ある幼馴染たちの小さな恋 -あなたと恋に落ちたい-
登場人物
篠原剛志 高ニ
御経塚貴美子 高三
篠原剛志と御経塚貴美子は幼馴染である。
同じ町内で生まれ育った。同じ保育所に通った事でそこで出会い、一つ年上の貴美子が剛志の面倒を見たり、一緒に遊んであげてるうちに優しいお姉さんの貴美子に幼い剛志は懐いた。
すっかり惚れた剛志は小学校三年の時に貴美子に告白した。残念ながら小学生の一歳の歳の差は大きく、さらに女子は男子より精神年齢が高い為に貴美子にとって剛志は弟でしかなく、剛志の願いが叶うことはなかった。
そして、諦めきれずに縋る剛志に貴美子が条件を出した。
『私に似合う私好みのいい男になったら付き合ってあげる』
その言葉を信じた剛志は貴美子の言う事に従い努力を繰り返して来た。
「ピーマンは残さずに食べる事!人参も。好き嫌いしちゃダメ」
「どんなに辛くても人前で涙を流さない事」
「女の子には優しくする事」
「スポーツも勉強も人並み以上に頑張る事」
「清潔感は大事。身だしなみには気をつけて」
「両親は大切にする事。暴言を吐くなんてもってのほか」
そして高二になった剛志はほぼ100%貴美子の理想の男の子となっていた。
気の早い剛志の親は反抗期が来なかったのは貴美子のお陰と信奉し、義娘になる日が楽しみだと公言するのを憚らなかった。
あとは付き合うだけ、経緯を知ってる知人、関係者が暖かく見守っている時に事件は起こった。
***
素直に
「よく頑張ったね、素敵になったよ。改めて私から言うね。付き合ってください」
そう言えば良かった。
あるいは
「私に似合うくらいに格好良くなったわね。約束通りに付き合ってあげる」
どちらでも良かった。はたまた他の言葉でも、素直に気持ちを伝えていれば。
しかし貴美子は間違えてしまった。自分の理想とする男性像と付き合えると舞い上がってしまった。そして照れて軽口を叩いたのだ。
「あとは年齢さえ、年下でなければ完璧だよね」
その言葉が貴美子の口を出た瞬間に剛志がピクリと反応し、見る見るうちに顔色が青ざめた。明らかに辺りの空間の温度が下がった。張り詰めた緊張感に貴美子は冷や汗が流れた。何かとてつもない失敗をしたのではないか?そんな焦燥感に襲われた。
「そんなに嫌われているとは知らなかった。ごめんね、ずっと付きまとったりして。もう近付いて迷惑掛けたりしないから安心して」
剛志の口から出たのは決別の言葉だった。
「えっ?違う、そういう意味じゃないから」
貴美子は必死で取り繕おうとしたが受け入れられることは無かった。
「絶対に不可能な事を要求されるって事はそういう事だよね」
剛志が貴美子の年齢を上回る事は不可能、つまりどれだけ努力しても無駄。剛志が貴美子と付き合う事は不可能。そう言ったのも同じだった。
そして剛志は貴美子の前から去って行った。
***
自分の部屋に戻った貴美子は考えた。
一体何を間違えたのか、どこで間違えたのかと。
失言したのも、舞い上がっていたのもどちらも事実、だがはたしてそれだけが理由だろうか。いくら考えても考えがまとまらず答えが出なかった。
一つだけ分かる事は、剛志を傷つけた事だ。出会いから数えると十数年、剛志に告白されてからは八年の歳月が流れていた。それだけ長い期間側にいた剛志を傷つけた、それは貴美子にとっても本意ではなく許せる事でも無かった。
謝ろう、剛志に拒絶されて交際する事は出来なくてもせめて不要な言葉で傷つけてしまった事を。
感謝を伝えよう、今まで好意を寄せて側にいてくれた事を。そう決意したのだった。
***
翌日、貴美子は学校で剛志を探した。しかし見つける事は出来なかった。休憩時間、昼休み。経緯を知ってる友人達が協力をしてくれるが放課後に至っても会う事は出来なかった。剛志に避けられているのは間違いなかった。
貴美子に協力する友達がいる様に、傷ついている剛志の周りにも彼に協力する者達がいるのだ。
普段、気軽に貴美子の前に姿を現す剛志の存在も貴美子が嫌だったなら回避する事は出来たのだ。それをしなかったのは一方的に慕われてると思っている貴美子もまた剛志の存在を受け入れていたのだ。
学校で会えなかった為、貴美子は放課後、剛志の家に押し掛けた。(部活、下校時は剛志のファンに妨害されて剛志に近づく事すら不可能だった。)
「貴美子ちゃん、ごめんなさいね。あの子少し拗らせちゃって。会いたくないって言ってるの。本当にごめんなさいね」
貴美子の味方であったはずの剛志の母親は息子が会いたがっていないと面会を拒絶した。
貴美子は剛志の母親に不用意な言葉で息子を傷つけた事を率直に謝った。
「二人の事は二人で決めなさい。部外者は見守る事しか出来ないのよ」
寂しそうに剛志の母親はそう言った。
電話もSNSも接続を拒絶され、貴美子は剛志と連絡を取る手段が無くなっていた。
それなので貴美子は剛志に直接謝る事は諦めた。謝罪する為の面会すら拒否されているのに無理矢理会いに行くのは、貴美子が罪悪感から解放されたい為のエゴに過ぎず、剛志に対しては迷惑な行為だった。
貴美子は日課となっていた二人分のお弁当作りをやめなかった。そしてメモを添えたお弁当を毎日剛志の教室に届けた。
お弁当を食べてようが捨てようが剛志の自由、メモを読もうが捨てようが剛志の自由。貴美子はお弁当を届けるのは自分の喪失感から来る寂しさ、罪悪感を埋める為の自己満足だと理解していた。
長年慕ってくれた事に報い、せめて半年は続けよう、そしてきちんと剛志から卒業するのだ。
将来に向かい同じ過ちを繰り返さない事こそが剛志への償い。そう信じて。美紀子は毎朝弁当をつくるのだった。
***
やっとスターラインに着く、長年慕って来た貴美子にとうとう認められる、その事実に剛志は嬉しさを隠しきれなかった。
一方的に振りまく好意を拒絶しない時点で脈がない訳ではない。いや、あると信じていた。
しかし、いよいよ受け入れられると期待した瞬間に言われたのは真逆の言葉だった。
「あとは年齢さえ、年下でなければ完璧だよね」
血の気の引くのが分かった。照れ隠しに言っているのもわかっていた。その後に続くであろう言葉もわかっていた。
しかし、胸が苦しい、逃げ出したい程に。いや、結局は逃げ出したのだ。
「そんなに嫌われているとは知らなかった。ごめんね、ずっと付きまとったりして。もう近付いて迷惑掛けたりしないから安心して」
年齢だけはどうしようもない。そして無意識に避けて来た話題だった。初告白の時に拒絶された理由でもあったからだ。
「えっ?違う、そういう意味じゃないから」
自分の言った言葉の意味を理解した貴美子が必死で取り繕おうとした。しかし問題はそこではない。無自覚に出てしまった事が問題なのだ。
貴美子の中、無意識下に歳下という剛志の欠点が棘の様に刺さっている。それが問題なのだ。
目の前の剛志を見るのではなく、自分の理想像を追い求めているのだ。そこに剛志への愛はあるのだろうか?情はあると信じていても。
「絶対に不可能な事を要求されるって事はそういう事だよね」
剛志の言葉が強くなった。泣きそうになるのを堪える為に仕方がなかった。剛志は涙が溢れる前に足速に貴美子の前を立ち去った。
***
翌日、剛志は貴美子と顔を合わせ無いように始業時間ぎりぎりに登校した。教室に着いた剛志の机の上には貴美子からの弁当がメモと共に置かれていた。
『貴方を深く傷つけてごめんなさい。もうこちらからは逢いに行きません。少しでも償いを受け入れてくれるのならお弁当は受け取って下さい』
最初は食べずに捨てようかと思った剛志だったが、貴美子に鍛えられたがゆえに、食べ物を粗末にするような精神は微塵も無く、完食した。いつもの食べていた貴美子の手作り弁当の味だった。
剛志は洗った弁当箱を返却しに行く気力は無かったのでそのまま机の上に置いて帰った。すると放課後に回収されたのか翌日も弁当が届いた。さらに翌々日も。
『期末試験、学年十番おめでとう』
『体育祭の活躍格好良かったよ』
『昨夜の地震の影響はなかったかな?大丈夫でしたか?』
二人が日頃話していた様な些細な事が書かれた一枚のメモと共に。
『弁当は美味しかった。もう要らないので作らなくてもいい』
メモを弁当箱に入れて置いたが効果は無く、弁当の配達は止まらなかった。
剛志は仕方なく、弁当のお礼としてメモに書かれていた内容に対して返信する事にした。
『期末試験、今回はヤマが当たった。運が良かっただけ』
『見ててくれたんだ。知らなかった』
『部屋の棚から雑誌が落ちて散らばったくらい。そっちこそ大丈夫だった?」
最初は無理矢理気力を振り絞って書いていた返信内容も不思議な事に、貴美子の顔を見ない日々が続く事で徐々に気持ちが落ち着き、いつしか冷静に返信する事が出来る様になっていた。
そして剛志は冷静になった頭で改めて色々と考えた。
貴美子の顔を見るたびに心の奥底から込み上げて来ていた身悶えする様な貴美子への愛しさ恋しさも貴美子の顔を見なくなった今ではすっかりと落ち着いていた。
それは恋でも愛でも無く、ただの執着だったのか。もしかしたら貴美子を手に入れてしまえば飽きてしまうような物だったのか。それすら剛志にはわからなかった。
謝罪を受け入れずに逃げた、それは正しいことではない。それしかわからなかった。
いったいどうすれば良かったのか。贖罪として届くお弁当をただ漫然と受け取る事が正しい事なのか。それすらもわからなかった。
ただ、ケジメを付けなければいけない。貴美子に鍛えられた理想の男ならきちんとケジメは付けるはずだ。年齢以外は理想だと貴美子に認められた剛志がグダグダするのはそれまでの自らの努力を否定するのも同義だった。
貴美子に理想と違うと振られる事と、貴美子の理想に近づこうと努力した自分を否定する事は別ものだ。そもそも剛志は貴美子に振られてすらいない、その前に逃げ出したのだから。
そして剛志は二日後の誕生日に行動を起こす事にした。
***
「御経塚先輩、ちょっといいですか?」
三年のクラスに現れた剛志の登場に教室が騒めいた。一部の生徒が剛志の視線から貴美子の姿を隠す様に動くが、その背後から貴美子が剛志の前に姿を現した。
「匿おうとしてくれてありがとう。でもせっかく剛志が来てくれたのだからきちんと話しておきたいの。剛志、久しぶり。どうかしたの?」
「話があるので屋上まで来てくれますか?騒がしいのは苦手なので」
「わかった行きましょう」
騒めく教室を離れ、貴美子は屋上まで剛志の後をついていった。それまでは屋上に数人居た様だったが二人が着くと同時に入れ替わる様に出て行った。
「それで話って何かしら?」
罵詈雑言で罵られてもいい、貴美子はそう覚悟していた。剛志に対して許されない事をした。
「今日は俺の誕生日だ。だから改めて告白しに来た。貴美子の理想からすると年下は駄目なのは知ってる」
「それは、、、違うの、ほんとうに」
「だけど今日から三週間だけは貴美子と同い年だ。だから改めて告白したい」
剛志の目が貴美子を真剣に見つめていた。小さな頃から側にいてずっと貴美子を見つめて来た目だ。
「ずっと小さな頃から好きでした。貴美子以外の他の女に目移りした事もない。歳のことを言われると泣きたくなるくらい情け無い男だけど。ずっと貴美子の側に居たい。俺を彼氏にして下さい!!」
「不用意な発言で剛志を傷つけるバカな女だけどいいの?」
「傷付く俺のメンタルが弱いだけだから問題ない」
「剛志に自分の理想像を押し付けてる癖に、私は剛志の理想とするタイプすらろくに知らない我儘な女だけどいいの?」
「俺の理想は貴美子だから問題ない」
「じゃあ、私からも言わせて下さい」
貴美子は剛志の目を見つめ返した。今まで二人向き合って真剣に話し合った事などあっただろうか。惚れられているからと、どこかで剛志を軽く捉えていたのではないだろうか。貴美子はそんな自分が情けなくなった。
「剛志を傷つけてごめんなさい。理想像にこだわり過ぎて剛志自身を見ていませんでした。今はもう本当に理想の男性がどうのっていうのはないの。ずっと剛志に会えなくなって寂しくて胸にポッカリと穴が空いた様でした。でも、小さな頃から剛志が側にいてくれて、私に好意を寄せてくれてるのに慣れ過ぎちゃって、この気持ちが恋なのかどうなのか自分で自信がありません」
好きじゃないから付き合わない、そんな選択肢は貴美子には無かった。付き合う、いや、恋に落ちるなら剛志と恋に落ちたい。他の誰とも恋する気にはなれない。だから貴美子が剛志に言うセリフは決まっていた。
「だから私の彼氏になって私をドキドキする様な恋に落として下さい!」
それから一月も経たずに二人はバカップルと呼ばれる様になるのだが、それはまた別の話である。
お幸せに。