49 共鳴のレチタティーヴォ - 10
「殿下」
「…………キリル」
寂しそうな声音で、レイエンフィリアはゆっくりと振り返る。
日当たりのためか、植物たちは階段を模したように植えられており、2段おきに整備された通路にレイエンフィリアは座り込んでいた。
キリルが立つ隠し扉から5メートルほど歩いただけのそこは、目の前に広がる薬草畑の最上段で、自然とレイエンフィリアはキリルを見上げる形になっている。
落下防止の柵に手を添えたキリルは、レイエンフィリアの元へ行くため、周囲を見回した。
彼女が立ち入っているのなら、出入り口のようなものがあるのだろう。
「そこにいてください、殿下」
少し離れたところに階段を見つけ、キリルは走ってそこへ向かう。何段か階段を駆け降り、レイエンフィリアが座る通路に足を踏み入れた。
そこからは、ゆっくりと、レイエンフィリアから視線を離さず歩み寄る。
立ち上がることのないレイエンフィリアは、目の前のキリルを上目遣いに見つめていた。
間近で見たレイエンフィリアは服だけではなく顔や髪にも煤を纏っていて、キリルは自分もそうであることに気づかないまま、彼女のそばにしゃがみ込んだ。
そのまま、レイエンフィリアの右頬についた煤を左手の親指で拭い取る。
「なんて顔してるんですか、貴女は」
「……どんな顔、してた?」
「煤まみれでしたよ。仮にも皇女が、そんな格好でいたらダメでしょう。煤もそうですけど、もう少し上に何か着てください」
そう言って何か羽織らせられれば良かったが、キリルが着ているのは、先程アーネストから借りたいわゆるインナーとワイシャツのみで、彼女に着せてあげられそうなものはない。
ラベンダーを弄っていた彼女の左手を右手で取り、レイエンフィリアの顔を覗き込んだ。
「せめて、城内に戻りましょう。部屋にいたくないのなら、どこか別の場所でもいいですから。書物庫でも、食堂でも、どこでも」
レイエンフィリアの瞳が潤んでいく。
「ねぇ、キリル」
「はい」
「きりる」
「はい」
悔しそうに顔を歪めて、唇を噛む。
それをやめさせたくて、キリルは手を伸ばしてレイエンフィリアの唇に触れた。
「痕、付きますよ」
「…………っ」
寂しそうに顔を歪めるレイエンフィリアに、キリルはなんと声をかければいいか迷う。けれど、レイエンフィリアは自ら、唇に触れたキリルの左手に手を添えて擦り寄った。
「殿下?」
「ね、きりる」
「……はい」
「…………っ、……あきひと、さま」
「……っ⁉︎」
キリルは目を見開いて驚いた。
悲しそうにキリルを見つめながら言ったレイエンフィリアの心を探るように見つめてしまう。
けれど、レイエンフィリアがどのような理由で自分のことをそう呼んだにせよ、キリルが取るべき行動は決まっていた。
スッと、距離を詰めて。
視線の一つにさえ、甘さを絡めて。
鼻先が触れそうなほど近くで、自分史上、最高に甘い声で、囁く。
「玲華」
「…………っ!!」
「もう、『様』はつけなくていい。それで、いい」
勢いよく胸に飛び込んで、縋るように抱きついた玲華を暁人は軽々と抱き上げる。
普段のドレスに包まれた彼女よりも、ドレスの重みがないその体重は心配になってしまうくらいに軽くて。
いつか、眠る彼女にそうしたように、目下にある白く細い首筋に口付ける。
それに反応してか、玲華は涙に濡れた顔をあげ、少し拗ねたような顔を暁人に向けた。
「…………きがえて」
「え?」
「服、着替えて。暁人のじゃなきゃ、やだ」
確かに今着ているのは、アーネストに借りたものだ。制服は支給品だが、洗濯は基本自分でする。
ほつれたり破けたりしない限り、自分で洗って自分で手入れをするから、自然とその人の匂いというものが残る。
「着替えるって言ったって、俺の部屋に戻らないと着替えられないぞ?」
「なら部屋に戻って着替えて。暁人のがいい。そうじゃなきゃ、いや」
「い、いや……そんなこと言われても。流石にこんな時間に、そんな格好の女性を部屋には連れ込むのは駄目だろう。それに、お前一応皇女だぞ?」
「“今は”皇女じゃないもの」
「“今は”そうじゃなくても、側から見れば皇女だし、誰か他人の前にいる時は、常に皇女だろう」
「でも!!」
再び暁人の肩口に顔を埋めて、玲華は小さく呟く。
「今はやだ。離れたくない。貴方のがいい」
「あークソ!」と叫びたくなる気持ちを精一杯堪えて、暁人は大きくため息をついた。
「………………………………はあぁぁぁぁぁぁ」
「……?」
「わかった着替える着替えるから。着替えるために、俺の部屋に戻るから、そのあとは──2人、夜を徹して語らいましょう。ここに来るまでのこととか、これからどうしたいのかとか。どうですか?」
「………………ぅん」
暁人の耳に届いたのは、「それがいい」というか細く小さな声だった。
レイエンフィリアの側近になってから、前いた部屋から今与えられている部屋に引っ越しはした。が、それでも城の裏手にあるここからはかなり距離がある。
────それでも、まぁいいか。
時刻はまだ10時にすらなっていない。玲華を抱いたまま歩いたところで、話す時間は大量にある。どんなに衛兵の目を避けて遠回りをしたって、15分もかからない。
「玲華」
「……?…………っ⁉︎」
暁人はそっと声をかけ、視線を合わせてくれた玲華に小さく口付ける。
────衛兵の目を避けて部屋に戻るから、少し時間がかかるかもしれない。それでもいいか?
そう伝えるためだけに、ちゅ、と音を立ててキスをした。
「っ…………あきひとって、ばかなの?」
「さてな。でもな、玲華。お前のこととなったら、馬鹿になる自信はあるよ」
「……しらない。ばか」
そう言いながら、玲華は自ら顔を寄せて口付けてくれる。
────辛くなったら歩くから、言って。どんな形でも、2人でいるなら、誰も何も言わないから。……だから。
“離れないで”
…………勘違いしそうになる。
その言葉が、まるで愛を囁かれているようで。
でもきっと、違う。
知らない世界にたった1人だった玲華の目の前に現れた、同じ過去を持つたった1人の男。
────君は俺に懐古の念を抱き、そして、あの頃を共に懐かしむことのできる俺を離したくないと、そう思っているんだろう?
離れないでほしいと囁いているんじゃなく、懐古の念を共有できる俺を離したくないんだろう?
だってそうじゃないと──
────この世界でも君の隣に居続ける、その正当な理由を、“こじつけられなく”なってしまう。
なんか甘ったるくなった気がしますが、ここまで来ました!
勝手に動かないでいただけませんか、お二人さん。それを描写しなきゃいけないこっちも大変なんですから。
ここからガッツリ過去編に参ります。
語ってもらいますよ。
三人称視点が多少揺らぐと思いますので、どうかそこはご理解の上で読んでいただければと思います。
次回更新は8/29、12:00です。
ぜひお読みいただければ幸いです!




