04そして、彼は神殺しになった
ここで本筋は終了です。
「ルウ!」
光の行く先を目で追っていたルシウスは、背後から呼ばれて振り向いた。少し先にいる両親たちの元から自分の方へと走ってくるラトゥーリアの姿が見える。本当なら自分も駆け寄りたいのに足がうまく動いてくれず、握っていた剣鉈を取り落としただけでなく、結局、ラトゥーリアが自分の目の前に来るまで棒立ちのままだった。
ルシウスの前まで来たラトゥーリアは、彼から反応がないことに小首を傾げて呼びかける。ここで、先ほどまでルシウスは得体の知れない相手と戦っていたので、どこか怪我でもしているのはないかと思い至った。
「ルウ、大丈夫――っ!」
ラトゥーリアの彼の身を案じる言葉は途中で止まった。ルシウスに前触れもなく抱きしめられたからだ。
これにはラトゥーリアだけでなく、周りで見ていた両親も驚いて言葉もなかった。彼は誠実な人柄で決して不埒な真似をすることはなかったからだ。その彼が突然こんな行動に出れば、周りが驚くのも無理はないだろう。
この距離はよくないとラトゥーリアは思ったが、無理に彼を押しのける気にはなれなかった。自分を抱きしめるルシウスの体が小さく震えていたからだ。
ラトゥーリアはまるで幼子をあやすかのように優しく彼に話しかける。
「大丈夫。大丈夫だよ。私はここにいるよ」
同い年ではあるが、男であるルシウスの体格は同性と比較しても恵まれており、ラトゥーリアよりもかなり大きい。なので、彼の背に彼女が手を回すのは結構苦しいのだが、それでも落ち着かせてあげたい一心で背中を摩る。
それもあって、徐々に落ち着いてきたルシウスが自分から体を離し、顔を上げてラトゥーリアと視線を合わせた。
「ラティ……」
「うんうん。私だよ。私がここにいるのはあなたのおかげだよ」
彼女の言葉を聞いたルシウスの目に涙が浮かぶ。
ルシウスが右手で両目を覆って気持ちを落ち着かせて顔を上げると、ラトゥーリアの傍には彼女と自分の両親の姿もあった。
「俺はルシウスだけど、みんなが知っているルウじゃない」
意を決して語った彼の言葉に両親は息を呑んだが、ラトゥーリアに驚いた様子はなかった。
彼女は何となく察していた。目の前にいる彼は確かにルシウスだけど、どことなく違うことに。
「信じられないだろうけど、俺はこことは時間軸の違う時間軸のルシウスだ。為す術なくラティを奪われ、深淵に落とされた。深淵の中で自分を鍛え、ある人物の協力もあってここに戻ってこれたんだ」
何とも荒唐無稽な話だ。自分が通ってきた道とはいえ、言葉にしてみると何とも現実感がないと、ルシウス自身が感じていた。
誰もが言葉が見つからない中、「信じるよ」とラトゥーリアは彼に伝えた。
「私は信じる。だって、雰囲気が全然違うから。それで、あなたはこれからどうなるの? 今のルウは?」
どこか不安げに揺れる彼女の瞳を見て、努めて安心させるように穏やかにルシウスは頷いた。
「安心してくれ。今だけ体を借りているだけだ。あれがいなくなって未来が変わった」
そこでいったん言葉を切ったルシウスは、少し間を置いてから「つまり、俺は存在しない」と続けた。その言葉に全員が息を呑む。
「そんな!? じゃあ、どうなるの?」
「どうもない。あるべき形に戻るだけだ」
「そんな……そんなのって……」
そうなるのではないかと思っていた部分はあったが、いざ言葉にされると衝撃が大きすぎてラトゥーリアは、彼の顔を直視できずに俯いた。
そんな彼女の頭に優しい声が降ってくる。
「ラティ、いいんだ。君が無事ならそれでいいんだ」
「ルウ……」
「ありがとう、無事でいてくれて。ありがとう、俺の婚約者でいてくれて。ありがとう、たくさんの想いをくれて」
ルシウスは視線をラトゥーリアから自分と彼女の家族に向けると、そちらにも感謝を伝えた。誰もが感極まって言葉が出てこない。
もう一度、顔をラトゥーリアに戻したルシウスは、最後の言葉を彼女に贈る。
「ラティ、こっちの俺のことをよろしく頼む、そして、どうか幸せにな」
「ルウ、まっ――」
ルシウスがとても良い笑顔を浮かべた後、彼の中から何かが黒い雫となって消えていった。
ラトゥーリアは手を伸ばすも、それは間に合わず、元のルシウスに戻った彼はその場で蹲って嗚咽を漏らす。
「そんな、こんなの、あっていいのか……これじゃ、何も報われないじゃないか……彼はいったいなんのために……」
「ルウ、そんなことないよ」
「えっ――」
声をかけられたルシウスが頭を上げると、優しくラトゥーリアに抱きしめられた。
彼女の温かい手が、ポン、ポンと背を軽く叩いて落ち着かせてくれる。
「彼のおかげで私はここにいる。これからもあなたと一緒にいられる」
「わかってる。でも、彼はとても辛く苦しい悲しみの中にいて、それでも立ち上がって諦めなくて……」
「うんうん、そうだね。だからね。私たちが覚えていようよ。彼は確かにここにいたんだって」
ルシウスは再び嗚咽する。ラトゥーリアもそれに付き添い、彼が落ち着くまでずっと彼の背を撫でていた。
まるで、あの時、彼にしていたように。
それから時は流れ、二人は結婚し夫婦となった。
今では子宝にも恵まれ、二男三女の大家族だ。
ラトゥーリアがクリフガー家に嫁ぎ、ルシウスの弟がエッズ家に婿入りし、両家の結束は強固なものとなっている。
トラント地方は交通の要衝であるから、備えを万全にしたい王家からは二つ返事で両家の婚姻は許可された。
「ラティ、手を。足元に気を付けて」
「ありがとう、ルウ」
あれから魔力が使えなくなるという事象は起きていない。
災害も局地的に起きることはあるし、不作だったり、不漁だったりする年はあれど、以前のような天変地異ともいえるような大規模なものは起こっていない。
あれらも全てあの神を詐称する何某かが引き起こしていたのではないかと思えてくる。
となれば、本当に神だったのだとしても、あれは邪神の類だったということだろう。
今日はあの事件があった日だ。
二人は神殿の跡地に来ている。あの後、神殿はひとりでに崩れた。全員が外に出た後だったため、怪我人も死人も出ていない。今は神殿があったことを偲ばせる柱の残骸があるだけだ。
毎年、二人はこの日に足を運び、彼に祈りを捧げているのだ。
決して存在しえなかった彼に。
祈りを捧げながら、ラトゥーリアは横目で同じように祈りを捧げている自分の夫を見る。
「ありがとう」
唐突にラトゥーリアから伝えられた感謝の言葉に、瞑っていた目を開いてルシウスは首を傾げた。
「急にどうした?」
「うん? 私、今とっても幸せだなぁって」
ラトゥーリアは空を見上げた。そこには抜けるような雲一つない青空が広がっている。
顔をルシウスに戻すと、花開くような笑顔を浮かべた。
「私を幸せにしてくれてありがとう」
それは二人に告げた感謝の言葉だった。
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