プロローグ
時は昔・・・。
人々は戦乱に明け暮れていた。
鬼も通る。
妖も現れる。
もはや、世は乱れ、安穏は訪れはしない。
そこはもう、地獄でしかなかった。
闇・・・。
薄暗く先すらも見えない闇。
その中を走り抜けてく人影が二人。
一人は女性で凛とした顔立ちで、足取りは着物のせいか、やや重そうにしている。
もう一人は少女で利発な顔立ちであり、なれぬ獣道でたどたどしく、走って行く。
その闇の中を女性は少女に手を引かれ走る。
鬱蒼とした森林をただ、ひた走る。
何かに追われるかのように…。
よく見れば、女性は何やら赤子を抱えてるようだ。
時折、深く鬱蒼とした森の木々や雑草に加え、雨という悪条件が重なり視界は悪い。
さらに雨でぬかるんだ地面は、二人を走りにくくしていた。
道とは言えぬ獣道をひた走るその姿は、どこか悲壮感を漂わせている。
どこからか聞こえる雄叫びに一瞬足が止まる。
不安そうに振り返る二人。
そして顔を互いに見つめあうと何かを確認したのか、前に足を進め二人はまた道なき道を走り始める。
その背後から聞こえるそのざわめきは、か弱き存在を追い詰める。
見れば照明を片手にし、鉈で木々や雑草を切り付け、振り下ろす無骨な数人の男共が駆けている。
男共は走りにくい森林を一歩、また一歩と確実に進み、女子供を 追い詰める。
このままでは、か弱き逃亡者に追いつくのは、もはや時間の問題かと思われる。
それほどに歩を進める速度に差があり過ぎた。
男共は黙々と、時に口々に指示を受けつつ叫び、かの三人を追い詰めるのであった。
逃げる女性と子にはあせりと苦痛でゆがんでいた。
やがて川が見えたようだ。
二人はそれを見て、呆然と立ち尽くす。
川は二人の歩みを止めるかのように、荒れ狂い流れていたからである。
もはや、観念したように、その場で抱きしめあう二人・・・。
背後からせまる恐ろしき声は、よりいっそう強まってくるように感じたことだろう。
女性は意を決したように、川下に向けて走り出そうとした間際に何かに気付き、そこを見た。
少女はその様子を不安げにみつめる。
女性は川岸に打ち付けられてる船があるのに気付いたようだ。
そして、それを見て、思うところがあるようだ。
少女も女性の視線に船がある事に気付いた。
女性は船に近寄り、その作りをみる。
どうやら水漏れもなく、川を渡れそうである。
だが問題はその大きさであった。
それは小さく、大人一人分しか入れなかったのだ。
もう極小の小舟としか言いようがない。
さらに、この荒れる川の流れをとうてい渡れるとは思えなかった。
女性はひとしきり何かを考えたように小舟をみる。
そして、背後からいきなり声が大きく聞こえる。
女性ははっとして少女に呼びかける。
少女は女性を見上げる。
女性は覚悟を決めたように意を決し、重苦しく口を開く。
「もはやこれまでのようじゃ。
せめて、そなた一人だけでも、この子を連れて逃げ出しておくれ・・・」
途端に少女の顔は恐怖と怖れで凝固する。
何を言い出すのかと、戸惑いを隠しきれないようである。
「これで川を下れば、そなたと、この子だけでも逃げおおせるようじゃ」
だが少女は何も言えず、こわばったまま全身でそれを否定する。
激流を見てはいっそう少女の顔が難くなった。
背後に聞こえる音に女性の声が掻き消されるくらいに大きくなってきた。
女性はその気配にさっと身をかがめ少女を見つめる。
「そなたがこの子を守るのじゃ・・・。
どうか、この子の未来を守ってやっておくれ。
後生じゃ・・・」
女性の声はもはや上ずってしまい声にならない。
大きくなってくる背後からの音に気付くと、少女は意を介したのか、涙を拭き取り頷く。
「ありがとう・・・」
女性はそういうが早いか、小舟を川岸に寄せ止める。
そして、少女を乗せて赤子を少女に預けた。
少女はその悲しみに声にならず、ただただ赤子を抱え小船の中でうずくまる。
女性はふと思い出したように、布で包まれた細長い物を少女に渡す。
「これは我が家に伝わる家宝じゃ。
この子が成人した時に渡してやってたもれ。
どうか、この子をお頼み申すぞ」
そう言い終えると、少女は包みを帯に挟み、赤子と共に抱えるように両手で強く握る。
「元気で過ごすのじゃぞ・・・」
少女はただただ涙を流すだけ・・・。
そして、女性は小舟を少女と共に川へ落としいれる。
川の流れは急激だったが、小舟は沈むことなく大きく揺れ、あっという間に下流へと翻弄されながらも進みゆく。
女性は川岸からそのようすを見て安心したのか、すぐにその場を離れた。
小舟を流した場より離れれば、少女は無事逃げれると考えたのだろう。
川の上流へと向かって走って行った。
小舟は流れに任せ、時に激しく揺れながらも、その中の少女は、 ただただ小さく赤子を守るようにして、抱えうずくまる。
その少女が女性を最期に見た姿は、川岸に手を振るところで、後はすべて闇に呑まれた。
ほどなくすると、川の上流の奥の方から、悲痛な叫びがした。
が、少女の耳には激流の音にかき消され、届いてはいなかった・・・。
哀れなるは美しき女性よ。
尊き犠牲は少女と赤子を未来へと進ませた。
が、世は既に地獄だ。
少女や赤子に未来は果たしてあるのだろうか・・・。