32 博愛のカバレッタ - 15
「……ふむ、メイリアさんって綺麗な方なのね」
そう言ったレイエンフィリアに、キリルは深いため息をつきつつ頭を抱えた。
「殿下……それ、事情を知らない人が側から見たらただのキス魔ですよ……犯罪です」
「所詮キスじゃない」
「貴女は落としてきた羞恥心拾いに行ってください。……全く、どこに落としたんだか」
「……お屋敷かな……」
「……まぁ、そうですよね」
視線を逸らしつつ、すみません、と謝るキリルに、レイエンフィリアは別に、とだけ言って宝石を取り出した。
角砂糖を指で押し砕くように、レイエンフィリアの指先が掴んでいた黄色い宝石が、ピキン!という高い音を立てて砕けた。
途端に、レイエンフィリアの周囲を風が包み込む。
「キスの1つや2つ、気にするような歳でもないでしょう」
「俺は気にしませんが、アラドが呆然としてますよ」
「あら、ほんとだわ」
尻餅をつき、後ろ手に体を支えた状態で、アラドは焦点の合わない目で虚空を見る。
その間にもレイエンフィリアを包む風は止まない。化粧をした青白い肌は、白くはあるものの血色が良いものになり、美しい銀糸は金に変わる。
身につけていた水色と青のドレスが、派手なのに品のある赤のドレスへと変わっていく。
まるで懐かしい物語のようだと、キリルは思った。
そしてゆっくりと、風が止む。
「……」
「キリル。どう?」
そう言って振り向きざまに、レイエンフィリアはキリルに声をかけた。
白い筋さえ描いて見せた風は勢いを弱め、金色の髪がふわりと舞う。
キリルは硬直する。
「声まで。変わるんですね」
「すごいでしょう?」
「えぇ」
ふふっと柔らかく微笑むと、レイエンフィリアはアラドの目の前へと移動した。
レイエンフィリアの姿を見たアラドも瞠目する。
「……ね、姉さん!?」
「ハズレ。レイエンフィリアよ、アラド」
「で、殿下……ですか……?」
「驚いた?魔術を込めた宝石はね、こうやって編むこともできるのよ」
アラドと同じ黒い瞳を細め、レイエンフィリアはアラドに手を貸して立ち上がらせる。苦しそうな表情でアラドはレイエンフィリアを見つめるが、彼女は静かに微笑んだだけだった。
「……殿下」
「いいの、控えていて。それよりも、どうにか引き伸ばせる?」
「可能な限りは」
「お願い」
短くそう伝え、レイエンフィリアはクルースの元へ歩み寄る。静かに、足音一つ立てることなく、倒れ込んだクルースに近づいていく。
彼の傍まで来ると、レイエンフィリアはゆっくりとしゃがみ込んだ。その瞬間に、一瞬だけ、クルースの体が淡く緑色に光り輝く。
キリルがかけた、延命の術だった。
瀕死の者に対してでは、気休め程度しか持たないものだが、レイエンフィリアはそれでも十分だと思っていた。
「クルース」
レイエンフィリアは柔らかく、クルースに肩に触れる。しなやかに伸びた白い指を、肩から頬へと滑らせる。
────痛み、息苦しさ、死への恐怖。
「…………メイ、リア」
────後は何を拭ってあげればいいだろう。
「えぇ、クルース。私はここにおりますよ」
口から溢れる言葉は、驚くほど柔らかくて。
「………幻か?それとも……夢か?だって、君は……」
「いいえクルース。夢でも幻でもありません。私は今、貴方の目の前におりますよ。だって、ほら」
言いながら、手のひら全体でクルースに触れた。もう冷たくなりつつある彼の頬に、ほのかに温かいレイエンフィリアの手が重なる。
「………せめて」
「えぇ」
「せめてもう一度。……君が婚約する前に会えていたら」
「……えぇ」
「私はきっと、想いを伝えていただろうに」
「そう、ですね」
「そうすれば、何か一つでも……未来が変わっていたかもしれないのに」
再びクルースの体が緑色に光る。あまりにも時間がない。
ヒタリ、と。
レイエンフィリアの肩に、誰かの手が触れた。
「……ッ!【しっ!】」
気配もなく触れられたレイエンフィリアは咄嗟に振り返る。そこには、地につくほど長い髪を引きずる女がいた。レイエンフィリアの肩に触れ、もう片方の手で一本だけ立てた指を口元に寄せている。
小さく、女が囁いた。
【私の言葉通りに話しなさい】
レイエンフィリアは無言で頷き、クルースに向き直る。そこからはずっと、耳元で囁かれるままに言葉を発した。
「【再び貴方と出会えていたら、私はきっと、貴方を見つめることしかできなかったでしょう。想いを抱き、言葉に乗せようにも恐ろしくて】」
「それでも、私は……いつだって、しなかったことばかり後悔した」
「【私もです。自分の決断に後悔はない。けれど、いつだって悔いるのはしなかった行動や決断ばかり。貴方への想いを一言でも口にしていれば、なんて、そう言ってばかりなんです】」
ほぼうつ伏せに近い体勢だったクルースが、ゆっくりと横向きに変える。重そうに左腕を伸ばし、レイエンフィリアに触れた。
「メイリア」
「【……はい】」
「君に贈りたい宝石を見つけたんだ」
「【まぁ】」
「【暁の雫】という石だ。夜明けの空のような美しい暁の石。持つものは不幸になる、という曰く付きだったが……」
「【だったが、なんですか?】」
「私は、幸福になったよ」
「【…………】」
「君が、最期に、逢いにきてくれた」
眠るように目を閉じたクルースの右目から、たった一つ、静かに涙が溢れる。
レイエンフィリアはゆっくりと目を閉じ、背後の女に場所を譲るため、立ち上がった。




