました」


千代は驚きと喜びが混じった表情で、拓也と目を合わせた。


「『あめつちの詩』については」島田はさらに詳しく説明した。「建物の基本的な構造や外観はそのままに、内部設備や耐震性を向上させる改修を行います。また、周辺は『昭和レトロ広場』として整備し、この建物を中心とした小さな文化ゾーンを作る計画です」


「まさか…」千代は信じられないという表情だった。「わたしたちの店が、そんな風に大切にされるなんて」


「実は」島田は少し照れくさそうに言った。

「SNSでの反響や、拓也さんの情報発信の成果は、私たちも注目していました。『あめつちの詩』が単なる古い駄菓子屋ではなく、地域の文化的資産であることが広く認知されるようになったんです」


拓也は静かに頷いた。「そう言っていただけると嬉しいです」


「それに」島田は真剣な表情で続けた。「拓也さんが東京の仕事を辞めて店を継ぐという決断は、私たちにとっても大きな転機でした。継続的に営業される見込みがあることは、保存価値を高める重要な要素なんです」


話し合いは予想以上に前向きな内容で、千代と拓也は安堵した様子だった。改修工事は三月から二ヶ月間行われる予定で、その間は仮設店舗での営業が可能とのことだった。


島田が帰った後、千代はしばらく黙って窓の外を見ていた。庭の柿の木は葉を落とし、冬の姿になっていた。


「拓也」千代は静かに声をかけた。「この店は本当に残るのね」

「うん」拓也は嬉しそうに頷いた。「おばあちゃんとおじいちゃんが守ってきた『あめつちの詩』は、これからも続いていくよ」


その夜、月明かりが庭を照らす中、千代は拓也と柿の木の下に立っていた。


「拓也、あなたに話があるの」千代はゆっくりと切り出した。


「なに?」拓也は千代の真剣な表情に気づいた。

「わたし…『あめつちの詩』をあなたに任せようと思うの」千代はゆっくりと言葉を選びながら言った。「改修工事が終わって、文化財になったら…そろそろわたしは引退しようと思うの」


拓也は驚いた表情になった。「おばあちゃん…」

「もちろん、わたしはどこかに行くわけじゃないわ」千代は続けた。「これからも店にはいるし、べっこう飴も作るわ。ただ、店の責任者としては、あなたに譲りたいの」


千代は静かに言った。「七十八歳よ。いつまでも現役でいられるわけじゃない。それに、『あめつちの詩』は新しい時代に入ろうとしている。あなたの力が必要なのよ」


拓也はしばらく考え込んでいたが、やがて静かに頷いた。「わかったよ、おばあちゃん。その時が来たら、しっかり店を守るよ」


「ありがとう」千代は心から言った。「誠も、きっと喜ぶわ」


二月上旬、文化財保護審議会の視察が行われた。審議会のメンバーたちは真剣な表情で店内を隅々まで調査し、千代の話に熱心に耳を傾けた。


「この店の名前、『あめつちの詩』は、夫が付けたものなんです」千代は懐かしそうに語った。


「『駄菓子は子どもたちの小さな宝物。でも、その小さな宝物が、子どもたちの心の中では天地のように広がる』と言って…」


視察の結果、「あめつちの詩」は登録有形文化財として申請が正式に承認された。


三月から改修工事が始まり、千代と拓也は商店街の入口に設置された仮設店舗での営業に移った。小さいながらも温かみのある仮設店舗は予想以上の人気となり、健太の母親・真理も週に数日手伝いに来てくれるようになった。


五月のある日、改修工事を終えた「あめつちの詩」のグランドオープンが行われた。外観はほとんど変わらない木造二階建てだが、内部の設備は一新され、より機能的になっていた。


オープニングセレモニーで、千代は重要な発表をした。

「これからは、孫の拓也が中心となって『あめつちの詩』を運営していきます。わたしも引き続き店にいて、べっこう飴は作り続けますが、正式に店を継ぐのは拓也です」


拓也も前に立ち、「祖父母が大切に守ってきた『あめつちの詩』を、これからは私が責任を持って継いでいきます」と決意を述べた。


冬から春へと季節が移り変わる中、「あめつちの詩」も新しい時代への一歩を踏み出していった。


改修後の「あめつちの詩」がオープンしてから半年が過ぎた秋のある日、健太が放課後、いつものように店を訪れた。


「千代おばあちゃん」健太は少し緊張した様子で声をかけた。「べっこう飴の作り方、もう少し詳しく教えてもらえませんか?」


「もちろんよ」千代は嬉しそうに答えた。「ちょうど作るところだから、一緒にやりましょう」


千代の調理スペースで、健太は真剣な表情で千代の手元を見つめていた。砂糖を溶かし、水飴を加え、琥珀色になるまで熱する過程を、一つ一つ丁寧に教わっていく。


「火加減が大事なのよ」千代は説明した。「強すぎても弱すぎてもダメ」


「ねえ、健太くん」千代はふと尋ねた。「どうして駄菓子職人になりたいの?難しい道よ」


健太は少し考えてから答えた。「僕が引っ越してきた時、友達がいなくて寂しかった。でも、千代おばあちゃんの店に来るようになって、さくらちゃんや他のみんなと友達になれた」健太の声は落ち着いていた。


「それに、おばあちゃんの作るべっこう飴は、本当に美味しくて…なんか、幸せな気持ちになるんです」


千代は黙って聞いていた。

「だから、僕も…そんなお菓子を作れる人になりたいんです」健太は真剣な表情で言った。「人を幸せにするお菓子を」千代の目に涙が浮かんだ。


健太の言葉は、かつて誠が語った言葉とあまりにも似ていた。

「健太くん」千代は感動を抑えながら言った。「あなたなら、きっといい駄菓子職人になれるわ」


その日以降、健太は放課後になると「あめつちの詩」に立ち寄り、宿題を終えた後は千代からべっこう飴の作り方を教わるようになった。彼の真剣さは日に日に増し、少しずつではあるが技術も上達していった。


十二月のクリスマスイベントで、拓也は特別な発表をした。


「『あめつちの詩』は来年で開店七十周年を迎えます」拓也は会場に集まった人々に語りかけた。「そこで、記念事業として『駄菓子の技術継承プロジェクト』を始めることにしました」


拓也は続けた。「このプロジェクトでは、手作り駄菓子の技術を次世代に伝えるため、定期的なワークショップや若い人向けの技術講習会を開催します。そして、第一期の研修生として、松田健太くんを正式に迎えることになりました」

会場から拍手が沸き起こり、健太の顔は驚きと喜びで輝いた。


「健太くんは祖母・千代から直接技術を学び、既に素晴らしいべっこう飴を作れるようになっています」拓也は健太を指さした。「駄菓子の技術を継承し、この文化を未来に伝えていくことこそ、登録有形文化財となった『あめつちの詩』の使命だと考えています」


健太は信じられないという表情で千代を見た。千代は優しく微笑みながら頷いた。


翌年の春、桜が咲く季節になった頃、「あめつちの詩」では特別な日を迎えていた。健太が初めて一人でべっこう飴を作り、店頭で販売する日だったのだ。


「緊張するな」健太は調理スペースで、深呼吸を繰り返していた。


「大丈夫よ」千代は優しく励ました。「もう何度も練習したでしょう。あなたの技術は確かなものよ」


健太は丁寧に作業を進め、やがて美しいべっこう飴が次々と生まれていった。琥珀色に輝く飴は、光に透かすと、中に閉じ込められた小さな空気の泡が星のように見えた。


「すごい」さくらは感嘆の声を上げた。「本当に美しい」


健太のべっこう飴は「研修生特製」としてラベルが付けられ、店頭に並べられた。予想以上の人気で、午後には完売してしまった。


夕方、店が閉まった後、千代は健太を正面に座らせ、特別なものを取り出した。それは古い木箱に入った、一組の道具だった。


「これは」千代は静かに言った。「わたしが誠から受け継いだ、特別な飴作りの道具よ」

健太は驚いた表情で箱を見つめた。


「今日、あなたは一人前の駄菓子職人への第一歩を踏み出した」千代は静かに続けた。「まだ長い道のりがあるけれど、この道具を使って、より高度な技術を学んでいってほしい」


「これは単なる道具じゃないのよ」千代は言った。「誠の思い、わたしの思い、そして『あめつちの詩』の魂が込められているの」


健太の目に涙が浮かんだ。「千代おばあちゃん…」


拓也とさくらも静かに見守る中、健太は深々と頭を下げた。

「必ず、この思いを次の世代につなげます」健太は力強く約束した。


千代はそっと健太の肩に手を置いた。「あなたなら、きっとできるわ」


その日の夕暮れ時、「あめつちの詩」の窓辺に立った千代は、庭の柿の木を眺めていた。若葉が風に揺れる柿の木は、七十年前に誠と一緒に植えたあの小さな苗木から、こんなにも大きく成長したのだ。


「誠」千代は心の中で呟いた。「わたしたちが始めた『あめつちの詩』は、これからも続いていくわ。拓也、そして健太くん…次の世代、またその次の世代へと」


窓の外からは、さくらと健太の笑い声が聞こえてきた。二人は庭で何やら話し込んでいる。千代はその様子を暖かな目で見守った。


拓也が千代の横に立った。「何を考えてるの?」

「ただね」千代は微笑んだ。「時が流れても変わらないものがあるって思って」


「そうだね」拓也も頷いた。「子どもたちの笑顔、駄菓子の甘い香り、誰かに喜びを届けたいという思い…」


「そう」千代は静かに言った。「それが『あめつちの詩』の本当の姿ね」


二人は窓辺に立ったまま、夕日に染まる商店街を眺めていた。かつてのシャッター通りは、今では「昭和レトロ広場」として整備され、多くの人で賑わうようになっていた。「あめつちの詩」を中心に、小さな飲食店や雑貨店も増え、新しい命が吹き込まれていた。


「時を超える味」千代はふと呟いた。


「え?」拓也は千代を見た。

「べっこう飴の味は、七十年間変わらないのよ」千代は静かに言った。「でも、それを味わう人の思い出は、それぞれ違う。誠との思い出、あなたとの思い出、そして健太くんとの思い出…」


拓也は優しく微笑んだ。「だから、時を超える味なんだね」


「ええ」千代も微笑みを返した。「これからも、この味が多くの人の思い出になっていくのね」


庭では、健太とさくらが何やら秘密の計画を立てているようだった。彼らの若々しい姿に、千代は未来への希望を見た。


「あめつちの詩」は、これからも物語を紡いでいく。甘く、時に苦く、そして深い余韻を残す物語を。


時を超え、世代を超え、人々の心に届く物語を。



―完―

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