85 慟哭のカンタータ - 22
魔術の気配を感じて目を覚ます。
机の上の一部を常に陣取る巨大な宝石が、ほのかに光を放っていた。
────通信が繋がってる……?
けれど相手からの呼びかけはない。
ベッドから起き上がり、そっと石に触れた。
こうすることで、鮮明に音を拾うことができるらしい。
直接流れ込むように、脳が音を拾っていく。
目を閉じて音に意識を集中させた。
──衣擦れの音
──息を飲む音
──衣擦れの音
──「き、りる……こい!」
弾かれたように顔を上げる。
────今のは、エイルワード王太子殿下?
揉み合うような衣擦れの音。
────襲われている?誰かに。
じゃあ、誰に?
────どうして俺に繋いだ?
だって、そんなの。
────まさか。そんなはず。
理由なんて、一つしか。
考えるより先に部屋を飛び出す。
殿下もただ守られるだけの人間じゃない。数分なら持ち堪えるはずだ。
杞憂であってほしい。
そう思いながら、言うなれば上司であるはずの、王太子の命令に逆らってレイエンフィリアの寝室へ走る。
────居てくれ。どうか。
キリルがレイエンフィリアを抱いてから、1週間。
この1週間は平和だった。平和だったはずだ。
レイエンフィリアは誰も殺さなかったし、マリンとも打ち解けた。
何も聞かずに部屋を片付けて欲しいと言って、レイエンフィリアという秘密を通して、マリン、アラド、ベンクとさらに親密になった。
なのに。
彼女の寝室のドアの前に立ち、息を整える。
「レイエンフィリア、失礼します」
ノックはしない。
きっと。
ガチャリ。扉を開く。
きっと──
「…………」
──居ないから。
「嗚呼、クッソ!!」
脳内でエイルワードの寝室までのルートを算出して、駆け抜ける。
さっきまで『彼を信じて』ここまで来たのに、もう『無事で居てくれ』と思っている自分がいる。
なんて男だ。
それじゃあまるで。
まるで、レイエンフィリアが。
「……っはぁ、はぁ」
レイエンフィリア、が。
これから。
「たのむ……!」
これ、から。
「頼むから……!」
この角を曲がれば、寝室。
「間に合ってくれ……!」
義兄を殺めるような、そんな予感。
走りながら捨てたかったのに。
蹴破るように扉を開ければ、そこには。
「…………っ!」
レイエンフィリアに組み敷かれた、エイルワードがいて。
血の気が、引く。
「レイエンフィリアっ!」
全力で駆け寄って、引き剥がす。
肩を掴んで、無理やり身体を起こし、腰と腕を掴んで拘束した。
「…………ぁ」
「なんで、おまえっ!」
急いでエイルワードを見れば、左肩あたりに刺さった銀のナイフ。
しかし、痛そうにするでもなく、エイルワードは起き上がった。
「大丈夫、刺さっても、掠ってもいない。髪の先端が切れただけだ」
「殿下……」
言いながら、レイエンフィリアが拘束から逃れようと踠き出す。
「……っ、レイエンフィリア」
彼女の意識は還ってこない。
────嗚呼、どうして。
エイルワードの目の前ということなど気にせず、腰に回していた左腕をレイエンフィリアの後頭部側に回して、顎を上げさせる。
腕を拘束していた右腕で今度は腰を抱き、舌が深く絡み合うように、深く深く、口付けた。
「……っ、んぅ、んっ!」
なおも逃れようと暴れるけれど、次第に【彼女が勝って】くる。
光の灯らない目は蕩けるような甘さを湛え、身体の力は抜けて体重をかけられ、一方的に無理矢理絡めた舌に、自ら絡めようと動き出す。
空気が、甘さを孕む。
「……っは」
「……まだ、もっと」
「んぅ!」
レイエンフィリアが息継ぎのために唇を離しても、すぐにまた塞いで。
眉が寄り、目尻に涙が溜まって、視線さえも甘く絡んだ。
ゆっくりと、唇を離す。
頼りなく目を潤ませるレイエンフィリアの唇を、最後に舐め取って顔を離した。
エイルワードに視線をやれば、驚きもせずに2人を見つめていた。
「すみませんが、彼女はもらっていきます。“欲を発散”させないと」
「それはいいよ、連れてお行き。しかし後で、説明はしてもらうからね」
レイエンフィリアを横抱きにしながら、キリルは無表情に答える。
「もちろんです」
そんな2人を見て、エイルワードは楽しそうに微笑んだ。
「部屋にお戻り、2人とも」
まだぼんやりとしているレイエンフィリアを無視して、キリルはエイルワードに一礼し、部屋を後にする。
その後ろ姿に、エイルワードはそっと声をかけた。
「今日の10時ごろ、僕の予定を空けておくよ。それまでには済ませて、謁見の間においで。暁人」
「……っ」
動きが止まる。
けれどキリルは振り返ることなく、小さく一礼して部屋を後にした。
エイルワードは、ふぅ、と息を吐いて、微笑みながら足元を見つめた。
「…………残念だったね、エイルワード」
────本格的に失恋したみたいだよ、君。
──別にいいさ。その初恋はもう、終わってるんだ。
────尾を引いていないならいいんだ。後ろ髪引かれる思いというのは、もどかしいものだから。
──感謝しているよ、秀夜。君のおかげだ。
────暁人は、僕たち九龍院の人間からしたら憧れの人だったしね。すごい人なんだ、彼は。
──見守ろうか、2人を。できることなら、力を貸してあげて欲しい。
────もちろん。バックアップよろしく。
穏やかな会話は、誰に聞かれることもない。
キリルが開けたままにしていた部屋の扉を閉めて、九龍院時代から考えると、恐ろしいほど広いベッドに再び横になった。
────普通の人なら、寝られないんだろうけど。
襲撃とか、夜間の戦闘なんて慣れっこで。
レイエンフィリアに襲われたことなど全く気にすることなく、秀夜はすぐに眠りについた。
連続投稿の時期になりました。
急遽決めたので在庫がありませんが、頑張って書きます。
次回更新は明日、5月1日の12:00です。
よろしくお願いします!




