29 公爵令嬢
アランディルスとフローエラの出会いは学園よりずっと前である。
レイジーナの実兄公爵に王妃宮へと連れてこられたフローエラは公爵令嬢らしく可愛らしく整えられていて、青みの入った銀髪も小さな小さな指もちょっとふっくらした肌もつやつやでまさにお人形のようである。それはまるで生きていないのかと思わせる赤紫の瞳も……お人形のようであった。
『本当に九歳の少女なの? なんて覇気がないのかしら。意思もなさそうに見えるわ』
ソフィアナは手を繋ぐフローエラの様子を見るが俯いてただただ歩みを進めているだけのようだ。
『初めての場所で、初めて会う人に手を繋がれているのだから、子供なら好奇心でわくわくするか、興味深くなるか、不安気になるか、とにかくキョロキョロと落ち着きなくなることが当たり前なのに……。この子は感情をどこかに置いてきてしまったようだわ』
フローエラより二つ下になる娘を持つソフィアナはなんだか涙ぐみそうになりながら先程の様子を思い出す。
『私の手を取ったのもただ反応したに過ぎない雰囲気だった。公爵令嬢として守られてきたからトラブルにはならなかったのでしょうけれど、そんなのとても危ういわ。きっと妃殿下のご判断はこれをも予想されてのことなのね』
ソフィアナが思わず握る手を強くしてしまったが、フローエラはそれにも反応を示すことがなかった。
応接室の前では護衛騎士が待ってましたとばかりにノックもせずに扉を開く。護衛騎士の一人はソフィアナの悲しんでいる顔に安心させるように小さく頷き、ソフィアナもそれに応えるように頷いて入室した。
「まあ! フローエラ! よく来てくれたわ!」
二人が入室すると同時にソファーから立ち上がった女性はワンピースの裾を翻しながら駆け寄り、フローエラをギュッと抱きしめた。あまりのことにフローエラは硬直した。
『やっと感情が動いたわ。これほどの衝撃を与えてあげなければならないのね』
できる侍女ソフィアナは目ざとく学んでいく。
「フローエラ様。レイジーナ妃殿下でございますよ」
叱るではなく優しく教えながら繋いでいた手を離す。
「え!?」
抱きしめた腕を緩めてフローエラの顔を見たレイジーナの瞳には愛情が溢れていた。フローエラは目をまんまるにして驚愕している。
「ひでんんかっかっかにおかっかっれましては……」
フローエラが慌てて口を開こうとするのを慈母の瞳を湛えたレイジーナはそっと人差し指をフローエラの口に当てて止めさせた。
「レジーおばさまと呼びなさい。フローエラ。あなたに会えてとてもうれしいわ」
レイジーナはもう一度フローエラを抱きしめた。
「挨拶なんていらないわ。まずはわたくしと仲良くなりましょうね」
耳元で優しく呟かれて気持ちがくすぐったくなったフローエラは目を瞬かせる。その姿にソフィアナは自分の涙が落ちないように目尻にハンカチを当てた。
体を離したレイジーナは有無を言う間を与えずにヒョイっとフローエラを抱き上げて縦抱きにした。
「ひゃっ!」
フローエラが小さく悲鳴を上げる。
「この高さは怖い?」
心配そうな声音のレイジーナにフローエラは首を左右に小さく振った。
『なるほど。妃殿下のお着替えはこのためだったのね』
レイジーナは実兄公爵に会ったときには威厳を示すための気合の入ったドレスを纏っていたが、今は南離宮でよく着ていたワンピースを着ている。
『先程までのドレスでは九歳の子供を抱き上げるなんて無理ですもの。妃殿下は最初からフローエラ様をこのようにお扱いになるつもりだったのだわ。なんて思慮深くお心がお広いのかしら』
「怖くないのならこれに慣れましょうね」
フローエラを抱いたままゆっくりとソファーまで行くとそのまま座るので、フローエラはレイジーナの膝の上に座る形になった。
「もうしわけありません! 妃殿下! わたくし! ごめんなさい」
真っ青になったフローエラは頭を抱えて体を必死に揺すりレイジーナから離れようとする。
「フローエラ。落ち着きなさい。今、貴女は何も悪いことはしていないわ。それに、ここでは誰もあなたを傷つけないし、ここには体罰もないわ」
小さく震えながら腕の隙間からレイジーナの様子を窺うフローエラが見たものはまばゆいほどの笑顔だった。もう一度そっと抱きしめたレイジーナはフローエラの耳にささやく。
「大丈夫。大丈夫よ。ゆっくりでいいの。わたくしと、そしてここにいる者たちと仲良くなりましょうね」
そしてフローエラの脇の下に手を入れて少し距離をおくとにっこりと笑った。
「わたくしもフローエラに会えて嬉しくて嬉しくて……。急ぎ過ぎてしまったわ。ごめんなさいね。
そうね。今日はお隣に座ることにしましょう」
ソフィアナがフローエラを抱き上げる。
「あ……」
小さく声を上げたフローエラはキョトンとしたままレイジーナの隣に降ろされた。




