34 博愛のカバレッタ - 17
花びらが舞っていた。
風の流れに合わせて、ふわふわ、ふわふわ、漂い、彷徨うように。
その場にいる誰もが、呆然とした様子でそれを眺めている。
「こうして見ると、あまりにも呆気ないものですね」
キリルの言葉に、レイエンフィリアは特に答えなかった。彼の独り言だと、言うまでもなく気付いていたからだ。
「……ベンクは?」
「まだ起きません。宿に寝かせておけば、そのうち『腹が減った』って起きてきますよ」
「……だといいけれど、呑気ねぇ」
「20歳前後の男は基本、空腹には正直ですよ」
「性別関係あるかしら」
「女性は気をつけるでしょう。体重気にして」
「体重より体脂肪率を気にするべきだと思うんだけれど……」
口からは冗談が溢れるけれど、2人とも決してお互いの顔は見ていない。
目を離すべきではない。離してはいけないのだと、そう思いながら目の前を舞っていくものを見つめている。
周囲を見渡せば、会場にいた客はみなガーデンに設置された椅子に腰掛けつつ、レイエンフィリア達同様にその光景を見ている。
そして彼らの影に隠れるように、勅命執行部隊の隊員達も息を潜めていた。
「書物庫の、彼らは──「殿下、それはもう、忘れてください」……っ」
助け出せなかった。
地下室から出て、来客全員がいるガーデンへ向かっている最中に、こっそりと書物庫に向かおうとしたけれど、キリルに手を引かれて止められてしまった。術が発動し続けているから、と。
一度発動してしまった術は、どうやったって解くことはできない。動力源に使われたものの魔力が切れるまで、術は発動し続ける。
────もう、疲れた。
ため息を一つつくと、レイエンフィリアは隣に立つキリルの服を、くい、と軽く引いた。
「?……殿下?」
「……ちょっと、疲れちゃった」
視線を合わせようと軽く屈んだキリルと視線が交わってしまうのが気恥ずかしくて、レイエンフィリアは俯いた。
なぜ疲れているのか?──決まっている。
久しぶりに人を殺したからだ。
九龍院家にいた時、玲華は仕事として人を殺すことはしないと心に決めていた。
九龍院家の仕事は、時に人を救い、時に人を殺め、時に人を導き、時に人を裏切るものであるとわかってはいた。
けれど玲華はそれが受け入れられず、真っ当に任務を引き受けることが嫌になった。やったとしても、数合わせのために名前を貸した程度だ。
けれど今日、おおよそ8年ぶりに、実際に目の前で人を殺めた。
その時はもう、必死で。
レイエンフィリアの愛するアラドが、ベンクが、キリルが、傷ついてしまうと思ったから。
いざ火を灯してみれば、頭の中に居を構えて住み着いたように、離れてくれない。
────目を閉じても、浮かんでくる。
そんなレイエンフィリアを見て、このまま視線を合わせてはくれないな、と判断したキリルは、服を掴むレイエンフィリアの手を丁寧に解く。
「……」
行き場を失った手はそのままに、これと言って表情を変えることもなく、レイエンフィリアの腰を抱き寄せた。
「……っ」
ビクリと、レイエンフィリアの肩が震える。キリルは、自分の右胸とレイエンフィリアの身体の左側面が触れ、彼女が随分と冷え切っていることに気付いた。
「……帰りましょう。事後処理はきっと、『隠者』の人たちがどうにかしてくれるでしょうし、火にあたっているにしては、貴女の体は冷え過ぎています」
「……そう?暑いくらいなんだけど」
「自覚がないなら、寝ていてください。あと2時間もすれば、夜明けです」
身に付けていた太腿の中程まである、パーティーなどへの参加用に仕立てられたジャケットを脱ぎ、レイエンフィリアの肩にかける。白い手でそれの裾を引き寄せたレイエンフィリアを、キリルは躊躇いもなく抱え上げた。
「……重いでしょ」
「そりゃ人一人抱えてるんですから、重くないはずが無い……と言いたいところですが、殿下一人くらいなら余裕です。65キロくらいまでなら抱えられますよ」
「フォローになってない気がする……」
「欲を言うなら……」
そこで一旦言葉を区切り、キリルはレイエンフィリアを抱えたままゆったりと歩き出す。そして、顔の近づいたレイエンフィリアと無理矢理視線を合わせる。
「もう少し、俺の方に体重をかけてください。こっちに重心を寄せてくれた方が、俺は楽です」
恥ずかしさの限界に達していたので、特に躊躇いもなくレイエンフィリアはキリルに身を寄せた。
彼の体温、呼吸による空気の流れる微かな音、歩く振動、それらがやけに、心を落ち着かせてくれる。
そして──
「眠ってもいいですよ。お側におります」
──耳触りのいい、静かで、甘く響く、低い音。
精神的に疲れ果てたレイエンフィリアは、キリルの首筋に顔を埋めるように、ゆっくりと目を閉じた。
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────眠った、か。
正直、周囲からの視線が痛い。
『従者が主人をお姫様抱っこしている』
という好機の視線ではなく、
『元々体調が優れなかったのにこんなことに巻き込まれて、お疲れなのだろう』
という同情の視線なのが幸いだったが。
そんな周囲の人の群れから、キリルはすぐにアラドの姿を見つけた。彼の隣には、いつの間に起きたのか、ベンクも立っている。
「キリルさん!」
「アラド、お疲れ。ベンク、起きたんだな。体調はどうだ?」
「ちょっと頭の中がごちゃごちゃしますけど、アラドが事の顛末を話してくれたんで、大丈夫です」
「……そうか」
「キリルさん、殿下は……」
「……あぁ」
3人の視線がレイエンフィリアに集まる。キリルは振動を与えないように注意しつつ、レイエンフィリアを抱え直した。
「炎にあたって、疲れたんだろう。焚き火くらいの炎ならリラックスできても、こんなに大きな屋敷を包む炎は、本能的な恐怖しか与えないからな」
そう言って、キリルは背後にそびえ立つファウルス家の屋敷を仰ぎ見る。
今やその屋敷は、赤ともオレンジとも黄ともとれる炎に包まれ、屋敷の輪郭が黒っぽく見えるのみだ。
火の粉が降りかからないくらい距離を取っていても、その熱さは伝わってきた。なのにレイエンフィリアの身体は未だに冷えている。
アラドがキリルに声をかける。
「馬車を呼んできます」
「ああ、頼む」
視線は向けず、ただそう答える。
アラドが体を引き摺りながら走って行く音が、だんだんと小さくなっていく。
──火の粉が舞っていた。
風の流れに合わせて、ふわふわ、ふわふわ、漂い、彷徨うように。
馬の蹄が地面を蹴る音が聞こえてくるまで、キリルとベンクは、ただただじっと、燃え続ける屋敷を眺めていた。




