29 博愛のカバレッタ - 12
「……っ、はぁ……」
頭の中を直接かき混ぜられたような不快な感覚に、キリルは無意識に頭を押さえた。
「キリル……大丈夫?」
「えぇ、大丈夫です。相変わらず、慣れなくて……「そうじゃないわ」……え?」
「……泣いているわ」
レイエンフィリアに言われて、頭を押さえていた手で目元を拭うと、親指の付け根あたりが涙で濡れていた。
キリルが呆然とその手を見つめていると、レイエンフィリアが右手を伸ばし、左目から流れる涙を拭う。お返しとばかりに、キリルも添えた左手でレイエンフィリアの目元を拭った。
「……貴女だって泣いているくせに、俺を甘やかすんですね」
「キリルだって、甘やかしてるわ」
「……そう、ですね」
言葉を交わしてはいるが、内容はない。会話をしているようで、ただ機械的に戯れているだけのような。
お互い、口に出す機会を探っている。
見ただけで涙を流すような光景と、ずっと止まないクルースの悲痛な叫び声。
「……殿下、彼が叫んでいるのは……」
「ああ、肉体や精神から悪魔を完全に引き剥がすための術よ。いやに長くかかっているから、随分と深くまで、悪魔が根付いているのかも」
「深く根付いていると、どうなるんですか」
「【色欲の悪魔】のように、精神に浅く干渉しているのならすぐだけれど……【強欲の悪魔】は、彼の精神の奥深くまで侵食してる。綺麗に引き剥がしても、きっと……」
キリル、レイエンフィリア共にクルースを見た。彼は、レイエンフィリアが投げた赤い石が姿を変えた、赤い檻に囚われて苦しんでいる。
「……誰だったのかしら」
「殿下?」
「クルースが想っていた、理想の自分になったら愛し、愛されたかった『彼女』って人」
「……それはきっと……」
キリルはクルースから視線を外し、作業台へと目を向ける。壁に向かって備え付けられた作業台正面の壁には、いくつかの写真が釘で飾られていた。
その中の、一つ。
思い返してみれば、レイエンフィリアが棚に近付こうとキリルに声をかけるまで、彼が調べていたのは作業台付近だった。
心当たりがあったのかもしれない、と、レイエンフィリアはキリルから離れ、写真に目を向ける。
美しい宝石の原石の写真の中に、数枚人が写っている写真がある。
一つはクルースが幼い頃の家族写真と思しきもの。残りは私生活での何気ない日常を写したもの。
しかしどちらも共通して、被写体のクルースがまだ幼い時のものだ。幼いと言っても、14、5歳ではあるのだが。
「キリル」
「彼が家督を継いだのは、今貴女が俺に見せた通り、13歳の時です。これだけの大家を継ぐには、あまりに幼い」
まだ家族の愛を求める年頃であろう12歳で家族を失い、13歳で家督を継ぎ、社交界の華として、その端麗な容姿に笑みの仮面を貼り付け始めたのはいつからだろうか?
ファウルス家当主としての手腕を見せ始めたのは15歳。『次期当主として』の手腕ならばまだしも、『当主として』の手腕であれば、それはもう彼の才能と努力だと言わざるを得ない。
一時の恋情に揺れ、周囲の同性貴族たちと戯れ、次期当主としての勉強もそこそこに、周囲のあらゆるものに興味を示し吸収する年頃に。
彼はどれだけの時間と労力をかけて、たった15歳で周囲に『ファウルス家当主』であると認めさせるだけの能力を身につけたのか。
「……あら?」
「殿下?」
レイエンフィリアの指が、一枚の写真を辿る。
花々の咲き誇るガーデンで、後ろ姿だけの女性の手を取る、作り物じゃない綺麗な微笑みを浮かべたクルース。
「殿下、きっと、彼女がそうなのでしょう」
金色の髪と、濃い赤の美しいドレス。
後ろ姿だけでこんなにも見目麗しい令嬢は、この国にいただろうか?いるならばレイエンフィリアも一度くらい話しているはずだ。
その時、クルースの悲鳴が徐々に細く、小さくなっていった。
レイエンフィリアはキリルと共にクルースの元へ駆け寄る。
レイエンフィリアが少し人差し指を動かしただけで檻は消え、檻にもたれかかっていたクルースは、バタリと地面に倒れた。
「……殿下」
「驚いた。まだ息があるわ」
ゼェゼェと、非常に細くだが息はしている。しかし、そう長くはないのだろうと、レイエンフィリアはため息をついた。
「────ィ……、……ァ」
「………?キリル、今の聞き取れた?」
「いいえ……」
2人は息を潜め、クルースが言いかけた言葉をもう一度紡がないかと耳に意識を集中させる。
「────ェ……ィ……、……ァ」
紡ぐ声はあまりに細く、レイエンフィリアが耳を澄ましてもなお聞き取れない。
小さく舌打ちをしたキリルが、蹲み込んで口元すれすれまで顔を近づけ、僅かな音すら聞き逃さないように目を閉じた。
「────ェ……………ィ、……ァ」
「……メイリア?」
「メイリア?そう言っているの?」
「そう聞こえたんですが……!?……殿下!」
立ち上がったキリルが、レイエンフィリアの手を取りクルースに数歩近づけさせる。
「──!?」
泣いて、いた。
確かに目を開き、涙を流し、暗い目をして虚空を見つめ、小さく、小さく、「メイリア」と言う言葉を呟いている。
「メイリアって、誰かの名前かしら?女性っぽい気がするけど」
「…………メイリア?殿下、今、メイリアって言いました?」
位置的に離れた場所にいるキリルから、「メイリア」と言う言葉が紡がれる。
レイエンフィリア、キリルは目を見張ってアラドを振り向いた。
アラドは隊服の上着を脱いだ白いワイシャツ姿で、ベンクの側に呆然と立っている。
「……なんで、メイリアの名前を、殿下が……?」
「アラド?どうしたの?」
「メイリアって名前に、心当たりがあるのか?」
心配そうにアラドを見つめるレイエンフィリアとキリルに、アラドは青ざめた顔で告げる。
「メイリアは、俺の二つ年上の姉です」




