74 慟哭のカンタータ - 13
階段を駆け下り、既に客のいなくなった客室のバスルームに駆け込んで、自分達に水をかけてはまた階段を駆け降りる。
喉は焼け爛れただろうか?
正直、熱いとか痛いとかなんてもう感じなくなっていた。ただひたすらに本館の出入り口を目指す。
こんな時ばかり、やたら広いこの宿屋を恨んだ。贅沢な敷地を有している分、出入り口が遠い。木造のクセに、火事になる想定がされていない。
1階に着いてからが長い。階段を降り、長く入り組んだ廊下を進み、中庭の横を越えて正面玄関に着く。それまでの間、水を被れる場所といえば中庭の小川くらい。
2階にいる今のうちに大量に水を含ませておかなければならない。息も保つだろうか?
それでも。
「行くしか、ない」
小さく呟き、勢いよくバスルームを飛び出して階段に向かう。駆け降り、方向転換してまた駆け降りる。廊下を突き進み、右折して1号館の1階部分へ。
そこから本館へと続く廊下に入り、中庭を横目に入り組んだ道を進み始めた時、周囲の景色が突然変わった。
「⁉︎」
人が駆け寄ってくる。
周囲の炎は小さくなり、黒々と焼けた宿屋のロビーの壁が現れた。ぷすぷすと音を立てて小さな火が消えていく。
「無事か⁉︎肩に担いでるヤツはどうした⁉︎」
「命に別状はない!俺も怪我はしていないから大丈夫だ!なぁそれより!キリルさんと殿下は⁉︎」
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【起きろ小娘、残念な報せだ】
「?こ、こは……夢の、中……?」
【ああそうだ。干渉させてもらった。お前の肉体はまだ気を失っている。早速報せだ、小娘。あのイーネルとかいう男、残念だがもう助からん。完全に心を喰われている】
「なっ!」
【もう殺すしか、ない。悪魔を引き剥がすには。お前がやってやれ、触媒は指輪だ。右手の指輪】
「手は無いの⁉︎」
【無い】
「そんな……」
【もう、殺してやるしか無い。わかるだろう?悪魔に喰い殺されるか、お前が殺してやるかの二択しか無いんだ。お前の手で弔ってやれ】
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「嗚呼、起きたか」
「き、りる……」
目を覚ましたレイエンフィリアを横目に、キリルは逃げる算段を考えていた。
先程、ベンクが使ったであろう術の気配を感じる直前、3号館の階段が炎に包まれているのを見た。階段はもう使えない。
「どのくらい、気を失ってた……?」
「俺が目を覚まして、まだ3、4分ってところだ。それ以前のことはわからない」
「イーネルは……?」
「まだベッドルームだ。でも……」
「砕けるかな、あの結界。どう?アルグレム」
【割るだけならやってやる。その先は知らんぞ】
「キリル、剣貸して」
「はぁ?何考えて……」
「イーネルを殺す。ちゃんと、私の手で」
もう決めました、という顔で、とんでも無いことを言い放った。
────冗談だろ?なんで──
なんで、君じゃなきゃいけないんだ?
「なら俺が……!」
【小娘、いいか。狙うなら思い切り行け。躊躇ってやるな。その方が苦しいだけだ】
「待ってくれ!」
「ええ、わかってる。大丈夫よ。私こんなんでも九龍院だもの」
「玲華!」
【ほう、ならば見せて貰うぞ】
「キリル、剣を」
────嗚呼、嗚呼、どうして──
なんだ、これは。
もう訳がわからない。
狂ってる。なんだ、これは。
どうして、どうして──
「なんで、受け入れるんだよ。そんな簡単に!」
「簡単じゃない。ただ役目なだけ。私が殺してげなくちゃ。【悪魔たち】を殺してあげるために、宿主は殺さなくっちゃ」
狂ってる。
「頼む、玲華」
狂って、る。
「俺がやるから」
壊れないで。
「俺が、代わりに殺すから」
君は穢れないで。
「あんな、もの。背負わなくていい」
君は知らないんだ。“殺す”ことがどういうことか。
「重いんだよ、すごく」
”この世界“で”人を殺す“ことがどういう意味を持つのか。
「だから止めるんだ」
それは文字通り、【悪魔の囁き】。
「でも、もう決めたの」
綺麗に綺麗に、微笑んで。
もう何もかも、諦めきって。いっそスッキリした綺麗な表情。
「……っ」
キリルは唇を噛み締め、ゆっくりと腰の短剣を差し出した。
「ありがとう、キリル。大好きよ」
額にキスが降りる。
そんな言葉、こんなタイミングで聞きたくなかった。目から涙が落ちる。
【ゆくぞ】
「ええ」
俺の預かり知らぬところで、1人の男の、命の糸が【罪人】によって絶たれた。
結界の割れる音がし、低い低い、ドスッという音と水の噴き出る音。人間だったモノの呻き声。
人の死にしては、あまりにも呆気ない。
悪魔に取り憑かれた人間の死にしては、本当に呆気ない。
脱出の算段なんて、一つしか思いつかないし。生還率は低くても、それでいいや、と思っていた。
キリルはただ、レイエンフィリアの様子を見ることすらせず、ただ床にへたり込んで、呆然と”この世界の死“の概念について考えていた。
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この世界に、死の概念はない。
この世界で──ヒトは、シナナイ。
この世界で──ヒトは、コロサレナイ。
そう、ヒトはシナナイ。
すなわち、死んだモノは人デハナイ。
ヒトはシナナイ。
だから人型の生き物が死んでいても、それは人デハナイ。
ヒトがシヌことのないこの世界で、ヒトのシはあり得ない。
壊れに壊れた、永遠の世界。
とてもとても綺麗な、【人間の理想郷】。
フォーリアは言った。
「人が死なない綺麗な世界。お前たち人間が分不相応にも望んでいた、永遠の命が当たり前に存在する理想郷。お望み通り──」
オルディネは言った。
「お前たち人間が身勝手に望んだ理想郷。どんな罪も犯す必要のない、ただ生き続けるだけの永遠の世界。お望み通り──」
──作ってあげたわよ?
──作ってやったぞ?
嬉しいでしょう?
嬉しいだろう?
行きたいでしょう?
行きたいだろう?
そして、生きたいでしょう?
そして、生きたいだろう?
──じゃあ、死なないとね?
──じゃあ、死なないとな?
人に取り憑くのは簡単だ。
研究者に売られた可哀想な被験者たちを殺すため、人に取り憑き、殺し、取り憑いた人間から記憶も証拠も消して。
肉体から離れた魂を、まずは【裁定者の理想郷】へ。青い花々咲き誇る、【裁定者】の理想の地。
可哀想な人間をそこへ誘って、【人間の理想郷】で生きる人間を殺して、空いた肉体に魂を入れ込む。
【人間の理想郷】の方で死んだ人間の魂は、きっと、宗教にある通り、ヴァーニア神の元へ還るのだろう。
だいぶこの世界そのものの狂い具合が見えてきたのではないでしょうか?
この世界の人たちはそもそも働かなくても生きていけるのですが、何もしないで生きるのは退屈だから働いています。
働かなくても生きられて、死ぬことのない世界。
【人間の望む理想郷】
まさに、と言った感じですね。
絶対に行きたくないです。
永遠に同じことの繰り返しとか、無理です。
そのための宗教設定なんですが(ネタバレ)。
さて、次回更新は2週間後です。
1/23の12:00となりますので、どうぞ宜しくお願いします!




