第1話 奇跡もマークもあるんだよ
次に目覚めたのは雲の上だった。
いや、雲は水に過ぎないことを鑑みると、正確にはジュゲムの雲や孫悟空の筋斗に類似する物体と言った方が正確だろう。
とにかく、白くてふわふわしたものが一面に広がっていて、その上に私はいた。
ここが天国なのか。
だとしたら一つおかしなことがある。
どこにもマーカーがないのだ。
もし天国が天上の理想世界であるならば、溢れんばかりのマーカーがなくてはならないはずだ。
にもかかわらず見渡してもどこにもマーカーがない。
もしかするとここは地獄かもしれない。
そう不安に思っていると少し離れた位置から声がした。
「お目覚めになられましたか」
程よく低く、落ち着いた声色。声優学校でもこれ程の美声はなかなかいないのではないだろうか。今にも憲法9条の崇高さを歌い上げそうな声色といったらわかりやすいだろうか。
聞いた者全てを安らぎと睡眠へと誘うようなその声の発生源の方を見ると人が立っているようだった。
しかし、余りにも後光が強過ぎてどのような顔をしているかまでは見えない。
かろうじてわかることはその人は2m近くの大柄な体格の持ち主であるということだけだった。
「あなたはどなたですか?」
「私はイトゥー=コトマ、貴方がいた世界で言うところの神をしている者です」
その凄まじい後光と威厳から薄々察してはいたもののやはり神様らしい。
「では、イトゥー=コトマ様、ここはどこで、私は一体どうなったのでしょうか」
「ここは、本来は人間は入ることのできない神界です。貴方は残念ながら不幸な事故で命を落としてしまいました」
俄かには信じがたいがやはり私は死んでしまったらしい。
「どうして死んだはずの私はそのような場所にいるのでしょうか」
「貴方は善行を積み重ねていたので、本来は天国に召される予定でした。しかし、私が貴方の世界の神に無理を言って頼み込み、ここまで連れてきていただいたのです」
どうやらイトゥー=コトマと名乗る神様は私が元いた世界とは別世界の神様らしい。
「ではどうして、貴方はここに私を呼んだのですか?」
「単刀直入にお願いします、貴方には私たちの世界を救っていただきたいのです」
「世界を救う、ですか」
流石にこの急展開には呆気にとられてしまった。
「驚かせてしまって申し訳ありません。今、私たちの国は魑魅魍魎が跋扈する異国からの侵攻により危機に瀕しています。そして、それを救えるのはただ一人、井関裕太さん貴方だけなのです」
「どうして、私にしか救えないのでしょうか」
「それは貴方が数千年に一人のマ力の持ち主だからです。分かりやすいように貴方にステータスを見れるようにしましょう」
そう言ってイトゥー=コトマが手を振りかざすと私の目の前にステータス画面が現れた。
イセキ=ユウタ
Lv.99
HP:35 MP:99999999
攻撃力:13
マ力:99999999
防御力:17
敏捷:7
ステータス上の数字を見る限り私はMPとマ力が極めて高いようだ。
「このマ力やMPが高いのはなぜでしょうか?」
「ステータスは生前の行いによって決まります。貴方は生前、誰よりも熱心にマーキングに打ち込まれていたので当然の結果と言えるでしょう」
「と言うことはつまり、このマ力とMPというのは魔力とマジックポイントではなく……?」
「ははは、当然マ力というのはマーキング力、MPはマーキングポイントのことです」
せっかく定義を教えてもらったから定義のペンでマークしたいところだが生憎のところ手持ちのマーカーがない。
普段はズボンのポケットやスーツの内ポケット、パンツの中に各数本のマーカーを常備しているがどれも無くなっているようだ。
「マーキング用のペン落としちゃった!」
焦燥感に駆られているところにイトゥー=コトマ神が語りかけて来た。
「どうか、しましたか」
「はい!マーキング用のペンを落としてしまったのですが!」
「落ち着いてください、貴方は転生したことによって新たな能力を得ています。今こそ、その力を用いるときです」
力、そんなものが私にあるのだろうか。
この35年間、ひたすらにマークをし続けて来た。
今まではいつでもマーカーが手に入る状況にあった。
思えば、それこそが自分にとって最上の幸せだったのかもしれない。
大切なものは失ってから初めてその大切さに気づく。
ありふれた言葉がここまで心に沁みたことはなかった。
マークを、したい。
それは心から溢れ出た純粋な願い。
マーカーが、欲しい。
マーカーが1つもないというかつてない極限状況に追い詰められて祐太の本能は研ぎ澄まされていた。
ふと心に言葉が浮かんでくる。
自分の意思とは無関係に、何かに導かれるように祐太はその呪文を口にしていた。
I am the bone of my marks.
(体はマークで出来ている。)
Mark is my body, and mark is my blood.
(血潮はマークで、心もマーク。)
I have marked over a thousand lessons.
(幾たびの講義を越えて不敗。)
Unknown to Death.
(ただの一度も敗走はなく、)
Nor known to Life.
(ただの一度も理解されない。)
Have withstood pain to mark many textbooks.
(彼の者は常に独り書の山で勝利に酔う。)
Yet, those hands will never hold anything.
(故に、その生涯に意味はなく、)
So as I pray,UNLIMITED GREAT MARKS.
(その体は、きっとマークで出来ていた。)
刹那。
祐太の周りはありとあらゆる色、種類のマーカーで埋め尽くされた世界が広がっていた。
「これは……?」
蛍光ペンのみならず、ボールペン、筆、フェルトペン等々無数のマーカーが地面に突き刺さっている。
もし天国というものがあるならばきっとこの世界のことを言うのだろう。
戸惑っている祐太にやはり少し離れたところに光を放ちながら佇んでいるイトゥー=コトマ神が語りかけた。
「これは、固有マ界と言うもので、貴方の心象風景を現実に具現化した世界です。そして、これこそが貴方の唯一無二の能力なのです」
「これが、私の能力……」
今まで転生だの超常現象だのといった非科学的なものには懐疑的だったが、この無限にマーカーを内包した世界を目の当たりにしたからには認めざるを得なさそうだ。
私は転生し、新たな能力を得た。
現世に残して来た教え子には申し訳ないが、きっと彼らは私のマ心(マーキング心のこと)を継承して良き法律家になってくれるに違いない。
では、私はこれからどう生きるか。
先ほどイトゥー=コトマ神は世界を救って欲しいと仰っていたような気がするが、正直私はここで永遠にマーキングを楽しんでいたいのだが。
「ちなみにこの世界は膨大なMPを消費しますので、貴方といえどそう長い時間維持できるものではありません」
心を見透かしたようにイトゥー=コトマ神が説明をした。
次の瞬間にはもう元の雲のようなものが広がる世界に戻っていた。
「少しばかり長くお話ししすぎたようですね、では今後の貴方の旅路がマーカーと共にあらんことを」
イトゥー=コトマ神の後光が広がっていき、視界を無色透明に塗りつぶしていく。
イトゥー=コトマ神の姿と世界の輪郭が徐々に曖昧になっていく。
「イトゥー=コトマ神、お待ちください。まだ沢山聞きたいことが」
もうほとんど視界は真っ白に染まっていた。
「焦らずとも大丈夫です。『やればできる、必ずできる』困った時はこの言葉を思い出してください」
その言葉を最後に再び祐太の意識は途切れた。
瞼を開けると、豪華なドレスに身を包んだ女性と目があった。
黒髪ロングの正統派美女、美女を思い浮かべろと言ったら9割の人間がきっと思い浮かべるであろう整った顔立ちに思わず目を奪われる。
その女性は私と目があうや否や顔を輝かせ、周囲に響き渡らせるように言った。
「皆さん、祐者様がお目覚めに!」
すると、あちこちから「よかった!」「祐者様は本当にいたのか」「ついに……!」といった声が上がって来た。
どうやら先ほどまでいた世界とはまた別の世界にたどり着いたようだ。
とにかく、何が起きているのか確かめる他はあるまい。
「あの、本当に何も分からないのですがここはどこで、貴方は誰ですか」
すると彼女は恭しく頭を下げながら言った。
「ここはジュトゥーイク聖王国の首都、コウキョウトウのお城です。私はジュトゥーイク聖王国第一王女ベルウッド=ヒカリです。祐者様、どうか私たちの国を救ってください」