76 慟哭のカンタータ - 14
「キリル」
耳に届く甘い声。
「……殿下」
その姿は赤に染まっていて。
「もう、ここから出よう」
周囲はとっくに炎に包まれている。
算段はもう、立てていた。
「でも、どうやって?」
「簡単だよ。窓ガラスを割って、川に飛び込む」
角部屋のこの部屋には大きな窓があり、複数ある川のうちの一つを景観よく望むことができる。キリルはそれに飛び込むと言っていた。
「危険じゃない?この高さからだと、コンクリートくらいの硬さになるでしょう?」
「でも他に手段がない。怪我をしたとしても骨折程度。君が擁護してくれれば、俺の極刑も免れるかもしれない」
「……わかった」
真っ赤に染まったレイエンフィリアを抱え上げ、キリルは窓の縁に足をかけた。カーテン越しに窓を蹴り破り、放射状に割れたそこへ身を小さくして飛び込む。──心臓を突かれた痛みに悶えながら、炎に身を包まれたイーネルの慟哭には耳を塞いで。
窓を抜けた瞬間、頬や腕が切れた感覚があったが、火傷だらけの体には特に意味がなかった。もう痛みがわからない。
躍り出た空中で、水面を視界に捉えると、出来うる限りレイエンフィリアをキツく、身を小さくするように抱き締める。
────水面に最初に着くのは、俺の身体でいい。
両足が骨折したって構わない。とにかく、レイエンフィリアに骨折はさせられない。
そう考えているうちに、全身が冷水に包まれる。水越しに大きな水音と泡の音が耳に届いて、反射的に口の中の空気を吐き出した。
腕の中にレイエンフィリアの感触があることを確認して、彼女の抱き方を変えつつ、水面に上がる。
「「……っぷは!」」
ゲホゲホと咽せながら、レイエンフィリアの腰を抱き、顔にかかっている濡れた髪をかき分け、視線を合わせる。
「い、っげほ!いきて、げほげほっ!ますね……ごほっ」
「ええ!こほっ、ぶじ!」
「からだに、ごほっ、いたみは……⁉︎」
「ない、ないわ!あなたこそ……!」
正直、全身が痛い。
火傷もそうだし、探し回った時に煙を大量に吸い込んでいるから喉もやられている。火に炙られた熱いドアノブをいくつも回したから手の感覚もない。
けれど。
「生きてます、ちゃんと」
水から頭を出した状態でも、耳をすませば、最上階からイーネルの喘鳴が聞こえてくる。けれど彼はベッドルームから出ることは叶わないだろう。
張った結界をアルグレムが割り、そこへ飛び込んだレイエンフィリアは、手持ちの宝石でイーネルを拘束し、壁に磔にして、指輪を奪い、その心臓を貫いた。
壁にまで届いたであろう刃渡り30センチ以上もある短剣と呼ぶには長いその剣は、体を貫き壁に刺さり、悶えれば悶えるほど苦痛をもたらすものとなっただろう。
逃げることも叶わず、心臓を貫かれた痛みに悶えながら、炎に身を焼かれる。
それはまるで──
「処刑のようですね」
「火炙りの刑?」
「ええ」
しかし、これで3体目。
着実に集まっている。
「レイエンフィリア」
手の中の指輪を見つめていた彼女を抱き寄せて、思い切り口付ける。舌を絡め、唾液を流し込んで、貪る獣のように。
「……っ、んぅ、ん……!」
水中で足をバタつかせ、軽く殴るみたいに胸を叩くレイエンフィリアに、キリルはそっと唇を解放した。
「きゅ、急に……なにっ⁉︎」
「……てるよな」
「え……?」
「生きて、るよな」
「えぇ、生きてるわ」
答えた瞬間、レイエンフィリアは痛いくらいに抱きすくめられた。
首筋に顔を埋められて少しくすぐったい。
遠くで消火活動の声が聞こえる。
自分達はどうやって川から脱出しようか。
────でもまぁ、いまは、いいや。
嗚呼、生きている。
すでに途絶えたイーネルの慟哭が未だに耳に残っているが、気付かないふりをして、レイエンフィリアはキリルを抱き締め返した。
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「殿下、ご無事ですか!!」
「ええ、大丈夫。それより、キリルの手当てを。私護って大怪我をしているの。悪化してしまう前に、早く」
「承知いたしました。キリル殿、歩け……ますか?」
「ちょっと、無理ですね……すみません」
「承知しました。おい、誰か!あぁリベット!担架持ってきてくれ、担架!!」
「はい!」
「いや、担架に乗るほどじゃ……「乗るほどだから乗りなさい」……はい」
綺麗な笑顔で凄まれて、キリルは素直に従った。足の骨は折れていたし、全身に火傷と裂傷、傷口が塞がる前に水に飛び込んだせいで出血量は多かった。
対してレイエンフィリアは、長かった髪は胸より少し下あたりまで短くなり、細かな裂傷や火傷はあるものの、外見でわかるような大怪我はない。
明らかに、キリルの方が重症だ。外見は。
「殿下、代わりの宿をご用意いたしました。そちらでお休みください」
「ええ、ありがとう。キリルの手当てが終わったら呼んでくださる?見舞いに行くわ。無理に歩かせるわけにはいかないし」
「承知いたしました。ではそれまで、少しでもおやすみください」
「ええ。……そうだ、キリルの他に怪我人は?アラドとベンクはどうしている?」
部屋で眠ってしまって以降、彼らと会っていない。
思えばあの眠りも不自然だった。水差しで水を飲んで以降の記憶が一切ない。
意識が朦朧として、床に倒れる前にと思ってベッドへ向かったのはぼんやりと覚えている。もしかしたら、水に何か盛られていたのかもしれない。
水を飲んだのは毒見役のキリルを下げた後だった。水まで毒見して貰えばよかったのだ。これは完全に自分の落ち度でしかない。
前までの生活では、毒味なんてものとは縁遠い生活だったから、どんなタイミングで、何を毒見して貰えばいいのかよくわかっていないが故の失敗だった。
もっと警戒して水を飲めば、もっと早く目を覚ませたかもしれないのだ。
間違えて先のお話を投稿してしまいました、すみません!こちらが先です……!!
読んでしまった方を混乱させてしまいました!
失礼いたしました!!




