02絶望へと堕とされて
前のお話と時間軸がずれます。
マルトアス王国――北は霊峰として崇められる流麗な山脈、東は豊富な水資源を蓄えた巨大で清浄な湖、南は緑の絨毯が敷き詰められた平野、西は季節によって色を変える森に囲まれた国で、豊かな土地を基盤とした農業、林業、漁業が盛んであり、国民生活の根幹を支えている。
この民が飢えることのない豊かさは、国教で信仰するアスディア神による恩恵だと信じられている。
「産まれたか!」
「ご当主様、元気な男の子ですよ」
「ああ。ありがとう」
ルシウスは十五年前のこの日、クリフガー家の嫡男としてこの世に生を受けた。
クリフガー家はトラント地方という東西を結ぶ南部中央に位置する交通の要衝に領地を与えられており、国境に面する土地は狭いものの要衝だけあってたびたび他国から侵攻された。
今日までの要衝の防衛は領地を直轄するクリフガー家だけではなく、領地が隣接するエッズ家が協力を惜しまなかった。きっと、クリフガー家単独では為し得なかったであろう。
また、他国からの侵攻だけではなく、魔物の脅威にも備える必要があり、国境防衛の際のエッズ家への恩返しとして、クリフガー家が自領だけでなく、エッズ家の領地の街道警備も大半を担っている。
お互いの領地に防衛や警備のためとはいえ、領軍を簡単な検問で通行させるほど、両家は友好関係にあった。
「男の子の誕生おめでとう!」
「ありがとう。今度はあなたの番ね」
「そうね。無事に産まれてくれると嬉しいのだけど」
「大丈夫よ! 必ず元気な子が産まれるわ!」
クリフガー家の慶事を我がことのように喜んだエッズ家も半年後に喜びが溢れることになる。エッズ夫人も無事に珠のような女の子を出産した。産まれたばかりのその子はラトゥーリアと名付けられた。
元々、両家が友好関係にあり、領地運営に関して協力関係にあることから、お互いの邸を行き来することも多くあったことで、ルシウスとラトゥーリアはすぐに仲良くなった。
性別は違えど、小さい頃からお互いに譲り合うなどして大きな喧嘩もなく、かなり両者の相性は良いように見えた。そのため、二人が7歳になった年に婚約が結ばれた。
加えて、ルシウスには弟が、ラトゥーリアには妹が、数年前にそれぞれ誕生していた。ややお転婆で年上のラトゥーリアの妹と、物静かながらも芯がしっかりとしているルシウスの弟は兄と姉の関係と同じく良好であり、こちらも婚約を結ぶ約束をしている。
婚約を結んだ二人の関係がゆっくりと、しかし確実に進展する中、エッズ家の長女、ラトゥーリアは十歳になる頃、神聖魔法が使えることがわかり、聖女として神殿に認められた。加えて神殿に招かれた際、神を象った像を前に祈りを捧げると、宙に光の文字が浮かび上がった。
そこには『オフィ』と書かれており、神から洗礼名を与えられた特別な聖女として崇められることとなる。
神の洗礼から五年の月日が流れた。
二年ほど前から各地で大規模な災害が起こったり、不作、不漁に悩まされたり、魔法の力が弱まったりするなど、生活に大きな影響を及ぼすことが起きていた。
そんな中、ルシウスは領地を守る立派な騎士になるため、ラトゥーリアは多くの人を救う聖女になるため、それぞれの研鑽を積むのに忙しい日々を過ごしていたが、それでも必ず二人の時間を作り、順調に愛を育んでいった。
ただ、ここ一年ほどは、ふとした時にラトゥーリアの表情が翳ることがあり、それを心配したルシウスが声をかけると、彼女は「なんでもない」とはぐらかした。
この時、ルシウスは『ラティが話したくないなら無理に聞くのは野暮だな』なんて呑気に考えていた。
「ルウ、今まで私の婚約者でいてくれてありがとう。たくさんの思い出をくれて、たくさん私を愛してくれて」
「ダメだ……行くな。行かないでくれ」
「私はいなくなるけど、どうか幸せになってね。大好きだったよ、ルウ」
「ラティ! まっ――」
そして、そのことを後悔する日がやってきてしまう。
ラトゥーリアが洗礼名を賜った喜びに満ち溢れた場所で、ルシウスは家族とともに絶望の淵へと叩き落された。
別れの言葉の後、ラトゥーリアが白い柱と近づいていくと、半透明の膜の先に何者かが立って彼女を待っているのが見える。
ルシウスは自分を背後から拘束する神殿騎士の力がそれに目を奪われて緩むのを見逃さず、拘束を脱してラトゥーリアの元へと一気に走り出した。
しかし、時すでに遅くラトゥーリアは柱の間を通過し、その姿が遠くなっていく。
それでも諦めきれずに手を伸ばしたルシウスは、その得体の知れない膜に触れてしまった。
その瞬間、彼の頭の中に直接声が響く。
「下郎が! 我が領域に触れていいのは我が認めた者だけだ! キサマのような下賤の輩は深淵へと堕ちるがいい!」
その言葉を聞いた直後、ルシウスの意識は真っ暗な闇の中へと叩き落されたのだった。
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