13話 願い事 (菜月)
13話 願い事 (菜月)
7月7日は、織姫と彦星が1年に1度だけ会うことのできる大事な日。もちろん、架空のお話ではあるが、この話を子供の頃に聞いた時は「この日だけは特別なんだ。」と、考えていた。しかし、精神的に成長するにつれ、「そこまで特別では無いな。」という考えに変わってきた。
私の実家は東京23区内にあり、母、父が2人で暮らしている。兄貴は、通う大学の近くに住むため、東京の立川市に一人暮らしをしている。さらに、私は寮住まいなので、実家に家族が揃うのは大晦日から正月の短い期間。1年に1回しか会えないと考えてもいいだろう。そう考えると、自分の立場は、織姫と彦星の話と似たような状況である。
自分の身の周りにもあるような話だから、7月7日に織姫と彦星が会うことは、特別なことでは無いと思うようになった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
ここ最近、七夕の時期だということで、願いを書いた短冊をくくりつけるための笹が学校の中庭に設置された。去年もあったのだが、7月7日は大雨が降っていて、笹は体育館の隅っこにポツンと置かれていた。今年の七夕は晴れるようで、去年と同じようなことは起きないだろう。
7月7日を明日に控えた日の昼休み、私は胡桃先輩と中庭に向かった。中庭には、笹の前で数人が「何を書こうかなー。」と小学生みたいに無邪気にはしゃいでる。その様子を目にしてから、笹の前に向かうのには抵抗がある。
「私、子供っぽいの苦手なんだけど……。」
私は子供っぽいのは苦手な上に、ワイワイするような可愛い系の女子でも無い。クラス内では事務的なこと以外は殆ど会話をしないため、クラス内での私のイメージは、無口な陰キャ女子ということになっている。大抵の人の場合、そんな女子が可愛らしげにはしゃいでる姿を見るとゾッとしてしまうだろう。
「私、お願いしたいこと書く。菜月ちゃんも書こうよ!」
渋々と笹の前まで来ると、集まっている数人の中に華奈と神楽が居た。その2人が居るなら、琴音も居るだろうとは思っていたが、琴音の姿は見当たらない。しかし、大人びた琴音の性格を考えると、こんな子供っぽいことしないだろう。そう勝手に推測した。
「胡桃先輩と菜月先輩じゃないっスか!先輩達もお願い事、書きにきたんスか?」
「胡桃先輩が書きたいって言ったからだ。私は書かねーよ!」
部活の後輩に、短冊を書きにきたと誤解されたくなかったため、胡桃先輩が答える前に答えた。焦って答えるわ私を、華奈と神楽がキョトンとした顔で見つめる。
「菜月先輩も書けばいいっスのにー!」
「短冊にお願い事を書くのは良いことだと思います。おいでなさったのなら、書いてみてはどうでしょう?」
後輩2人から言われては仕方ない。ここで書かない方が恥ずかしかったので、「か、書くよ……。」と答えて、近くの台に置かれてある紐付きの短冊を手に取る。小学生以来となる短冊は、少し小さくも感じた。

「何を書こう……。願いたいことか……。」
持った時に何を書こうかと胸が踊るのは、今でも変わらないままだった。同じところに置かれている細いネームペンを持ち、少し考えてみる。アイドル部中体連で日本一、……くらいしかないか。
キュッキュッと音を鳴らして、一枚の短冊にお願い事を書いた。
「桜咲アイドル部、日本一をとる!」
自分のお願い事を読み上げて、紐を笹に括り付けて吊るす。周りと比べて我ながら綺麗な字だなと思い、自然と笑みが溢れてしまう。
他人のお願い事に興味が湧いたので、いくつかの他人の短冊にサッと目を通す。
人間関係についてと、部活関係が半々。どれも似た内容で面白みに欠ける。変わったものが無いか探していると、1つ目に留まったものがあった。
「7月7日のお姉ちゃんの誕生日、お姉ちゃんとキスしたい。」
私はそっと呟くつもりだったのに、他の3人と声がそろってしまう。インパクトが強すぎた故に、みんなその短冊に目が行ったらしい。
それが書かれたピンクの短冊だけは、周りと違う雰囲気を放っていた。その短冊には名前が書かれておらず不気味で、何かいけないものを見た気になってしまう。
「お、お、……おんにゃにょ……。コホン、女性同士でキスなんて……。」
神楽は急に顔を真っ赤にして慌てた様子を見せる。一瞬、この短冊を神楽が書いたのかと考えたが、以前、本人がひとりっ子であると言っていたのを思い出した。すると、真面目で淑やかな彼女であるため、そのように慌てふためいただけだろう。
では、コレを匿名で書いたのは誰なんだ?小学生の犯人探しをする時と同じような気持ちになる。
「7月7日……。お姉ちゃん……。っあ!」
「な、何か分かったんスか?」
「これ、琴音じゃね……?」
確信は持てたものの、その事実を拒否したい私は、おそるおそる言葉を口に出した。場の空気が凍りついて、華奈と神楽は引きつった笑顔をしている。胡桃先輩だけは、「琴音ちゃん、いい夢だねー。」と、純粋な笑顔である。
7月7日は琴音のお姉さんである香織先輩の誕生日。おまけに、琴音と香織先輩は重度のシスコン。
去年の部活中だけでも、香織先輩の会話の8割は琴音に関すること。何かにつけて琴音の写真を私たちに見せつけてくる。琴音は、普段は至って普通なのだが、香織先輩のことになるとすぐソワソワしだして、こっちが目を離せなくなるほどである。
「これは、本人に聞くしかないよ!」
「ええ。一大事ですね、華奈。」
2人とも息を荒立てながら、校舎の方へと早歩きで去っていった。2人の後ろ姿が、アニメに出てくるような覗き見がしたい男子高校生のようで、2人の態度には呆れてしまう。
ハァ……と、溜息をついて2人の後ろ姿を見ていると、胡桃先輩から肩をチョンチョンとされる。
「菜月ちゃん、短冊を菜月ちゃんの短冊の隣に置いてくれる?」
申し訳なさそうにモジモジとしている様子の胡桃先輩から短冊を受け取り、私の書いた短冊の横に括り付ける。こんな事もできないようでは、胡桃先輩の将来が不安でしかない。
西川財閥の主権を持つ西川家には、胡桃先輩専属のメイドがついており、胡桃先輩は甘やかされて育ってきた。そのせいで、胡桃先輩は1人で何かすることが難しい。本当だったら、甘やかしてはいけないのだろうけれど、何も出来ずにいる胡桃先輩を放っておくのは心苦しい。その結果、このように胡桃先輩のお手伝いをしている。
「先輩の願い事読んでもいいですか?」
「菜月ちゃんだけなら……。」
「……菜月ちゃんとアイドル活動する時間があと少しだけ欲しかったです。……これってどういう……?」
体から急に力が抜けて、そこに立っているのがやっとだった。この文章が意味していることが分からない。分からないという恐怖が私を襲ってくる。意味が分からないため、謎に包まれた願い事が私にそこはかとない恐怖を感じた。
「私、3月に卒業したあと、東京の学校に入るんだってー。」
呑気そうな笑顔を見せる先輩の姿を見て、冗談を言ってるだけだと思った。いや、本当はそんなこと思っていなかった。願っていただけだった。現実を受け入れたくなくて、私は首を横にブンブンと振った。
「違う違う……。これは夢だ……、悪夢なんだ!」
「菜月ちゃん、私から離れたくないんだよねー?私、嬉しいよ。」
近づいてきた胡桃先輩は私を抱きしめる。夏の暑さとは別の温もりが、腹と心にすっぽり穴が開いた感覚の私をしっかり包んでくれる。いつも胡桃先輩は頼りない先輩なのに、私の心が痛んでる時に限って、胡桃先輩の元が一番安心するなんて思わなかった。
ただ、いつまでも甘えてるわけにはいかない。胡桃先輩の願いを叶えるためには、こんなところでウジウジしている場合ではない。胡桃先輩と最も長くアイドル活動をする条件、それは今度の中体連で決勝戦まで勝ち上がること。
スッと胡桃先輩の手をほどいて顔を上げると、胡桃先輩は優しく私に微笑んでいた。
感想や評価してくれるとうれしいです
次回もよろしくお願いします