90 慟哭のカンタータ - 26
用意された部屋。
人のいない空間。
レイエンフィリアのために整えた舞台は、その実、エイルワードの決意の表れ。
ここで起こったこと、交わした言葉。
その全ては、エイルワードの心の内にのみ記録される。
それがわかっていながら、レイエンフィリアは口を開けずにいた。
────言っていいの?明かして、いいの?
キリルの時とは全く違う。
レイエンフィリアにとって、エイルワードが明かしていい相手という確証は一切ない。
『腹を割って話す』という言葉が、“これ”についてではなかったら。
「レイエンフィリア」
「……お兄様」
「僕から、名乗ろうか?」
「「……え」」
「だって、言いづらそうだから」
「いや、しかし。兄殿下」
「いい、いい。なんとなくわかる。俺より君の方が序列が上だと思うから」
「や、その……」
「レイエンフィリアも、いいね」
「あ、あの……」
序列が上?
それはやはり、九龍院の話?
キリルの方が──暁人の方が序列が上だということは、【暁】の人間ではない。しかし、玲華に先に言い出すように言ったということは。そして暁人も、それを止めなかったということは。
「先の言葉通りだ。口調も立場も全て捨てて話そう。俺の名前は、『秀夜』。九龍院 秀夜。次期当主候補第8位。第1部隊『白羊』情報収集部隊の所属だ」
────私より、序列が上ってことじゃない!!
だから私に先に言わせようとしてたのか、とようやく気付いたレイエンフィリアは、改めて目の前のエイルワード──秀夜を見つめた。
「……秀夜様、だったんですね」
「ああ、君は?」
「玲華、です。九龍院 玲華。次期当主候補第18位・次期当主婚約者候補第6位。第10部隊『磨羯』防衛・執行部隊所属です」
「…………嗚呼、玲華ちゃん、なんだ」
「……はい。申し訳ありません」
「いや、いいよ。……で」
視線はレイエンフィリアからキリルへ。
キリルがゆっくりと口を開く。
「お久しぶりです、秀夜。九龍院 暁人です」
ガチャン!
秀夜の手が掴み損ねたティーカップが、ソーサーに触れて激しい音を立てた。
彼の顔は硬直している。
「あきひと……って、あの暁人、様?」
────わかります。そうなりますよね。私もそうでした。
「様なんてつけないでください、秀夜。ほら、玲華だって俺にはタメ口ですよ」
「それを諦めって言うんですよ、暁人」
「玲華ちゃん、諦めたんだ……」
「様ってつけようとすると、返事をしてくれなくなるんです、この人。返事をしてくれないと執務もできないし、諦めました」
「うわ、ひっどいことするなぁ」
「立場は玲華の方が上ですから」
「序列は貴方の方が上です!」
「そーだそーだ!玲華ちゃんの言う通りだ!」
ふむ、と言う顔を暁人はしたけれど、すぐに怪しげに微笑んで、口を開く。
「どうしてもって言っても、ダメなのか?」
「私は気まずいです」
「そうか?うーん……」
玲華の耳元に口を寄せる。
「俺の名前を呼んでくれるの、かなり好きだって言っても?」
「えっ、あっ……えと……」
一気に玲華の顔が赤くなる。
見つめた暁人の瞳は甘く蕩けていて、それが本当のことだと言っているようで。
そこにもう1人いることなんて、頭から抜け落ちるほど、記憶が鮮明に蘇る。熱を孕んだ瞳も、紡がれる甘い声も吐息も。
「っ……」
「ふっははっ。真っ赤」
「〜〜〜〜っ!」
「…………」
────あの暁人様が、こんな顔をするのか。
玲華はきっと気付いていないんだろう。
赤い顔を隠すように、暁人から顔を背けているから。
楽しそうに、愛おしそうに。
可愛くて、愛おしくてたまらない、と。彼の表情が物語る。
常に【暁】として自分を律していた暁人の姿を見てきた自分の目を、思わず疑ってしまうほど。
そして。
────嗚呼、やっぱり、守ってあげたい。
玲華を、レイエンフィリアを。
暁人を、キリルザードを。
この、仮初の幸せしか手にできない脆い恋心を、誰かが守らないと。
「玲華ちゃん」
「は、はい?」
「城中の人間が、君を疑っているんだ。『まるで人が変わったようだ』ってね」
「…………はい」
「でも、人が変わったように性格が変わった人間を、僕は複数人知っている。彼らも、僕は転生者なんじゃないかと疑っているんだ」
「「誰ですか!」」
暁人と玲華の声が重なる。
味方が多いに越したことはない。
何より、孤独だったのだ。
知り合いもいない、味方もいない、過去を話せる友人もいない。上辺で語り合う人はいても、心の内を話せる人物がいない。
それはとても、孤独で、苦しいものだから。
「僕が思うに、最低でも5人。まずは僕、エイルワード。玲華ちゃんのレイエンフィリア、暁人様の……」
「………………………………」
「……暁人の、キリルザード。そしてキリルくんの養父、キースフェリド」
「知っていたんですね、ラ・ステッラが転生者だと」
「この国のことが知りたくて、報告書を漁っていた時に偶然に、ね。“人”を殺せるのが僕たち転生者だけだなんて、気が付かなかったけれど」
秀夜は紅茶を口に含む。
わずかに渋い顔をしていたけれど、その理由も、紅茶が減っていなかった理由にも、今思い至った。
「そういえば、秀夜様は紅茶がお嫌いでしたね」
「……!嗚呼、覚えていたんだ」
「紅茶を飲むより緑茶がいいと、おっしゃっていたのを覚えています。だからなんですね」
「ん?」
「来客があったはずなのに、お兄様の紅茶の減りが少ないと思ったんです。お兄様は紅茶好きですから、応対の際には必ず一杯は飲むのに、私が来るまでに飲み干していなかったのが気になって。紅茶が好きではないから、あまり手が伸びなかったんですね」
「………同じことを言うんだね」
「…………?どなたと?」
「父上と」
「!」
ティーカップの中を見つめながら、思い出すように秀夜は語った。
「今と同じようなことを、先ほど父上にも言われたんだ。『紅茶好きのお前があまり飲まないのは珍しい。まるで人が変わったようだな』って。肝が冷えたよ」
「…………その後は、なんと?」
「静かに、一言。『お前も俺と同じ、転生者なのか?』と」
次回更新は明日、5月6日の12時です。
よろしくお願いいたします。




