88 慟哭のカンタータ - 24
怖い。
分からないことが、怖い。
「マリン?どうしました?」
「ベンク、さん……」
「顔色、真っ青ですよ。えぇっと……アラド、呼びましょうか?」
「そ、れは……「呼んだか?ベンク」」
使用人控え室の扉を開けて、アラドが現れる。マリンの青い顔を見て顔を一瞬顰めてから、後ろ手に扉を閉めた。
「マリン」
「アラド……」
しゅんと俯いたマリンに歩み寄り、ベンクにアイコンタクトを送る。
────2人きりにしてくれ。
それを正しく受け取ったベンクは、肩を竦め、微笑みながら部屋を出ていった。きっと声は聞こえない程度の場所で、控え室とレイエンフィリアの寝室を見張っていてくれるだろう。
「マリン」
「……アラドっ!」
泣きそうな顔でマリンがアラドの胸に飛び込む。その細い肩は小刻みに震えていて、アラドはマリンを壊してしまわないよう、努めて優しく抱き締めた。
「……わたし、怖いんです」
「ああ」
「姫様が、別人みたいで」
「そんなことない」
「だって前まで、何でも私に話してくれたのに……」
「最近は話してくれない?それが嫌なのか?違うだろう?……ほら、吐き出して、全部。俺が聞くから」
確認するように目線を合わせたマリンは、アラドの瞳を見つめたまま呟く。
「お優しい方なの」
「ああ」
「お仕事で人を殺めた日は、1人で泣いてしまうような、弱い方なの」
「ああ」
「でも今はまるで、抜き身の刃みたい。触れただけで全てを切ってしまうような、ナイフみたい」
「君さえ?」
「私さえ」
「…………」
「何も聞かずに、身の回りのお世話をするのはいいの。それがメイドですもの。その、初めて、キ、ス、マークを、見た時は、ど、動揺しちゃったけれど……それでもね、動揺しちゃいけないのが仕事だもの。あれ以降は顔に出していないつもりよ、気がついても」
「そうだな」
「でも時々、背筋が冷たくなるの」
例えば、入浴の時。
レイエンフィリアに背を向けて、下着を棚に置いている時、ふと、後ろから視線を感じて振り返ったことがあった。
当然、レイエンフィリアはこちらを向いていない。気のせいかと視線を戻そうとすると、鏡越しのレイエンフィリアと目が合った。
獲物を前にした獣のような、今にも舌なめずりをしそうな、獰猛な目。
気付かないふりをして準備を整え、声をかければ、そこには普通のレイエンフィリアしか居なくなるけれど。
「そんなことが、何度もあって」
「…………役目から外れたい?」
「そんなことはないわ!私の役目だもの。他の誰にも……お母様にだって、あげないわ。でも……でもね、怖いの」
再び彼の胸に顔を埋めて、アラドの匂いを肺に取り込む。
────嗚呼、やっぱり、好き。
包み込んでくれるような、貴方の香り。とても落ち着くから、こうして話せるの。
「知らないフリ、見ないフリ、そんなのはメイドたるもの当たり前よ。口に出さないのもね。でも……!傷付きやすい姫様が、どうしてあんなに変わってしまったのか、わからなくて怖いの……!私がいない間に、何があったの?髪が短くなった理由は?冷たく笑うようになったのはいつから?」
何故?
何故?
何故?
何故?
「いったい、どうして……?」
「……わからない」
再び視線が絡み合う。
アラドの表情も苦しそうなものだった。
「俺も、わからない。正直に言うと、何も。わからないことばかりなんだ。でも、それでも……」
暗い表情だったアラドは、迷いを振り切りように目を閉じて、力強くマリンを見つめ直す。
「俺はあの時、殿下について行くと決めた。生半可な覚悟で、中途半端な俺が、それだけは決めたんだ。『この人を信じていこう』って。そして殿下は、そんな俺に応えてくれた。信じてくれた。なら俺は、俺を信じてくれた殿下を信じないといけない。それは部下の義務だ」
「アラド……」
「マリン、殿下が急に人が変わったようになって驚いているのはわかる。痛いほど、知ってる。君が悩んでいるのも知ってた。それを口に出せずにいるのも。でもマリン、君が信じた殿下は、別人になったのか?違うだろう。君は、君だけは彼女を信じ続けないと」
「……!」
「君まで殿下を信じられなくなったら。俺たちまで信じられなくなったら。本当の意味で、“あの2人”は孤立してしまう。それだけはダメだ。孤立させちゃいけない。ますます歯止めが効かなくなる。信じるんだ、全てを懸けて。いつか話してくれる時が来る、そう信じて」
いつになく真剣で、嗜めるような、言い聞かせるような、けれど、まるで自分にも向けて喋っているような。そんな雰囲気で紡ぐ彼の言葉に、圧倒される。
「俺たちで受け止めよう、俺も君を支えるから。そばにいるから。その悩みを共有しよう。俺もそうだよ、1人じゃないよって、言うから。だから、支えよう、信じよう、俺たちで。俺たちが信じた主を」
頷く。
涙がこぼれたけれど、気にせず。
だって、そう。信じてるから。
「ほら、1人で泣かないで」
貴方なら拭ってくれるって、知ってるから。
そして、こう言ってくれるの。
「『泣きたいなら、俺も一緒に泣くよ』」
痛みも悩みも、全て共有して。
────姫様、信じてます。心から。
私たちの全てを懸けて、貴方を支え、信じ、守ります。何があっても。だからいつか、私たちにも話してください。何があったのか。笑ったりなんかしない、疑ったりなんかしない。全て受け止めて、それでもお仕えしますから。
私も貴方も、境遇は同じ。
捨てられて、拾われて、ここまで来た者同士。
貴方は騎士団に、私はお母さんに。
拾われて、立場に迷って、そして、姫様に拾われた者同士。
だから、逃げない。
たった今、そう決めたの。
次回更新は明日、5月4日の12時です。
そろそろ息抜きの回が来るのですが、そこにたどり着くまでが長い……頑張ります!
どうぞよろしくお願いします。




