癒しのスキル
それはカティアにとって悪夢のような光景であった。
誰よりも大切な主のマリカが触手に貫かれ、真っ赤な鮮血が飛び散るなどというシーンは見たくないものだが現実として起こってしまった出来事なのだ。互いに命を懸けて戦う戦場に身を置いているのだから当然ながら死は常に付き纏うと理解しているも、感情がそれを受け入れるかは別の問題である。
「マリカ様!!」
カティアは砲撃を忘れてマリカの名前を叫ぶ。
しかし、その声に反応することは無く、マリカの全身から力が抜けて剣を手から落とした。先程までの闘気に満ちていた姿は幻のように打ち砕かれ、物言わぬ屍の一歩手前の肉塊そのものと成り果てている。
「わたしがマリカさんを助けます!」
ノイズの走るカティアの視界の中、シェリーが火炎を纏う剣と共にマリカのもとに走った。幸いなことにマザー級の破損した魔力障壁は修復されておらず、人型モンストロ・ウェポン”ヒトモドキ”を撃破しながらもすぐに辿りつくことができた。それはマザー級が目前に迫った脅威であるマリカに対応するため、他を後回しにしたからである。
シェリーはマザー級から放たれた魔弾を回避し、マリカを背部から穿った触手の切断に成功した。この状態ではマリカの体は触手に貫かれたままだが、引き抜くことで出血が広がるのでワザと残したままにしたのだ。それによって少しは延命することができ、シェリーにはマリカを救う手立てがあった。
「カティアさん、マリカさんをアオナの所へ! アオナは西門内側で負傷した魔導士の治療に当たっていますから」
「アオナさんに・・・? 分かりました!」
こんな深い傷を現代の原始的な医術でどうやって治療するのか不明だが、それでも懸けるしかない。
カティアはシェリーが運んできたマリカを抱え、その頬に手を滑らせる。
「もうちょっとの辛抱です、マリカ様。わたしが必ずアオナ様の居る場所までお運びしますから!」
デッドウェイトとなる大型魔道キャノンをパージし、方向転換して全速で履帯を回転させる。軽装状態でのタンクパックの速度は時速に換算して八十キロ以上になり、魔導士であっても追従することは不可能だ。しかも無限軌道は不整地であっても安定した姿勢での走行が可能で、今マリカを運ぶのにこれ以上にない適任者なのがカティアである。
「くっ・・・モンストロ・ウェポン達が・・・!」
そのカティアの進路を妨害するようにヒトモドキ数体が前方に立ち塞がった。キャノンを放棄してしまい、マリカを両手で抱きかかえる状況では魔具を装備することもできない。つまり対抗する手段が無いわけで、カティアは下唇を噛みながら最適な行動を模索している。
「カティアさん、右に進路を変更して! 敵はわたしがっ!」
シェリーの叫びを聞いたカティアは咄嗟に進路を変える。
直後、先程までカティアが進んでいた場所を真紅の火炎が駆け抜けた。地獄から吹き上がったような灼熱は大地をも灼いて、立ちはだかっていたヒトモドキを包み込む。
「文字通り火力が強いですね・・・!」
業火によってモンストロ・ウェポンは一瞬にして焼失し、これでカティアの進路を邪魔する者はいなくなった。
走り去るカティアを見送り、シェリーは残る敵に相対する。しかし、さすがの騎士であっても単独で複数体を相手にするのは厳しい。彼女の特殊能力である火炎系スキルは魔力の消費が激しいため連発はできないし、ジリ貧になって押し込まれるのは時間の問題だ。
とはいえ引き下がるシェリーではない。王都騎士団の名誉にかけて、ただひたすらに剣を振るうのみだ。
西門内部に簡易的なテントがいくつか設営され、その中で負傷者の手当てが行われていた。想定以上に敵の数が多く、負傷者をこの場に連れてくること自体が困難な状況下であり、皆一様に焦燥感や不安に駆られている。
「街の北側と東側にも魔物の軍勢が現れたらしい。フリーデブルクが建設されて以来の危機かもしれないな」
「全方位を囲まれる勢いか・・・・・・最悪、南側から脱出するしかないだろうか」
そんな会話を聞きながら、テントの一つでアオナは医師達に協力していた。学者だけでなく医療者としての側面も持っているようで、その表情は真剣そのものだ。
「アオナさん、急いでこちらへ!」
血相を変えたバタムがアオナのいるテントに駆け込んできて、腕を掴んで強引に外に連れ出した。普段はのん気なバタムだが、こうも焦るのは何か大きなトラブルでも発生したのかとアオナは問いかける。
「どうしたの? 重症の魔導士が運ばれてきた?」
「そうです! しかも、その魔導士というのが・・・・・・」
言葉に詰まるバタムは西門入口近くを指さす。そこにいるのはカティアであり、彼女の腕に抱えられた人物を見てアオナもまた足が一瞬竦む。
「マ、マリカ・・・!?」
血に濡れたマリカはぐったりとして動かず、腹部に突き刺さったままの触手の異質な存在が起こった事象をアオナに理解させる。
「アオナ様っ!!」
「カティアちゃん、マリカをそこに寝かせて!」
指示通りに石で造られたベンチにマリカを横たえるカティア。
今のカティアに出来ることはここまでだ。自分の不甲斐なさを責めつつもマリカが息を吹き返すことを祈り、後はもうアオナに託すしかない。
「この触手を抜いてちょうだい。そうしたらウチが傷を治す」
「しかし出血が・・・・・・」
「大丈夫。ウチを信じて」
「はい!」
マリカに刺さっている二の腕程の太さがある触手を握り、アオナの合図を受けて一気に引き抜いた。傷口を塞いでいた物が無くなったのだから、当然ながら血が噴出して死へのカウントダウンが早まっていく。
「死なせはしない! ハイレンヒール!」
アオナは両手の掌を重ね、マリカに向けて緑色の光が放出される。その光はリペアスキルのようにマリカの傷に作用して、抉られた体内もろとも急速に再生が始まったのだ。
「こ、これがアオナ様の特殊スキル・・・!」
「そう、ウチは治癒能力を持っていて、この"ハイレンヒール"なら瀕死の重傷であっても死んでさえいなければ治療することができる」
「ハイレンヒール・・・旧世界において最も希少な能力の一つと言われた力です。それを持っていらっしゃったのですね」
ハイレンヒールはリペアスキルとは異なり、人体などの純粋な生命体に効果を発揮する能力だが、所有している者は極めて少なく幻の能力とも言われている。
「でも全ての人間に作用するわけじゃないの。この術は魔導士にしか効かなくて、一般の人の傷を治すことはできないのが欠点よねぇ」
魔導士は一般人よりも生命力や自己再生力が高く、それは魔力によって肉体強化がされているためであると考えられている。ハイレンヒールは単に治癒をするというより、魔導士の魔力と共鳴して自己再生を強力に促すことで、常識や理屈を超えて治す力なのだろう。そのために魔力を持たない一般人には効果が発揮されないのだ。
「マリカ様はリペアスキルを、そしてアオナ様はハイレンヒールを・・・・・・凄い偶然だと思います。お二人揃って何かを癒し、直す力を得るなんて」
「確かにウチとマリカの能力は似ているね。その対象が違うだけで」
血が繋がっていても能力までもが似るとは限らない。例えばエーデリアとシェリーも姉妹だが、空間転移と火炎操作という異なる性質の力を持っている。そう考えると、姉妹で癒しを発現したのは奇跡レベルなのだ。
「これでオーケー。もう命の危機からは脱したよ」
そう会話をしているなかでもアオナはしっかりと術を掛け続けていて、マリカの傷は完治していた。しかも傷跡すら全く残っておらず、マリカの綺麗な素肌が再生されている。
「う、ん・・・あれ、私は何を・・・?」
「マリカ様!!」
治療が終わった直後、マリカは弱弱しくゆっくりと瞼を開いた。そんなマリカに対し、カティアはキツくギュッと抱き着く。
「良かった、本当に・・・!」
「カティア・・・そうか、私はあの化け物に殺されかけて・・・・・・お姉ちゃんがスキルで助けてくれたんだね」
光の戻ったマリカの瞳がカティアとアオナを捉え、全ての状況を理解する。自分の身に起こった出来事も同時に想起し、戦闘の行方も気になるが、まだ体は思うように動かすことはできない。
「戦いはどうなったの?」
「まだ戦闘は続いているよ。どうにも厳しいみたいだけど・・・マリカちゃんは寝ていて。怪我は治ったけど、当分はマトモに動くことはできないと思うから」
アオナは立ち上がり、傍で事態の推移を見守っていたバタムに向き直る。
「バタム、ウチも前線に出る。このまま敵の勢いが収まらないと、そもそも怪我人を街に運び入れることも不可能になるからね」
「確かに魔導士達の退路確保もままならない状況で、負傷した方を運ぶことすらできなくなっています。前線で負傷した方の安全を確保するためにも、一刻も早く魔物を討伐する必要がありますね」
「ウチはこれでも騎士団候補にも選ばれた魔導士だからね・・・行くよ」
「分かりました。カティアさんの話では、北側エリアに巨大な敵が出現したようです。そうした強敵を排除しないことには我々の勝利も有り得ません」
現状では西門内部のテントに運び込まれた負傷者達は順調に回復傾向にあり、集まった医師達に任せても問題ないだろう。ならばこれ以上の負傷者を出さないためにも敵を殲滅しなければならない。
アオナはカティアやバタムにマリカを任せ、日頃の柔和な表情とは一変した殺意と闘志に満ちた鋭い眼光を光らせる。
「潰す・・・ウチの大切なマリカちゃんを傷つけたカス共は全て潰してやる」
両手に大きな斧状の魔具、ジャイアント・ホークを携えて戦場へと出撃するアオナ。
戦いは、新たな局面に突入した。
-続く-




