96 黎明のカヴァティーナ - 2
人の心が、壊れた瞬間を見たことがあるか?
私はきっと、“是”と答える。
──何故?
どうして?
いつ?
どこで?
私はきっと言うのだろう。
“貴方がその言葉を言うの?”
いつだって、そう。
飼い殺しの犬みたいに、忠犬ばかりを侍らせて。
猫の私を、みんなみんな、嗤ってる。
確立された未来があって、いいね。
殺そうかと、思った。
みんなが私にそう言った。
誰もが私にそう言った。
私というレンズ越しに、父と母を見ていた。
──いっそ、殺してしまおうかと。
幸いにも、私はソレを許されている。
幸いにも、私はソレをすることができる。
幸いにも、私はソレをする技術がある。
──イッソ、ミンナ殺シテシマオウカ。
誰の、せいで。
誰のせいで。
誰のせいで。
誰のせいで。
誰のせいで。
誰のせいで。
私が、こうなったとお思いで?
心が弱いから。
子供だから。
軟弱だから。
社会を知らないから。
昔を知らないから。
当たり前を知らないから。
ねぇ、その昔って。その社会って。その常識って。
“今”も通用するの?
最近の若者は、とか。一昔前は、とか。
お歴々のみなさんはそう言うけれど。
ねぇ、ねぇ。
貴方と私って、同一人物だったの?
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玲華。
玲華。
なんとなく。なんとなくなのだけれど。ここにいると、わかるの。
貴女も、そしてきっと、暁人くんも。2人とも。
とっくの昔に、心が壊れてしまっていたのね。
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「レイエンフィリア」
「キリル」
甘い声が、レイエンフィリアを呼ぶ。
差し出された手に、レイエンフィリアは自分の手を重ねた。
木で出来た隠し扉を抜ければ、そこは城下町から少し離れた森の中。
恋人みたいに手を繋いで、寄り添って歩く姿はきっと皇女には見えまい。
けれど。
「あら、皇女様」
「ホントだ!レイエンフィリア様ぁ!」
「お久しぶりです、皇女様」
溢れ出る気品は隠せなくて。
「…………」
驚いて目を見開くキリルに、レイエンフィリアはそっと微笑んだ。
「ふふ、結局こうなってしまうのよね」
「いつものことなんですか?」
「城下町にはいつも来ていたから」
レイエンフィリアの仕事は少ない。時間を持て余すことの方が圧倒的に多い。
貴族の娘や商人の娘などとお茶会をする以外、大きな予定は入らない。
ならば、と。
レイエンフィリアはマリンに他の仕事を与えて下がらせ、城下町を歩き回っていた。
「自分の目で見たいの、世界を。私たち皇族はいつも皇城に篭って仕事をするけれど、それでは何もわからないわ。知りたいなら自分の目で確かめないとね。民の言葉を、意思を、願いを。自分の耳で聞かないと」
最近はどう?
そう声をかけて民の言葉に耳を傾ける姿は、皇女そのもので。
国を統べる者として、相応しくは無いかも知れないけれど。それでも、在るべき姿ではある、と。
そう思わずには、いられなかった。
「いい果物が入ってるよ、何か買っていかないかい?」
「食べ歩けるものがいいわ」
「じゃあ……ブドウはどうだい?皮まで食べられるし、甘くて美味いよ!」
「それはいいわね、おひとついただくわ」
「レイエンフィリアちゃん、うちでも何か買っておくれよ」
「ウチでもだ!」
「まぁ。ふふっ、人気者になってしまったわ」
軽く結った髪がふわりと揺れる。
嗚呼、と。キリルはその光景を無表情に見つめていた。
────例え中身が暁人と玲華でも、こんなにも──
生きる世界が、違う。
知らなかった。
考えたこともなかった。
だって自分は──自惚ではなく──本当の意味で、比較された時に優位に立つ側だったから。
だって自分は【暁】で。
次期当主候補も第6位で。
神の劣化品たる彼らに、最も近い人間で。
実力を出してしまえば、凡人なんて片手で殺せる力があって。
暴力といえる行為が、許された存在で。
刀を振るうことが、許された存在で。
人を殺すことが、許された存在で。
万能を望む学生が欲しがりそうなことは、大抵出来てしまう存在で。
力があって立場があって、治安維持のための組織に所属していて。
言ってしまえば、先の人生を遊んで暮らせるくらいの金も持っていて。
常に、羨ましがられる“人間”だったから。
────知らな、かった。
俗に言う、身分違いの⬛︎。
そんな想い、抱いて良い相手ではなかった。
中身がどうとか関係なく。
想いがどうとか関係なく。
今の自分は、“キリル”と“レイエンフィリア”で。
⬛︎、なんて。
そんな想い、抱く事すら烏滸がましい。
────殺さないと。
相応しくない想いなんて。
「ねぇ、キリル」
軽やかな声が、キリルを呼ぶ。
柔らかな白い手が伸ばされて、キリルの右手を掴んだ。
「あちらに装飾品のお店があるわ。見てみたいの。行っても良い?」
この眼を、この視線が孕む意味を、知っている。
それはまるで、⬛︎しい人に向けるような、甘い視線。絶対的な信頼と想いが複雑に絡み合った、特定の人物にしか向けられることのない視線。
⬛︎する乙女の、眼。
⬛︎しい人を前にした時の、眼。
今までは、嫌悪感しか抱いてこなかった視線なのに。
若いのに権力も実力もある“人間”だった暁人を、自分を飾る道具にしか考えていなかった──或いは親から近づくように指示された──“暁人自身”を見ていない視線。
今までは、嫌悪感しか抱いてこなかった視線なのに。
────な、のに。
今の自分はなんだ?
レイエンフィリアからそんな視線を向けられて。
どうして──
────満足感に、浸っている?
「キリル?」
身を寄せるレイエンフィリアの襟元からは、独占欲の華が見え隠れする。
「いいですね、見てみましょうか」
恋人みたいに手を繋いで、寄り添って歩く姿はきっと。
き、っと──
──ただの主従には、見えまい。
次回更新は2週間後、7月3日の12時となります。
よろしくお願いいたします!




