28 博愛のカバレッタ - 11
────自分は、どうやってレイエンフィリアを助けただろうか?
直感的に、今なら助けられると思って手を伸ばした。
そうしたら、意識が水底から掬い上げられるように、深い眠りからスッと目を覚ますように、レイエンフィリアはキリルに縋ってくれた。
しかしこれが、ベンクにも通用するのかと言われてもわからない。
キリル自身、何故『今ならいける』と思ったのかわかっていないのだ。
縋るようなアラドの視線に気まずくなって、キリルは俯きつつ前髪を握りしめた。
耳に届いた悲痛な叫びが、キリルを現実へと引き戻す。
「殿、か……?」
良い加減やめてやれと、そう口にしようと思ったキリルは、レイエンフィリアを視界に映した途端硬直した。
泣いて、いた。
右手を正面に掲げ、左手は胸元を握りしめて。
彭湃と、涙を流す。
キリルは思った。
────嗚呼、マズい。
この人は、レイエンフィリアという人間は──この男すら、愛している。
人という概念全てを無条件に愛する。
それがレイエンフィリアという人間の美点であり、最大の欠点である。
愛するが故に甘く、愛するが故に容赦がない。
愛という思想に対して、最も従順でありながら最も反逆している。
レイエンフィリアという人間の、狂気。
聖母のように常に人に愛を傾け、覇者のように愛の鞭で人を裁く。そんな彼女は、処刑執行の対象であるクルースすら、愛の対象にしている。
きっと彼女は、容赦無く裁く。
キリルの脳内に、廊下で聞いたレイエンフィリアの声が反芻する。
『……執行を』
『皇家への反逆よ、許さないわ。そうでなくとも、私の部下を殺すなんて』
『執行を、この場にいるお前たちに命令します。成し遂げるのは私たちです』
怒りの刃は確実にクルースに向かったと思った。その考えは間違っていなかったものの、キリルは、まさかレイエンフィリアがクルースを愛の対象にするとは思っていなかった。
「殿下、貴女は……」
「……キリル」
「……?はい、殿下」
いつの間にか、掲げられたレイエンフィリアの右手は下され、キリルの右頬にレイエンフィリアの左手が伸びてきていた。
傷口に触れるかのように、丁寧に、柔く。
「……キリル」
「……はい」
口に出さず、『白状しろ』と言われたように、キリルは感じた。
はぁ、と心の中でため息をつき、先程の自分の行動を後悔した。
────ああ、やっぱりこの人もなんだかんだ言って鋭い。さっきの失言一つで気が付くなんて。
キリルは元々気付いてたが、まさか自分がそうだと気付かれるとは思わなかった。身を寄せるレイエンフィリアが何をしたいのかはわかっている。それを拒む理由も無い。
何せ、キリルとレイエンフィリアにとっては、この行動が価値のある特別なものでなど、決して無いからだ。
キリルは右手で彼女の腰を抱き、左手をレイエンフィリアの右頬に添え、そっと、甘く口付けた。
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いつも足掻いていた。
欲したものは手に入らず、手を伸ばしても届かない。なのに誰もが羨むものは、自分の周りに溢れていた。
────ああ、クルース様……!なんと麗しいお顔立ちなのかしら!とっても素敵!
────えぇ、そうよね!一度で良いから、ダンスのお相手に選んでいただけないかしら!
欲に濡れた女たちの声。口ではそう言いながらも、どいつもこいつも、クルースというレンズを通して家を見ていた。
宝石の価値を下げすぎず、上げすぎないために、世に出回る宝石量を調整し、規制し、商人たちに売っていく一家。
そんな一家だから、美しい宝石に囲まれた暮らしをしているとでも、思われたのだろうか?
家を継ぎ、父が死に、母が死に。
結婚していない貴族の男は、婚約を取り付けさせるには格好の素材で。親もいない彼ならば、きっと自分の娘と婚約をしてくれるだろうと、婚約の話がいつだって舞い込んでくる。
自分の目が捉えるのは、宝石ばかりに目が眩んだ女ではなく、クルースという人間を見てくれる女性だったのに。
漸く見つけたと思っても、その女性は既に誰かの婚約者で。
────俺を愛してくれる人はいないのか?
────俺を見て!“宝石に囲まれた生活を送る、裕福な俺”じゃなく。
────ただ普通に、父上や母上のような、お互いを愛し合うように暮らして行きたかっただけなんだ。
────誰かの愛する人に。誰かを愛する人に、なりたかっただけなんだ……!
悪魔の影は、いつだって忍び寄る。
地下室のジュエリーボックスを開いた日。あの日から“俺”の全てが始まった。
【愛が欲しいか?】
ああ、欲しいさ。
【お前に何が足りないかわかるか?】
わからない。容姿は整っていると自負している。だって周りがそう言うから。自分にはよくわからないが、きっとそうなんだろう?
【ならば、何があればお前は愛されると思う?】
貴族なら富や名声。でも俺が欲しいのはそんな愛じゃ無い。もっと、普遍的で……
【もっと自分の欲に忠実になれ。愛が欲しいか?愛して欲しいか?ならば手を取れ、与えてやる。貪欲に欲しろ、願え、縋れ】
愛して、欲しいさ。俺も誰かを愛したい。
【ならば、お望みどおりのお前になってしまえ。周囲が願う、“宝石に囲まれた生活を送る、裕福なお前”になってしまえ】
でもそれは、俺を見ているんじゃ無い……
【与えもしないのに愛を願うな。お前が愛を与えてやれ、クルース。宝石という愛を、それを求める女に与えてやれ】
与えもしないのに、願うな……
【そうだ。何もせずただ愛されるだけを求めるなら、声をかけるべき奴は俺じゃなかった。けどお前が声を聞いたのは俺の声だ。お前が求めたのは愛されるだけではなく、愛することもだろう。ならば、取るべき手は俺の手だ】
………………
【変貌を恐れるな。求められたお前になれ。そうすれば愛される。欲望に忠実になれ。欲しろ、手を伸ばせ。俺はお前の手の届く場所にいる】
……そうか、そうだよな。
【ああ、そうだ】
俺が変わらないから、愛されないんだ。俺が、愛される俺に、変われば……みんなも、俺を、愛してくれる……
【ああ、そうさ。変われ、変化しろ、変貌しろ。変革を恐れるな、変貌に疑心を抱くな、変貌を躊躇うな】
右手を伸ばした。
助けを乞う手を取るように、誰かの手が右手を掴む。手の主は紺色の靄がかかっていてよく見えない。
愛されたい。
愛したい。
今の俺に何が必要だろう。
“宝石に囲まれた生活を送る、裕福な俺”と、今の俺はどこが決定的に乖離している?
【周囲の理想のお前は、すぐそこにいる】
──あぁ、アァ、わかった。
宝石が、足りない。
【ほら、そこだ。見つけてみろ】
手を取ったまま、振り向いてみる。靄に包まれてはいるが、指輪や首飾りだけは明確に見える。
宝石に囲まれないと、きっとみんな俺を愛してくれないんだろう。
なら集めないと。蒐集しないと。
この靄の人影のように。
理想の俺に、ならないと。
この、靄に包まれた理想の俺のように。
【自分自身で、理想のお前を掴み取れ】
理想の俺になれば、きっと……
────きっと、彼女も俺を愛してくれる。




