106 幻惑のジャバウォッキー - 3
「オルディネ」
怒気を孕んだ低い声がオルディネを呼ぶ。
取り繕った笑顔のまま振り向けば、銀糸を揺らしながらレイエンフィリアが近付いてくる。
「どうして」
「…………」
「どうしてあの子に、あんな事を言ったの?」
「…………」
オルディネは明後日の方向を見やりながら、ふぅ、とため息をつく。
「オルディネ、答えなさい」
「…………、……僕はね」
「……?」
「きっと、僕は何かを見落としているんだ。この世界を創った、なんて思っていたけれど、暁人の言う通り、『世界五分前仮説』のように記憶は捏造されたものなのかもしれない。確信を持って言える言葉は何一つ無い」
「…………」
「けれど一つ言えることは、転生者たちが元の世界に帰るためには『世界の均衡を壊す』ことだと思う」
「……世界の、均衡……?」
「例えば君の国……レイヴヴィヴェーニア皇国やウェリンターレ王国ならば、『死の概念』がそれに該当すると思う」
「どう言うこと?」
「【悪魔】と言うのは、まぁその言葉の通り、人を悪の道に誘う者たちだ。その中でも、“七つの大罪”に名を連ねる【悪魔】が存在する。彼らは人の心から生まれた悪魔だ」
色欲、強欲、憤怒、悪食、傲慢、嫉妬、怠惰。
万人の心に必ずある欲求ではあれど、度を過ぎればそれは罪となる。
「そもそも、君たちの世界に【悪魔】がいることがおかしいんだ。【悪魔】は人間の行き過ぎた欲望が形となって現れたもの、とも言える。彼らがいるのに【罪を犯した人間がいない】のはあり得ない」
「……???」
「いいかい、レイエンフィリア。君に語るのは初めてだと思うけれど、君が生きていた世界は、僕たちにとっての【理想郷】なんだ」
「りそうきょう?」
「実際には存在しない、理想の場所。例えば『仕事をしなくていい』とか、『上司からの理不尽に耐えなくていい』とか、『病気が無い』とか、『罪という概念が無い』とか、『死ぬ事が無い』とかね」
レイエンフィリアは不服そうな顔をした。
自分のいた場所が、他者から『理想郷』だと言われても納得できない。
なら自分はなんなのだ。
自分には公務があるし、理不尽に皇帝から殺しの役目を命じられる。病気や死、というものはよくわからないが、怪我だってする。自分も部下に仕事を割り振る立場だし……それを理想とまで表現されるのは、いかがなものか。
「でも君、勅命に納得もしていないのに執行を行った事、無いだろう?」
「納得もせずに裁かないわ」
「じゃあ何故君は人を裁けたの?【死】を知らないのに、何故人を殺せるの?」
──何故。
何故。
なぜ?
だって、それは──
「それは、知っているからだろう?“人が死ぬ”という状況がどう言った状況なのかは知らないけれど、命に終わりがあることは知っているだろう?」
「……っ」
「おそらく、それを知っているのは王族だけなんじゃ無いかな?この前、君が語った真実も」
「…………」
悔しげに、レイエンフィリアは頷いた。
おおよそ間違ってはいないらしい。
ならば。
「なるほど。つまりは、【死】が如何なる状態か、知っている人は人を殺す事ができる、と。単純にそれだけなのか」
【死】。
【死】とは如何なるものか。
【死】が何であるかを知らない人間に、殺しなど行えるはずもなく。
例えば。
例えばそれが、赤子なら。
赤子は、人から愛されるために愛される形容をしているという。周囲に生きる全ての存在が、無条件に自分を愛していると信じて疑わない。疑う事を知らない。
そんな赤子に、赤子が成長した幼体に、純粋無垢な存在に。【死】はおよそ理解ができない。
【死】が何かわからない生き物は、自分以外の全てに対して“【死】を与える”行為など行わない。行えない。
それが、全て。
「世界の均衡。言葉にすればひどく単純だよ。世界が『理想郷』ではなくなればいい。『死ぬことのない世界』ではなくなればいい」
「だから、殺すの?」
「そう、そうだよ。【悪魔】が存在するためには、誰かが死んでいなければならない。メイリア嬢のようにね。【悪魔】が存在するには、自分だけではあまりに存在が儚い。故に【悪魔】は人間に取り憑き、心を蝕む。心を蝕まれた者が罪を犯すように、甘く誘導する。罪を犯してしまえば、その瞬間から【罪を犯した者こそが悪魔】となる」
「──ぁ」
「そう、だから【原罪者】。誰か一柱の【悪魔】に誘われたからではなく、全ての【悪魔】を掌握するハジマリのヒト」
【強欲の悪魔】アルグレム。
契約者、クルース・フォン・ファウルス。
心を蝕まれながらも殺人には至らなかった。
現在は玲華に賛同的。
【色欲の悪魔】メイリア。
契約者なし。
悪魔と契約しながらも心を蝕まれていなかった暁人を気に入っているため、彼が思い慕っている玲華にも賛同的。
【憤怒の悪魔】ガイネルン。
契約者、フェルガ・イーネル。
自分が【悪魔】の座から解放される直前に契約者を玲華に殺された。
現在も玲華には批判的。彼女の殺人衝動の原因の1人。
【悪食の悪魔】アンリオーネ。
契約者、キリルザード・ウェルナヴェイル。
仮契約はしたものの心を蝕めなかった。
現在は玲華が所有。玲華には賛同的。
身近にいる悪魔は現在4柱。
玲華の目の前には、おそらくもう2柱。
────じゃあ、あと1柱は?
「君が語った【彼女】まで、あと3柱。見つかるまでひたすら殺して、玲華が【彼女】になるまで耐え忍べばいい」
「だけど【彼女】は……!」
「視えるものだけが全てじゃ無い。君の言葉の通りだよ、レイエンフィリア。【彼女】が存在することで、世界の均衡は完全に崩れる。ここは『理想郷』であることができなくなる。【彼女】の存在こそが、玲華たちを元の世界に帰す鍵になる」
レイエンフィリアは、酷く悲しげな顔をした。
────何故?どうして?玲華ちゃんでなければいけないの?
玲華がレイエンフィリアの世界を垣間見たように、レイエンフィリアもまた、玲華の世界を覗いた。過去も、今も。
誰よりも優れ、期待されていたが故に幼い手で命を奪うことが怖くなった。
およそ若者が求める特別な能力は持ってしまっていた。
血塗れで微笑う周囲が怖かった。
成長と共に強くなっていく自分が怖かった。
自分の認識とは別に、周囲が向ける視線が痛かった。
──期待も羨望も、私越しに親を透かし見ることもなく、接して欲しかった。
「美風、さま」
名前と記憶から垣間見た、同い年の神様の成り損ないだと言う女性。
玲華の見る世界では、彼女だけだった。
親も才能も期待もせずに、玲華自身を見てくれたのは。
だって彼女の方が、立場は辛かったから。
「私は」
レイエンフィリアは俯きがちに、けれどオルディネに向けて、口を開く。
「玲華ちゃんには、幸せになって欲しい。元の世界で、彼女が過ごすはずだった時間を、返してあげたい」
「よく言ってくれたね、レイエンフィリア」
まるで、その言葉を待っていたとでも言うように。オルディネは嬉々としてレイエンフィリアに近寄った。
「僕もね。知りたいんだ。君たちがいた世界の始まり。どうやって僕たちを生み出したのか。どうやって『理想郷』に介入したのか。そして、彼女たちに帰る場所があるのか」
オルディネの声は、至極真面目だった。
「だからね、レイエンフィリア。君を、向こうに送ろうと思う」
「……え」
レイエンフィリアは青く輝く瞳を大きく見開いた。目の前の男は今、なんと言った?
「僕が初めて目を覚ました場所。僕の記憶の始まり。皇学園都市島、海底研究所へ」
レイエンフィリアの身体が、フッと軽くなる。否、地面が消え、体を支える場所がなくなった。
「オルディネ!!」
「大丈夫。君とは常に連絡が取れるように、僕が手を回すよ。これは、生まれて初めて抱いた“僕の意志”だ」
意識が途絶える瞬間、レイエンフィリアは確かに、目の前に白髪の少女の姿を見た。
また新しい用語が出ました。
かなり先の話ですが、ある程度プロットが完成している作品があります。本文は一切書いていませんが。
九龍院家に関する物語の『九龍院物語』(タイトル未定)。
神子と呼ばれる、特殊な学園に住まう神様たちの物語『神憑きの神子』。皇学園都市島は、こちらの作品の舞台となる場所です。ちなみに海底研究所は、神憑きの神子のかなり後半で出てきます。プロット上ですが。
殺戮の皇女がきちんと終わり、少し短い九龍院物語が完結したのちに書くことになります。それまでは、読む方がいるかわかりませんが、コツコツと書き続けていこうと思います。
次回更新は11月6日、12時となります。
どうぞよろしくお願いいたします!




