50 王の来訪
湖畔の港町の一番豪華なホテルの一番豪華な部屋で美しい女性が窓際に椅子を動かし一人でグラスを傾けていた。月明かりが湖面に反射し幻想的な夜景を四階の窓から眺めていた。
「こんな豪華な部屋でなくてもいいのに」
金銭的には余裕があるが根っからの散財嫌いが不満を口にする。それでも納得したのは保安のためだとガレンに言われたからだ。四階を貸し切って護衛二人は階段近くで待機するという。フローエラとガレンは隣室ですでに寝ている頃だろう。
「この世界の交通手段では、二度とディに会えないことも覚悟しなくちゃね。
でも……少しは彼に期待してもいいのかしら?」
レイジーナはアランディルスに似た面持ちの男を思い浮かべた。
「まさに見た目だけはイケオジ。あの日の話し合いでは眩しかったわねぇ」
湖面から月に視線を移す。
「ここでは月にウサギはいないのね」
淋しそうに微笑むとグラスをグッと空にした。
☆☆☆
「ここで待っておれ」
「しかしっ!」
「朕に二度言わせるか?」
無表情な翡翠の瞳は護衛騎士に向けることもせず足を進めた。王妃宮の衛兵が恭しくドアを開きその中に国王が入ると護衛騎士たちの前でしっかりと閉められ、衛兵はドアに立ちはだかった。
廊下で待っていた執事に案内されて応接室に行くとメイドたちだけでなくレイジーナも頭を垂れて出迎えた。
「国王陛下におかれましては……」
「よい。面倒だ」
国王は三人掛けの真ん中にドカリと腰を下ろす。
「人払いは?」
「そうだな。二人ほどがよかろう」
「え?」
二人きりの話になるだろうと思っていたレイジーナは従者が残ることを許した国王に驚愕の顔になり、それを見た国王はクツッと笑う。
「いいから座れ。面倒なことは抜きだ」
レイジーナは執事長とガレンを残して下がらせた。二人はお茶を用意すると壁に下がろうとした。
「声を張るのは面倒だ。近くにおれ」
二人はびっくりしてレイジーナに確認をとるとレイジーナは真顔でコクリと縦に振る。レイジーナもあまり理解できていないが、国王に反対する理由もない。
「聞きたいことは? 遠回しな話は面倒だから無礼講だ」
ニヤリと笑う国王にレイジーナは頬を引きつらせるのを耐えた。
「わたくしを王宮へ呼び出せばよろしかったのではありませんか? なぜこちらへ?」
「あちらでは本当の話はできまい?」
「陛下の手の者たちだから、わたくしが話をできないと思われたということですか?」
「いや、朕もあのようなところで本音など晒しはしない」
国王のニヤケはいつの間にか寂しさが影を差していた。
「妃は信の置ける者だけを選んでいるようだからな。ここなら心配なかろう。護衛騎士も置いてきた。
妃は明日にでも出るつもりであるのだな」
「え?」
「妃の部屋はすでに片付けが始まっているのだろう。廊下やこの応接室を見ると身の回り品だけを持つつもりか? それで生活はできるのか? まあ、できるのであろうな」
「どこまで……」
「朕は何も知らぬ。知らぬようにしておる。全員を疑うわけではないが疑わざるを得ない者がおるのだから全員だと思って行動するより他にあるまい」
「まさかずっと?」
国王はフッと皮肉げに笑った。
「ここからはある国の昔話だ」
国王はガレンにワインを出させ喉を潤した。
「ある国の国王は、生まれながらにして数も数えられず本も読めず文字も書けぬ者であった。本人のせいではない。誰のせいでもない。ただそう生まれてしまったのだ。それは血の濃さのせいかもしれぬというのは最近になってわかったことだ」
レイジーナはそれが前国王のことであることはすぐに察した。
「それの妃に選ばれたのは王家の血を濃く持つ公爵令嬢だった。その国王との間に一人の世継ぎをもうけ、その後は最果ての領地へとっとと引っ込んだ。国王と同じような黒髪の愛人を連れて、な」
「っ!」
まさか国王が前国王の直系ではない可能性が高いという事実を告げられるとは思っていなかった三人は絶句するしかなかった。『血の濃さ』が問題なら不妊の可能性はある。
国王は話を続けた。
「王妃が王宮からいなくなったことで、王后、つまりは国王の愛人となり国母となる愚かな夢を持つ者たちが溢れ、夜毎に違う女が国王の寝所に入り込み、時には寝所で刃傷沙汰も起きたそうだ」
「そ……の時、お世継ぎ様は?」
「妃の実家の公爵家に預けられて衣食住だけは保証されていた」
「だけ?」
「傀儡にするために教育はされなかった。唯一の教育は「公爵家に逆らわないこと」だ」
レイジーナは自分と入れ替わったレイジーナが受けてきた教育を知っているので、他家の公爵家であったが簡単に想像することができ、思わず眉を寄せた。
「ふふふ。そなたには関係のない者のことで怒ることができるのだな」
「子供の教育はとても大切です。衣食住で体を守ることだけでは家畜と同じではありませんか。心も能力も育ててあげるべきなのです」
「ふむ。そなたという存在が俺とアランディルスとの差であろうな」
国王は「俺」という言葉を使い、悲しげに笑ってワインを飲んだ。




