25 博愛のカバレッタ - 08
ガラス片のようなものが、ハラハラと落ちて行く。
「悪いが、退散願おうか!」
レイエンフィリアを抱えていた男の襟を、苛ついたような笑顔でキリルが引っ張った。
「キリル!」
「声が戻って、真っ先に口にしたのが俺への命令とは。嬉しい限りですね」
レイエンフィリアは必死でキリルに両腕を伸ばした。
キリルは男の襟をそのまま後ろに引き切り、レイエンフィリアを奪い返す。
ゴン、と鈍い音がして、男が階段に倒れる。
そのまま起き上がろうと半身を起こし、鋭い視線でレイエンフィリアを睨む。紫の瞳が輝き、そして、吸血鬼が日の光を浴びて灰になるように、サラサラと消えた。
階段には、何も残らない。
「アラド!ベンクは無事か」
レイエンフィリアを抱えたまま、キリルは階段を先に降りていたはずのアラドに視線を向ける。
「いえ、まだ還って来ません!」
「……っ、仕方ない。ひとまず落とせ」
「はい!」
────落とす?落とすって……?
「キリル、ベンクを落とすって……?」
「?……ああ、気絶させるってことですよ」
レイエンフィリアがキリルに向けた視線をベンクに戻すと、アラドがベンクの鳩尾に拳を撃ち込んだところだった。
ゴホゴホと咳き込んでから、ベンクはアラドの腕に倒れ込む。
「どういう、こと……?」
「殿下、ベンクと貴女の共通点が分かりますか」
共通点?と思いながらレイエンフィリアは首を傾げる。
さほど歳は離れていないが、共通点と呼べるほどの何かはあるだろうか?
ベンクに肩を貸して支えながら、アラドはレイエンフィリアを見上げて言う。
「殿下もベンクも、宝石を用いた魔術を使う、いわゆる宝石魔術師です。まぁベンクの場合、貴女が宝石魔術師だから自分も使っている、という節がありますが」
「この屋敷は、とにかく『宝石』という概念に執着している。それに……どうにも、ただ単純に宝石を手にしたかっただけ、という訳ではないような気がします」
「他に目的があると?」
「なんとなく、ですが」
頭に入れておこう、とレイエンフィリアは噛み砕くようにキリルの言葉を記憶する。
ピタリと、アラドの足が止まる。
「……着いたようです」
小声で囁くように、努めて小さな声で発せられる。
キリルはレイエンフィリアを下ろし、彼女の前に立つ。アラドもベンクを階段にもたれ掛かるように座らせた。
「わかっているとは思いますが、気をしっかり持って、付け入られないようにしてください。あと、自分のそばを離れないように。目の届く範囲にいてください」
そう言いながら、キリルは左腰に下げた剣を抜く。アラドも同様に。
レイエンフィリアは返答する代わりにキリルの背に触れた。
残り少ない階段を降りていく。
キリルの手を借りて最後の段を降り切ったレイエンフィリアは、薄暗い、と表現するのも的を射ていない、奇妙な空間に視線を凝らした。
足元も、棚に何があるのかも、しっかりと見える程度には明るい。ただ、ここで本を読むには少し暗い。
そこは工房のような見た目だった。
一面ガラス張りの棚が壁沿いに並び、部屋の中央にもう一列おいてある。三列の棚の中には宝石が種類ごとに並べられており、その殆どがアクセサリーに姿を変える前の状態で保管されている。
宝石商が宝石を見せに来る時に持っている、アクセサリー加工がされていない磨かれた宝石の姿だ。
レイエンフィリアは、作業台と思しき机を調べているキリルに名を呼んで一声かけ、棚に近づいた。
キリルもアラドに机を任せ、レイエンフィリアの後ろに立つ。
「希少価値の高い大粒の宝石から、装飾用の小さな宝石まで。徹底的に管理しているんですね」
「私はお兄様やお姉さまたちほど詳しくはないけれど、それでも凄いことはよくわかるわ。まるで……」
まるで、自ら輝いているような。
エフェクトすらかかっているように思える。
キリルと共に、レイエンフィリアは奥へと足を進める。
「…も……こし、……く……?」
ちいさな、ちいさな。
本当に微小で、ここが静寂に包まれていなければ聞こえなかったであろうキリルの声が、耳に届く。或いは、レイエンフィリアの耳が良すぎたのか。
「キリル?今なんて?」
「えっ、あぁ……いえ、お気になさらず。……それより、ほら。あそこに何かありますよ」
キリルの指差す先には、棚の中で一際目立つ真っ黒な箱があった。いわゆるプロポーズの時に、指輪を入れるあの箱。それが二つ並んでいる。
一方には黒か、濃紺の石が付いた指輪が、こちらに見えるように納められている。もう一方は澄んだ紫色で、こちらも指輪の形をして見えるように置かれていた。
この二つの指輪だけが、『アクセサリー』の形で棚に飾られていて、どこか異彩だった。
目が離せないほど美しいのに、見ていたくない、と心のどこかで思ってしまう。
見ているのが怖くなって、レイエンフィリアはキリルの胸に縋るように顔を埋めた。
「……殿下?」
「……なんだか、嫌だ……。これを、見ていたく、ない……」
事実、キリルの胸に縋り付くレイエンフィリアの体は震えていた。
キリルは指輪を一瞥し、軽く睨むと、親が子にそうするように、レイエンフィリアの頭を軽く撫でた。
「……そう、ですね。はい、その感覚は“合っています”よ、殿下」
「……?」
「アラドたちの元へ戻りましょう」
キリルに言葉に顔を上げたレイエンフィリアを、キリルは再び抱え上げる。
今日何度目だろう?3回目?と思いながら、レイエンフィリアはキリルの首に手を回し──硬直する。
「き、りる……」
「殿下?」
レイエンフィリアの視界の先には──
「我ファウルス家の家宝を、『見ていたくない』とは随分じゃないですか、レイエンフィリア第3皇女殿下」
ファウルス家当主が、愉快そうに目を細めて立っていた。




