8話 2人だけの時間 (神楽)
アイドルのライブを終えた後、神楽が療養所を出ることをヒメに問われる場面から。
8話 2人だけの時間 (神楽)
「………私、沙川さんから聞いたんだ。……神楽お姉ちゃんは、あと少しで此処を出るって……。2日……だっけ。」
「…………!」
ヒメからの言葉に、返す言葉が何も見当たらない。深い罪の意識が私を覆う。
私は、此処を出ることをヒメに対して隠していた。直接言うことが苦しくて、別れの言葉を告げるのが嫌で。ヒッソリと居なくなろうとしていた。
他人のことを考えず、自分のことしか考えきれない。
私を見上げるヒメの表情から、強い怒りと悲しさが読み取れる。こんな表情をするヒメは初めて見た。いつだって明るいヒメなのに……。こんな風にさせたのは私である。
「ひどいよ!どうしてなの?……私に、私に黙っていたなんて……!」
「そ、それは……」
「神楽お姉ちゃんのばかっ……!」
ヒメはそのように言い放つと、プイッと反対を向いて重い足取りで室内へと帰っていった。
「ヒメが怒った………。そんなつもりは無かったのに……」
ヒメの言葉が心に刺さっている。放たれた言葉の刃を私は避けることが出来なかった。避けてはいけない、私はその言葉に込められた意味を真摯に捉えなければならない。
普段、汚い言葉を使わないヒメが、感情を素に出してまで使った「ばか」の一言。このセリフを言わせた私に全ての責任がある。
「神楽さん、追いかけなくていいのですか?」
ヒメの後ろ姿を見つめることしかできなかった私に、背後から沙川さんが話しかけてきた。よりによって、一番悪いタイミングで本人と居合わせてしまう。
ヒメが「沙川さんから……」と言っていたが、その事を本人に聞かれてはいけなかった。無実なもの沙川さんが、罪悪感を感じてしまうだけである。
私が伝えなかった事を、ヒメに伝えてくれた。そのおかげで、自分が悪かったと再認識できた。
だから、沙川さんには、ヒメに事実を伝えて事を悪いことだと思われたくなかった。
「沙川さん!?……今のやり取り見ていましたよね?」
「はい………少し離れたところから見ていました。……すみません、私が理解不足なものでして。本当に申し訳ございません。」
深々と頭を下げられてしまう。沙川さんが悪いわけでは無い。なのに、どうして私に謝るの……!
無実の人に謝罪の意を感じさせた自分に腹が立つ。自分が事をうまく処理できないからこうなるんだ。
「私が悪いんです。沙川さんは悪くなんて無い……!ヒメに伝えなかったのは、私なのです……。」
私が全てを言い切ると、沙川さんは頭を上げて「そうでしたか……。」と、一言だけ呟く。何かを考えるかのように、虚空を見上げている。
「まー、世の中に完璧な人間は居ませんから。自分の犯した誤ちを償う、それが大事ですよ。時間は無いです、神楽さん。」
『完璧な人間は居ない』という言葉も、とある書物の名言だった気がする。これは、当たり前のことだと思ってヒメに伝えていなかったが、自分はその事を理解できていなかった。
ヒメの中での唯一無二を目指し、完璧になろうとしていたが、それは不可能だったのだ。
私は勝手に完璧になっていたつもりだった。
けど、他の人から見れば、全く完璧な人間では無かったのだ。沙川さんは、それを理解していたから、敢えてその言葉を私にぶつけたのだろう。
「でも……」
変なプライドが私を邪魔している。ここでヒメに自分の誤ちを伝えに行けば、私はヒメにとって完璧ではなくなるんだ。
沙川さんからサラッと事実を伝えられたけど、それを認めたくない弱い自分が、私の内にしっかりと居る。
「ヒメさんには謝り、あなたの思っていることをぶつけてきてください!ここでしないと、絶対に後悔しますよ!」
ザッと足音を立てて半歩だけ私に近寄る。掴みかからんばかりの勢いだ。
私が此処に来てからの今までを振り返っても、沙川さんが感情的に言葉をぶつけることはなかった。
人が感情的になり何かを言う時は、大半が間違いを含んでしまっている。その場でカットなった時、人は考えもせずに思うことを言い並べてしまう。だから、間違いを含んだり、誤解を生むような意味に捉われたりすることがある。
だけど、沙川さんの言葉は、今の私が取るべき行動の適切な答えであった。それに気づいた時、邪魔していた弱い自分がサッと姿を消した。
私のヒメの仲を第三者の視点から、冷静に見ていた沙川さんにしか分からないことがある。
この後2人がどうなるのか、その事を当事者の2人は冷静に考えられない。だけど、事を落ち着いて考えることが可能な第三者からなら分かる。
その結果が分かっているからこそ、今の私の態度に焦りを覚えているのだろう。
「分かりました。」
私はその一言だけを沙川さんに伝えると、走ってヒメの後を追いかけた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
久しぶりに運動をしたせいか、息があがって呼吸を整えるだけで精一杯である。
此処はサナトリウムなので、療養者の迷惑になってはならない。迷惑にならぬように屋内に入ると早歩きでヒメを追いかけた。
ヒメが自室に入るのが、廊下の奥に見える。追いかけている時、私はヒメに気づかれていなかった。おかげで気恥ずかしくなることなくヒメに話せる。
ヒメが完全に部屋に入ったのを確認して、私はヒメの部屋の前へ行く。
普段から入り慣れている部屋なのに、まるで知らない人を訪ねる時のような気持ちである。
ドアをノックをしようとあげた右手が止まる。そのまま、その手を自分の胸に当てる。徐々に鼓動が強くなっていくのがわかる。
目の前のこの扉を、自らの力で開けれない気がする。
「私が気づかないわけないよ……?」
突然、ガーっとドアがスライドした。
中から、半ば呆れたような表情を見せるヒメが現れる。歳下、よりによって、本物の妹のようなヒメに、そのように見られるのが恥ずかしい。
ヒメに、かまって欲しい幼子が親から言われるようなことを、サラッと言われてしまった。私は日常でも優しく接していて、そんな事言わないのに……。
「はぁ……。神楽お姉ちゃん、部屋の中で話そうよ」
左手を冷たく小さな手でギュッと握られる。握る力は弱いものの、その手からは何かの強い意志が伝わってくる。
「では、お言葉に甘えて。失礼します。」
部屋に入ると「あぁ、ヒメの部屋だ」とわかる、独特な空気が私を包み込んでくれる。
年中通して、ほとんど変わらない室温。部屋を包み込むヒメの甘い香り、上手く畳めていない掛け布団や服。
こんな事が起きなければ、ヒメの部屋に来ることもなかっただろう。
部屋を見回しながら、ベッドにヒメと横に並んで座る。初めて此処に来たときよりも、右側に座るヒメの肩の高さが、私に近づいてきてくれたことを実感する。
ヒメが私の右手に小さな左手を絡めてくる。だが、私と目を合わさずに、床の一点を悔しそうに睨んでいる。私がヒメの立場であったならば、同じような行動をとっただろう。
私がヒメならば、それにプラスで、感情を抑えれずに、声を荒げたり相手の頬をビンタしていたかもしれない。
「どうして伝えてくれなかったの?私達は友達とかよりも、ずっとずっと深い関係だよね?」
深い関係の言葉が何を指すのかハッキリと分からない。恋人みたいなのか、1番の親友であるのか。だが、何となくなら分かる。
此処で過ごしてきた中で、他人と関わる機会は殆ど無かった。だから、ヒメや沙川さんは、私の中で特別な存在になっていた。特に、此処での日々を姉妹のように過ごしてきたヒメは、誰とも代えられない唯一の存在だった。
「だからこそですよ……!……苦しいんですよ……。ヒメと、別れることが……。別れの言葉を告げることを考えると、心が苦しいんです……。だから、ずっと黙っていて……。」
口に出して言い、ヒメとの別れを実感する。初めて会った日からの出来事が、走馬灯のように流れてくる。
ヒメの明るい笑顔、匂い、温もり、甘えたような声……。全てを感じれなくなる日が来てしまうんだ……。
悲しみで胸が締め付けられたような気がして息が苦しい。目頭が次第に熱くなって、抑えきれない感情が、一粒一粒の涙としてこぼれ落ちてくる。隠さなければと、握っていない方の手で涙を拭おうとする。
「理由、わかったよ。言えない時くらいあるよね。」
「……ごめんなさい、私は……、もっと……。」
ヒメと離れることを拒み、さめざめと泣く私。少しでも悲しませないようにと優しい笑顔を見せるヒメ。同じ日々を一緒に過ごしていたのに、何故、このような状況に対しての態度が大きく違うのだろう。
「離れることは寂しいけれど、これから神楽お姉ちゃんが幸せになれるなら私は嬉しいな。それに、神楽お姉ちゃんが、『外の世界』を味わうことができること羨ましいよ。」
「私は、ヒメと離れるのは嫌です!ヒメが心配で……!」
「もういいんだよ。私、神楽お姉ちゃんのおかげで、立派に成長できたよ……!」
右隣には、初めて会った時の幼いヒメの姿は無かった。立派に成長した顔立ちをした少女が、……ヒメがいた。
幼い姿をしていないヒメを見て、私が居なくても大丈夫なんだと安堵する。それなのに、私はもう必要ないと思うと、何とも表せない漠然とした寂しい感情に包まれる。
ヒメのことを信じて旅立って良い。と、正しい私が自身に訴えている。
「それならば、私は自分の新たな夢へと羽ばたいて行きます!」
「わかった!私も早く此処を出れるように元気になって、必ず後を追うよ!」
此処に居る人達に元気な人なんて居ない。それぞれが、精神を病ませていた後の療養中、身体の弱い方が療養をしているためだ。そんな中でも、ヒメは明るく、療養する人々も和ませているのだ。私も精神崩壊を起こして此処に来た時も、ヒメが居てくれたおかげで少しずつ回復し始めた。
だが、決してヒメの身体の調子は良くない。今でも突然に倒れ込んでしまうことがある。それでも懸命に生きている。私が居なくても大丈夫なのか、そのように自分に問うことが幾度とあった。
しかし、今のヒメは絶対に大丈夫だ。アイドルになる私に出来ることは、応援をしていくのみ。
だから自身に誓った。ヒメのためにアイドル活動をしようと。
「元気になるのですよ。次に会うとき、あなたの元気になった姿を楽しみに待っておきます。頑張りなさい、ヒメ。」
「うん。……じゃあ、忘れないように誓いのキスしよ……?」
「え、あ……!」
もう片方の手も絡ませて、目を瞑り私の唇にキスをする。「大切なことを誓うときに、キスをします」なんて教えた記憶は無かった。キスの甘さで溶けてしまいそうになりながら、思い出そうとするけれど思い出せない。
こんなに甘いキス、本当に誓いのキスなのか?少なくとも、私はこのキスは他の意味も含んだキスだと思い、ヒメとキスし続けている。
こんな幸せが、いつまでも続かないと分かっていた。
それでも、切に願っていた。大好きなヒメと離れたくないと。
今回で神楽の話は一旦終わりです。この人だけ別路線で話を作ろうと思ってます。
次回もギャルズメロディーをよろしくお願いします。