83 慟哭のカンタータ - 20
マリンがいない。
気配も、彼女の匂いもない。キリルが拘束されていた間、少なくともここ1週間はマリンが来ていないはずだ。そのくらい気配が減っている。
部屋は脱ぎ捨てられた軽装なドレスやネグリジェで散らかっていて、綺麗なのはベッドだけ、というような有様だ。
────一人暮らしの男の部屋みたいだな。
足の踏み場も無い、という状況に近い。
レイエンフィリアが手に持っているものからは目を外して、彼女に近づいていく。
「わかりますか、俺です。キリルです」
「…………」
瞳に光が宿っていない。
壊れたか、操られているのか。
「レイエンフィリア」
彼女の手を取り、血に濡れた美しいナイフを取り上げた。とりあえずその辺りに投げた。
目の合わないレイエンフィリアの顔を持ち上げて、無理矢理に視線を合わせる。
「聞こえないか、玲華」
「…………」
舌打ちをしたくなった。
どうすればいい?
童話よろしく、キスでもしてみようか?
「【アルグレム】、聞こえるか」
【よう、童か。久しいな】
「レイエンフィリアはどうなってる」
【今戦ってる。抗ってる。けど悪魔に勝てるわけがない。肉体の使用権はほぼ奪われてる】
「意識を浮上させろ。お前とメイリアでガイネルンを抑え込め」
【どれくらい持つかわからんぞ】
「少し、考えがある。やれ」
そこからは早かった。
数秒と待たず、レイエンフィリアの動きが止まった。
瞬きさえ止まって、そして、還ってくる。
「……ぁ」
「玲華」
「…………ぁ、き、りる……」
「はい、お帰りなさい」
焦点が合い、自分の姿を見て、レイエンフィリアが悲鳴をあげる。
「な、によ。これ……!」
「…………」
真っ赤に染まったネグリジェや手。赤黒く血がこびりついた髪。
「私は、どうしてっ……」
「玲華」
「お願い、出て行って」
「嫌です」
「お願い!」
私を見ないで。
そう言いたげな玲華に距離を詰め、腰を抱いて、甘く口付けた。
────もう嫌だ(殺したい)
────こんな自分は嫌だ(殺したい)
────汚い(殺して)
────気持ち悪い(殺して)
────触らないで(もっと触れて)
────嫌い(側にいて)
────こんな自分、嫌い(好きにならせて)
────もう嫌だ(忘れたい)
────殺ししかできない自分が気持ち悪い(全部忘れたい)
────嫌い(触れて)
────嫌い(側にいて)
────嫌い(離さないで)
────嫌い(全部忘れさせて)
────もう、もう……
死んで、消えてしまいたい。
流れ込んでくる思いも、願いも、全て汲み取って、それでも暁人は玲華を離さない。
絡む舌を解放して、耳元に甘く口付ける。
「っあ」
「れいか」
「や、ぁっ!」
息を吐くように、甘く囁けば。
切ない表情で、玲華が腕の中から逃れようともがく。
壊して、なるものか。
心を繋ぎ止める。
「玲華」
「やだ、ねぇ、はなしっ……」
玲華を無理矢理抱え上げて、ベッドに沈める。
「きゃ」
自身もベッドに乗り上げて、玲華に覆い被さった。広いベッドの上、至近距離で、玲華と見つめ合う。
「あ、きひと……」
「玲華。嫌なら、突き飛ばして」
再び口付ける。
暴れる玲華を押さえつけ、息が上がるほど、熱に浮かされるほど、深く深く口付ける。
「あきひと……」
「玲華、もう忘れよう。全部」
「むりよ、絶対に」
「忘れていい、ここでだけは。俺の前でだけは。お前の心を守れるなら」
「こんなの……おかしいでしょ!こんなに狂ってるの。お願いだからもう殺して……!」
「ダメだ、殺せない。俺にお前を殺すことはできない」
「もう、やだ……生きていることすら、許せない。こんな自分は嫌いなの!お願い、私のために私を殺して!!」
「じゃあなんで」
ネグリジェ越しに、無防備な彼女の胸に触れた。
「やぁ!」
「キスしながら一瞬だけ、『触れて』って願ったんだ?」
「そ、んなこと!」
「そうか?側にいて、離れないで、触れて、全部忘れさせてって、心の中では思っているくせに」
「ちがう」
「どう違う?」
「……っぁ」
「玲華」
胸元のリボンを咥えて、ゆっくりと解く。
「ひゃ」
「玲華」
「も、やだ」
「欲望に忠実になれ。ほら、殺しの欲は抑え込んで。他の欲で満たしてやるから」
「っんぁ」
裾から手を忍ばせて、つぅ、と太ももを撫で上げる。
喘ぐ玲華の耳元で囁く。
「【メイリア】、聞こえるか」
【……?あら、珍しいこと】
「今だけ玲華を堕とせ。今だけだ。現実を忘れられるように、軽く」
【目を逸らすってこと?甘いのね】
「今だけだよ、今だけ。頼む」
【わかったわ。少しだけ、ね】
胸元がはだけ、スカートは捲れ上がり、熱に浮かされた姿はひどく扇状的で。
「玲華」
ちゃんと、玲華だけに術をかけろって言ったのに。
「あっ、あきひと……!」
────メイリアのヤツ……俺にまで術かけるなよ。
体温が上がる。
物欲しげな玲華の瞳にこっちの気が狂いそうになる。
シーツの海に溺れながら、現実逃避のための濃密な甘い時間は過ぎていく。
そこに愛はない。
あるのはただ、哀だけで。
なんの思いも告げないまま、高い体温を分け合って。秘めやかな行為に溺れていく。
────きっと、もう戻れない。
この狂ったような甘い時間から、もう、逃れられない。
次回更新は、ゴールデンウィークの初日、4月29日金曜日、12:00です。金曜日の更新となりますのでご注意ください。
よろしくお願いします!




