24 博愛のカバレッタ - 07
────考えても仕方がない、か。
イル・バガットの名前を冠する彼だ。こちらがどんなに策を練ろうとも、指先一つで跳ね返してしまうだろう。
ならばもう、開き直ってしまった方がいい。
「とりあえず、やるだけやってみるわ。できるかどうか、奪うことが術を掛けた扱いになるのか、わからないけれど」
正直、やり方すら教わっていないからわからないのだが。こういうのは基本、祈るだの心の中で思うだので解決するものである。
少なくとも、玲華が好んで読んでいた物語ではそうだった。
レイエンフィリアはゆっくりと、獣たちの前に歩み出る。キリルたちは遠巻きながら、レイエンフィリアの様子を見ている様だった。
────術をかけているって扱いに、ならないといいんだけれど。
そう思いながら、レイエンフィリアは体の中に流れる魔力を、右目に集中させる。これもどうやって、という理屈なんてない。ただ『そこに集まれ』と願うだけだ。
レイエンフィリアは何かを掴む様に右手を伸ばす。
────まずは、彼らの注意。
獣たちの注意を奪い、レイエンフィリアに注目させる。
レイエンフィリアは頭の中で、注意を奪う、注意を奪う、と繰り返した。
スッと、獣の顔らしき部分がレイエンフィリアを見つけ、主人の命を待つ犬の様に見上げる。
そして──
────意識を、奪う。
意識を失った人が倒れる様に、昏睡状態の様になれば、と。
錯乱して、とか。血を流しすぎて、とか。そういう意識の失い方じゃなく。
操り糸の切れた人形が、舞台に倒れる様に。
意識だけを、奪う。
「……っ」
立ちくらみを起こしたように、上半身が冷える。血の気がひいて、でも頭は逆に冷静になって。
倒れるかな、まずいな、と思った瞬間に、獣たちが先に崩れ落ちる。
四肢の関節がカクンッと曲がり、受け身すら取れずに崩れる。
これでどうだろうか、と、レイエンフィリアは伸ばした手を下ろしながら獣たちを見る。
「……殿下」
キリルが左斜め後方に立ち、おずおずと言った風に顔を覗き込んでくる。
大丈夫よ、と返したかったが、喉が張り付いたように声が出ない。
「……お声が出せない?」
コクコク、と頷く。
キリルはふぅ、と小さく息を吐き、右手でレイエンフィリアの腰を抱いて数歩下がらせる。窓まであと少し、というあたりまで。
「とりあえず、殿下。下がっていてください。アラド、ベンク。先陣を頼む」
「「はい」」
アラドは腰の剣に手をかけ、ベンクが扉に手をかける。視線を交わせ、頷き合ったのを確認して、ベンクがゆっくりと扉を開ける。
「……っ」
ベンクが息を飲む。目の前の景色は先ほどと打って変わっていた。
奇妙に空いていた、カーペットも机も椅子もなかった場所に、石造りの螺旋階段が現れていた。
「…………行きましょう」
アラドがレイエンフィリアに視線を向け、声をかける。それにゆっくりと頷いて返し、キリルの手を取って進む。
一番前をアラドが。その次にベンク、レイエンフィリアと続き、最後尾にはキリルが後方を確認しながら階段を下りる。
コツ、コツと静かに足音が響く。
壁に埋め込まれた黄色い石が光を放ち、石の凹凸が目立つ階段を照らしている。
コツ、コツ。
四つの足音が重なり、石に囲まれた空間に響いていく。
──いまは、何階だろうか?
グルグルと回る階段は、降りている感覚をどこか狂わせる。
一回転したら何階分降りているのだろう?
そもそも一回転の基準は?
どこから始まって、どこまでが一回転?
螺旋階段は気分がおかしくなる。
城にも螺旋階段はあるが、こんな狭苦しい、両手を伸ばし切らずに壁に手がついてしまうような圧迫感は無い。
例えるなら針金で作られたように、繊細な鉄製の手すりがついた絢爛豪華なものだ。それですらレイエンフィリアは普段使わない。
────今、何階?
気分がおかしくなる。
────階段を降り始メてから、どのくらい降りた?
回る、回る。
────降りてイる、わよね。この階段に果てはあるの?
廻る、廻る。
────息が詰まる。閉塞感が、怖い。
狂う、狂う。
────このまま降リて、大丈夫かしら。
墜ちる、墜ちる。
────ああ、アぁ、嗚呼!もういっそ、壊れちゃいたい……
ふわりと、体に腕が回る。
腰を抱くように。
目元を覆い隠すように。
「聞こえますか、殿下」
耳に直接流し込むように、囁く吐息がかかる。
「……っぁ、あ、……あぁ」
口からは喘ぐような、言葉にならない声しか出ない。
「息を、してください。」
ゆっくりと、ゆっくりと。
囁くようにそう言われて、肩を震わせながら、唇の端から息を吸い込む。
──けれど。
「……っ、は、………ぅ、……ぁ」
途切れ途切れに、ボロボロに引き千切られた布切れのように、小さな呼吸しかできない。
「息を吐くことに集中してください。吐けば自ずと、吸い込めます」
やっぱり喘ぐような声しか出なかったけれど、それでも彼は支えていてくれて。
漸くまともに呼吸が整うと、体の強張りが解け、力が抜け、キリルにもたれかかりながら崩れ落ちそうになる。
「……っ、と」
キリルはレイエンフィリアを軽々と抱き上げる。つい先程の、廊下を駆けていた時と同じ姿勢だ。
未だに少し焦点の定まらない目が、キリルの横顔を捉えた。
「……ぃ、りる…」
「精神干渉の魔術です。壁には手を触れない方がいい」
「………?」
────さむ、い……?
疑問形になってしまったけれど、レイエンフィリアは震えていた。
寒いのか、怖いのか、怯えているのか、わからなかったけれど。
ふっ、と。
レイエンフィリアの前髪に、キリルの唇が触れる。
「……?」
「殿下、オマジナイでもかけましょうか」
レイエンフィリアは首を傾げるが、キリルは柔らかく微笑む。
彼の、見惚れるほど美しい紫の瞳が、レイエンフィリアを見つめて細められる。
「……ィ、ル……?」
恋人にそうするように、キリルの顔が、彼に抱えられたレイエンフィリアの顔にスッと近づく。
恐怖を、感じた。
────この人が、怖い……!
理屈じゃない。
この男の何かが怖い。
その怖いくらい綺麗な瞳が。
魅入ってしまいそうなほど、美しい紫の瞳が。
なによりも、怖い。
彼の顔を腕で阻みながら、レイエンフィリアは叫んだ。
「命令です!私を助けなさい、キリル!」
その瞬間、レイエンフィリアの視界が、割れた。




