27 博愛のカバレッタ - 10
逃げなくちゃ、何かから。
襲ってくる得体の知れないものから、逃げなくちゃ。
視界は暗い。
ヒュウヒュウという自分の荒い呼吸のみが聞こえる。
生きてるか?
死んでいるか?
動けない体ではわからない。
何処にいる?
石造りの螺旋階段を駆け下りて、それで。
嗚呼、嗚呼。
石、が。
宝石が。
服の中に隠した宝石たちが、熱い。
なんだろう、何に怯えている?
状況がうまく飲み込めない。
いま、今──
────俺、何してる?
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「ぐっ……が、がぁ!」
強い。
アラドが素直に感じたのはそれだった。
────正直、パッとしない親友だった。
剣の腕は中の上。
馬術もそこそこ。
体力はまぁ、ある方。
なのに魔術は特級二級品ってくらい、強い。
そんな男が。
「……っ、く!」
アラドは奥歯を噛み締めた。
斬撃、その一つ一つが異常に重い。本来そうである方がいいのだが、己の親友の斬撃とは、目の前に彼の姿が無ければ夢にも思わない。思えない。
ニタニタと不気味に笑って、明るい金の瞳だったベンクの瞳は濃紺に変わっていた。
「寄越せよ、それ、俺にさぁ!」
「……っ、くっ!!」
魔術を込めた宝石の投擲。
それに気を取られると目の前に迫るベンクの顔。距離を取ろうとした途端、肋骨が数本イった感覚。
なのに決して、宝石の棚にはぶつけず、作業台にもぶつからないように調整して蹴り付ける。
余裕のある、証拠だ。
「ゲホッ、ぐっ、ゴホッ!」
吐血した。
折れた肋骨が肺に突き刺さったのだろう。
アラドは血に濡れた床を見つめ、思考を巡らす。
自分の脇腹を撫でさすりながら、アラドはキリルを見ようとどうにか顔を上げた。
────助けを求める、タイミングは……
しかしあちらも、レイエンフィリアを背中に庇ったままアラドに意識を向けない。
駄目だ、と、それはすぐに諦める。
ベンクを、どうにかしなければ。
そうしないと身が持たない。
そうだという判断はついても、実際ベンクの力の前には己の刃が通用しないと、アラドはこの数分で痛いほど身に染みた。
筋肉量的にもアラドが圧倒的に優位だ。だというのに、魔術で自身の腕を強化しているためこちらが手を出せない。
──否。それだけじゃ無いのかも知れない。
────キリルさんはどうやって殿下を戻ってこさせたんだ!?
また、腕という刃の斬撃が向かい来る。
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クルースの処刑を、執行しなければ。
────私自身の、手で。
クルースはレイエンフィリアとキリルを鋭い目で睨んでいる。
「私を売ったな【色欲の悪魔】。……主人を何と心得る」
『バカにしないで。私はあんたの一家に憑いているだけ。あんたに憑いているわけじゃ無いわ。それに、彼。いつか願いを言ってくれそうだもの……甘く、苦しく、とっても重い愛の願い。目の前の果実より、いつか花咲く最上級の甘露の方が、魅力的に見えるでしょう』
「チッ!」
指輪から響いた声に苛立たしげに舌打ちをしたクルースは、乱暴に指から指輪を外し、しかし丁寧に棚に戻す。
そして──
「戻ってこい!【強欲の悪魔】!」
レイエンフィリアたちの後方から風が駆け抜ける。こちらへ見せ付けるように掲げた手に嵌められた、濃紺の石がついた指輪。そこに向かって鋭く風が奔る。
「クソッ、ここに辻切菖蒲があれば…!」
思わず呟いた言葉に、唇を噛み締めた瞬間──
──後方から、声がした。
「ベンク!おい!しっかりしろ!!」
「アラド!?」
「殿下!2人のところへ!戦力が欲しい!」
「え、えぇ!わかったわ」
レイエンフィリアは作業台の方へ駆けて行く。それを横目に捉えながら、キリルは唇を噛んだ。
「マズいな……」
不穏な気配が【色欲の悪魔】の時と比較にならない。完全に憑依している。
【色欲の悪魔】は渋々彼に力を与えていたが、今度は違うのだ。
────正式に契約した悪魔はこっちか!
ケタケタと、気味悪くクルースが笑う。
彼の発する声は、本来のクルースのものと、どこか狂気を孕んだもう1人の声が混ざっている。
瞬時に、察してしまう。
────俺1人じゃ無理だ。退いて、せめて3人で……!
退くも勇気。
それはキリルが父から教わったことの一つだった。
一番駄目なのは、逃げという選択を恐れて死ぬ事だ。
笑いながら手を伸ばして近づいてくるクルースに対し、キリルは後方に跳ねるように距離を取りつつ、レイエンフィリアの気配を探す。
「……は!?」
レイエンフィリアの気配の変化に、キリルは彼女を振り向く。
しまった、隙を与えた!と思った瞬間──
「伏せなさい、キリル!」
どうにか地に足をつけてキリルが伏せた瞬間、頭上を五本の軌跡が奔り抜ける。
それはクルースと【強欲の悪魔】に向かって伸び、彼にぶつかって血のように赤い魔法陣になる。
「私の部下を殺したのはどちらかしら?」
「殿下!?」
「──『略奪』」
その言葉がキリルの耳に届いた瞬間、クルースが──おそらく、正確には【強欲の悪魔】が、声にならない悲鳴をあげる。
クルースの行動が止まったと判断したキリルは、起き上がってレイエンフィリアの傍まで走った。
「殿下!」
「キリル、無事ね」
「はい、それより──」
ふと、レイエンフィリアにそばに座り込むアラドの背が目に入った。
「アラド」
キリルが声をかけると、アラドは親友たるベンクを抱え、キリルに向き直る。
「キリルさん!ベンクが還ってこないんです!どうしたら……」
「っ!」




